第2話

 客が来て、女中がいる。とあればここからはのお時間だ。

 女中のすることは主に三つ。客の注文を聞いて厨房に伝え、料理と酒を厨房から取ってくること。客の話し相手。そして個室でのの相手だ。

 とはいえリセは、個室に入ることは今まで一度もなかった。リセ自身がそうしたサービスに生理的嫌悪がある、ということもいくらかありはするが、それ以上に彼女のが格段に高いことが大きい。

 どんな客でも、気持ちよく酒が飲めて気持ちよく話が出来る相手と飲むのは楽しいものだ。そこに関して、リセは天才的なのだ。

 今も小さなメモ用紙に硬筆を持ちながら、メレディスの注文を取っている。


「とりあえず注文は何にします?」

「そうだな……」


 椅子に座ったまま、メレディスは店内に視線を巡らせた。

 いろんな女中がそれぞれの席について、料理を食べたり酒を飲んだりしている。今日はとんと客が来ていないから、どの女中もあまり派手な食事はしていなかった。これらの食費は店から出るが、だからこそ最低限に、と言える。

 一通り店内に目を向けたメレディスが、リセが先程空にしたワインのボトルを指さした。


「今リセが飲んでいるそいつは、新しく入れたやつだったか?」

「あ、これですか?」


 問いかけられ、リセがワインボトルを手に取った。緑色をしたボトル、黄色がかった質素なラベル。そこには山と、このワインの名前が描かれている。

 ラム王国の西、西海岸に面するリーランド郡で作られる「サリネージュ」シャレドン。白ワイン用のブドウを使って作られた、果実味の豊かなワインである。

 ワイン単体でも十分楽しめる酒だが、料理と合わせても大変美味い。今年のワインは特に出来がいい、と評判の一本だ。


「ですね。今週頭から並べるようになったリーランド郡の『サリネージュ』です。さっき飲みきっちゃったんで、飲みたいなら新しいの持ってきますが」

「いいな、じゃあそいつに合う料理を、二つ三つ適当に見繕ってくれ」


 ワインを紹介するリセに、メレディスが満足した様子で頷いた。

 ワインに合う料理を適当に、と問われて困る女中は多い。自分の店で出される酒に通じていないと、なかなか料理と酒の組み合わせを見つけられないからだ。

 その点、リセは普段からいろいろな酒を飲んでいる。客が来れば客に奢って貰う形で店のワインを飲み、客に同伴してどこかに行ったらその行った先で様々な酒を飲み。酒に関する経験値なら、この店の女中の誰よりも積んでいるだろう。

 果たして、リセはすぐさまにメモ用紙にペンを走らせた。先程一本、一人で飲みきったワインである。どんな料理が合うか、既に頭の中にはあるらしい。

 三つほど料理の名前を書いたリセに、いたずらっぽく笑いながらメレディスは言う。


「あとは、ワインもう一本と、グラスももう一脚な」

「はーい、ちょっと待っててくださいね」


 メモ用紙に「サリネージュ」「ワイングラス」と書き足して、リセはおもむろに席を立った。店内入口から見てカウンターテーブルの左側、厨房の呼び出し口にリセは向かい、切り離したメモ用紙を中にいる料理長、アビゲイル・エイリーへと手渡しながら告げる。


「3番カウンター、ニンジンのボイル、トウモロコシとベーコンのバターソテー、トラウトのフリッターをお願いします。それと、『サリネージュ』のボトル一本と、ワイングラス一脚持っていきます」

「はいよー。出来上がったらカウンター越しに出すからね」


 注文内容を告げながらメモ用紙を渡すと、アビゲイルが軽い調子で返してきた。カウンター席にいる場合は厨房のスタッフやタニアが料理を出してくれる。この点も、リセがカウンター席が好きな理由だ。

 厨房呼び出し口の下に置かれた冷蔵庫の中から「サリネージュ」のボトルを出し、呼び出し口に吊るされるようにかけられたワイングラスを一脚取り、リセはメレディスの待つ3番カウンターに戻る。

 カウンターの席に座ったリセは、カウンター下に引っ掛けられていたコルク抜きを手に取った。ワインのシーリングを外して、コルクを手早く抜いていく。外したコルクをテーブルに置いたリセは、ボトルを手にしてメレディスに朗らかに笑った。


「はい、お待たせしました」

「おう。じゃあ飲むか」


 リセの言葉に、メレディスもグラスを差し出してくる。そのグラスに軽快な音を立ててワインが注がれ、もう一方のグラスにリセが少々ワインを継ぎ足し。

 お互いにちょうどいい分量のワインがグラスに注がれたところで、リセとメレディスはワイングラスを手に取った。


「乾杯」

「かんぱーい」


 短く、簡潔に言葉を交わし、グラスを差し出し合う。戻したグラスに口をつけてぐっと傾ければ、パッションフルーツの香りとプラムのような濃い甘みが口いっぱいに広がった。それでいながら味わいは軽やかで引き締まっており、具合よく徐々にキレていく。

 ワイングラスを一気に半分ほどまで空にしながら、リセが深く息を吐き出した。


「はー、やっぱり誰かのお金で飲むワインは美味しいですねぇ」

「調子のいいことを言ってくれるぜ、おまけにお前のそれは仕事だろうが」


 あっけらかんと言ってのけるリセに、呆れた表情になりながらメレディスは言った。

 確かにリセの、こうして客の相手をして客の注文したワインを一緒に飲む、という行為は仕事以外の何物でもない。しかしそれは同時に、リセは自分でお金を出さずにあれこれとワインを飲める、ということに他ならなかった。

 そう考えれば、女中というこの仕事はリセにとって天職と言えた。何しろ客の相手をして、話に付き合ったり自分なりの酒の解釈を広げたりしていれば、それで場が保てるのだから。おまけに自分で金を出さずにワインが飲めるのだ。

 もう一度ワイングラスに口をつけてから、リセは軽い口調で話した。


「そりゃー仕事ですもの。お客さんのお金でご飯食べて、お酒飲んで、お話しして。あたしは酒トーク好きなだけ出来ますし、お客さんはいい話を聞けますし、それであたしはお給金もらえますし。有り難い話です」

の仕事を要求される立場にないからって、気楽に構えやがって、この女中はよ」


 貴族相手だというのにこの調子で、しかしメレディスもそれを咎めるようなことはしない。そもそものメレディスが、この貴族らしからぬ粗野な口調なのだ。

 メレディスの言う通り、女中の仕事には「裏の仕事」、いわゆる性的サービスも大いに含まれる。酒場での接待などの「表の仕事」をそこそこに、「裏の仕事」に精を出す女中も、この「赤獅子亭」にいないわけではない。

 しかしリセは、「表の仕事」で辣腕らつわんを振るうがゆえ、「裏の仕事」をやっている暇がないことは、先に述べたとおりである。

 と、ワイングラスをカウンターに置いたメレディスが、リセにぐっと身体を近づけると、おもむろにその毛むくじゃらの手でリセの顎に手を添えた。


「なんなら、今日はお前を抱いてやったっていいんだぜ? リセ。俺が望んだらお前は断れねぇもんなぁ?」


 メレディスが低い声で、威厳たっぷりに言ってみせるものの、リセは表情一つ変えない。むしろメレディスの右手にそっと手をかけながら、優しく微笑んで言い返した。


「心にもないことを言うもんじゃないですよ、メレディス卿。あたしなんて眼中にもないくせして」

「はっ」


 リセの言葉に破顔するメレディスだ。

 そう、メレディスも何も、本気でリセをこうして声をかけたわけではない。カマをかけただけの話だ。

 呆れた様子で笑いながら、リセの顔から手を離したメレディスがカウンターにひじをつく。


「お見通しってわけかよ。敵わねぇな」

「メレディス卿が毛耳族ファーイヤーズの、全身もっふもふの子にしか興味ないこと、あたしが知らないわけないじゃないですか」


 メレディスから視線を外したリセが、ワインボトルを手に取った。メレディスのグラスと自分のグラスとにワインを注ぎ、さっさとグラスに口をつける。

 メレディス・ベンフィールドはいわゆる獣人の毛耳族ファーイヤーズの中でも獣の要素が強いタイプだが、こうした獣の要素の強い毛耳族ファーイヤーズにしか彼は声をかけない。

 いわゆる人間の弓耳族ボウイヤーズ、いわゆるエルフの細耳族ナロウイヤーズ、いわゆるホビット、ドワーフの小耳族スモールイヤーズは言うに及ばず、竜人の鱗耳族スケイルイヤーズ、鳥人の羽耳族ダウンイヤーズにも「裏の仕事」を頼まないのだ。徹底している。

 対してメレディスは、さも当然のことであるかのように話を返す。


「だってよ、弓耳族ボウイヤーズ細耳族ナロウイヤーズも、尻尾も無ければマズルも無く、足のかかとが地面につく構造だろ? そんなん、つまらねえじゃねぇかよ」

「はいはい、真正のケモナーで大変結構なことです」


 メレディスの言葉に、軽い調子で返しながらリセはワインを飲んだ。ケモナー、という単語をメレディスが理解しているかどうかは置いておくとして、彼の趣味嗜好はどう考えたってケモナーのそれだ。

 と、カウンターの向こうからアビゲイルが皿を二つ差し出してきた。一つにはボイルしたニンジンがこんもりと盛り付けられ、もう一つの皿の中には鉄製のココットが乗せられ、中にはたっぷりのトウモロコシとベーコンがバターで炒められている。

 どちらからも湯気が上って、いい香りを漂わせていた。


「はいよ、ニンジンのボイルと、トウモロコシとベーコンのバターソテー、お待ち。トラウトのフリッターはもうちょいと待っておくれ」

「ありがとうございます、アビゲイルさん」


 アビゲイルに礼を言いながら、リセは皿を受け取ってカウンターに置いた。その中身を見て、目を見開くメレディスである。


「ニンジンに、トウモロコシ? 随分と変わったところをいったな」

「『サリネージュ』は果実味のある甘さがまず来ますからね。それがじっくり長く楽しめるんで、こういう甘味の強い野菜が相性いいんです。トラウトのフリッターも、魚の脂がしっかり感じられてより美味しくなると思いますよ」


 メレディスの言葉に、リセはてきぱきと料理の説明を行った。ついでに酒の味わいも加えて、料理と酒のマリアージュを説明していく。

 こうした説明の的確さが、リセの魅力的なところでもあった。彼女に酒と料理を任せれば間違いない、というのは、「赤獅子亭」の常連客の共通認識である。

 ワイングラスに手を付けながら、諦めたようにメレディスがため息をつく。


「はぁ。本当に、お前は恋愛対象としては論外だけれど、共に飲む相手としては最高だよ、リセ」

「お褒めの言葉、ありがとうございまーす」


 メレディスの呆れ半分、感心半分といった言葉に、リセは肩をすくめながら返した。諦めた様子で話してこそいるが、別に本当に呆れているわけではない。彼だって、リセのこの技量と知識には全幅の信頼を置いているのだ。

 酒をある程度飲み進めたところで、メレディスがフォークを手に取る。そのフォークが伸びる先は、ニンジンのボイルだ。


「じゃ、早速……」


 柔らかくボイルされたニンジンを突き刺して、湯気が立つそれを口に運ぶ。大口を開けてニンジンを含み、歯で押しつぶし、味わう。

 するとメレディスの目が、大きく見開かれた。ワインの味が残った状態でニンジンの甘さが加わるのだ。さぞかし口の中は甘く芳醇な状態になっていることだろう。


「おほっ、こいつは美味いや」

「ね? いいでしょう」


 感心した様子で口から湯気を吐き出すメレディスに、リセがにっこり笑いながら返す。続けざまにメレディスのフォークがトウモロコシとベーコンに伸びて、またも口から湯気を出しながらメレディスが感心し。

 気がつけばワインがどんどんと減っていって、席を立つ頃にはメレディスは千鳥足に。そんな中でもリセは変わらず、平然とした表情で酒を飲んでいるのだった。

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