酒豪の女中、今日も酒場でのんびり酒を飲むのこと

八百十三

第1話

 ラム王国で「王都クリフトン三番街通りの『赤獅子亭あかししてい』」を、知らない貴族や商人がいたとしたら、そいつは偽物か市内の新参者だ、と市内ではまことしやかに言われている。

 歓楽街である三番街、その中心を通る三番街通りはいわゆる繁華街で、を伴う酒場が軒を連ねている。「赤獅子亭」もその例には漏れず、女中との会話や接待、あるいはを楽しみながら飲食する店なのだが、この店が他の酒場と違うところは、女中の質の高さにある。

 料理の提供が丁寧で、酒の注ぎ方も堂に入っている。酒についての知識も十分にあり、相手が貴族だろうと大商人だろうとおもねらないで対応する。だから、客である貴族の側も普段はよくよく触れないカジュアルな店内で、気を張らずに対応できるこの店を愛し、足しげく通うのだ。

 そんな女中達の中でも、一際客からの人気が高い女中が、リセ・オーギヤである。

 『チキュウ』なる世界の『ニホン』なる国からやってきて目覚めた魂は、どんな酒をどんな量飲んでもちっとも酔わない肝臓の強さと、故郷で培った様々な酒についての知識、貴族はおろか国王相手でもひるまない胆力を武器に、ラム王国で多大なる存在感を発揮してきた。

 「金を払っていても、客は女中に無理を押し付ける資格はない」「酒をたらふく飲ませて酔い潰し、自分の好きなように扱うなどあってはならない」の信条は、既に市内の酒場に広く伝わっている。どんな貴族も商人も、リセの信条に共感して酒場で横暴に振る舞うことが無くなったくらいだ。

 そんな彼女だから、いろんな客が彼女を求めて「赤獅子亭」にやってくる。彼女を独り占めしたくて店に手紙を送ってくる。

 結果として店に出勤することすら多くはなく、忙しく働いているリセが、今日はどういうわけか、珍しく「赤獅子亭」の店内で一人、誰の客の相手もせずにカウンターに座ってワインを飲んでいた。


「ふー……」


 もう何回傾けたか分からない、濁りグラスで作られたワイングラスを空にしながら、物憂げに息を吐くリセの前。カウンターテーブルの向こうでは二足歩行をしてジャンパースカートを身に着けたが、肉球を備えたその手で器用に皿を磨いていた。

 実質的なこの店のトップであるこの虎獣人、女中達を束ねる女中長のタニア・ラーキンスが、磨いた皿を棚に戻しながら苦笑した。


「今日は珍しくお客さんが来ないわね」

「ほんと珍しいですねー、どうしたんだっていうくらい……内勤自体、すごく久しぶりですけど、あたし」


 タニアの言葉にリセも同意しながら、六杯目のワインをボトルからグラスに注いだ。もうこの一杯で、彼女の手の中にあるワインボトルは空である。それだけ飲んでも、彼女のペールオレンジの肌が赤みを帯びることはない。

 この、どれだけ酒を飲んでも顔色一つ変えず、淡々と酒を飲み進める姿勢が、彼女の武器でもあり、強みでもあった。誰を相手にしても平然と、一定のペースで酒を飲むその様に、大酒飲みこそ引きずられる。

 市内の酒自慢を軒並み潰して返り討ちにしてきたリセへと、感心した目を向けながらタニアが口を開いた。


「大概のお貴族様はご自分の領地に帰られている頃合いだし、商人の皆さんは棚卸しで忙しい時期だわね」

「店に飲みに来れる状況の人がいない、ってことですかね」


 タニアの言葉に、リセは小さく首を傾げた。

 今日は8の月25日。9の月になれば季節は秋になり、年度としての期が変わる。つまり今は年度末だ。

 貴族は自分の領地で今期の収支の総決算をしないとならない。商人も棚卸しやら決算報告やらで忙しい。結果として、店で女性相手にあれこれしている時間的余裕がないのだ。

 これが、一番街にあるような高級レストランならまだしも、ここは繁華街である三番街。この時期は、得てしてどの店も暇である。

 タニアが苦笑しながら、次の皿を取り出して磨き始めた。


「そうね。だからほら、今週はどのお貴族様も、リセに同伴の指名をして来なかったでしょ」

「確かに。まぁ、あたしとしては久しぶりにのんびりお酒が飲めるんで、悪い事じゃないですけれど」


 タニアの言葉に、リセが壁にかけられた時計に目を向けながらワイングラスに口をつける。午後の7時手前。いつもなら満席になる店内も、今日は格別にがらんとしていた。

 あんまりにも客が来ないものだから、タニアも磨かなくていい皿を取り出して磨く始末である。手にした銀の大皿を所在なさそうに棚に戻しながら、タニアが笑った。


「にしても、来ないわね。どうする? ヒマだし、お店閉めてどっかのお店に飲みに行っちゃう?」

「タニアさんってば。そういう事言ってるとフラグが――」


 タニアの言葉に苦笑しながらリセが返すと、そのタイミングでからん、とドアに掛けられたベルが鳴った。

 木製のドアを開けて入ってきたのは、焦げ茶色の毛並みをした大柄な熊の獣人だった。この店の常連客の一人、財務庁のメレディス・ベンフィールド伯爵だ。


「おっ、やってるか。いやぁよかった」

「あら?」

「あっ、ほら」


 貴族らしからぬ粗野な口調で気安く二人に声をかけてくるメレディスの顔を見て、タニアが目を見開いた。

 見事なまでのフラグ回収に、思わずリセも声を上げる。こういう時に、客というのは予期せずに来るものだ。

 銀の大皿を棚に戻して、タニアがぽんと手を打つ。


「メレディス卿。珍しいタイミングでのお越しですね。アイアトン領のお屋敷にお戻りになられていたのでは?」

「いやぁ、そうだったはずなんだがな。緊急で本局に呼び出しを受けちまったもんでよ」


 タニアにそう返しながら、メレディスはぼりぼりと後頭部を掻いた。

 メレディスの勤める財務庁は、ラム王国の財政管理を一手に担う組織である。もちろんこの時期はラム王国という巨大な組織の決算の時期、普段ならメレディスもこのクリフトンに留まって財務庁の仕事をしている頃合いなのだが、この一週間は自分の領に帰って自分の領の仕事をしていたのだ。

 聞けば、メレディスの管理する部門の決算書に、領収書の漏れが多数見つかったらしい。これはいけないと領地から飛んで帰り、決算書を作り直してきたということだ。

 なるほど、それは領地にいてはいられないわけである。


「何とか仕事は済んだんだが、そんまま帰るにはちっと時間がな。今日は金の日だから、デビーはいないんだろ?」


 カウンターに手をついて店内をきょろきょろと見回しながら、メレディスが口を開いた。

 彼のお気に入りである、猫の獣人の女中、デビー・ケイは今日は非番だ。いつもなら彼も、デビーが店にいる日を選んでやってきて、デビーを指名してテーブルにつくのだが、今日はそういう訳にはいかない。

 タニアもこくりと頷きながら、メレディスへと視線を投げかける。


「そうですね、今日は非番です。どうされますか? 今日は珍しくリセが店にいるんですが」

「おっ、本当だ」


 タニアの言葉を受けて顔を横に向けたメレディスが、そこでようやくリセの姿に気がついたように声を上げた。

 何を隠そう、メレディスは過去にリセに類の酒飲みである。大酒飲みではあるのだが、酔っ払うと随分横暴になるメレディスを、飲み比べで叩きのめして見せたのも随分前のこと。

 ラム王国に縁のない貴族なら「酒場の女中に酔い潰されたなど貴族の面汚しだ」と怒り狂うところだろうが、メレディスに関しては逆にリセを気に入り、時折リセとワインやブランデーを飲み交わしては酒談義に花を咲かせているのだ。

 メレディスだけではない。名だたる貴族も、大商人も、国王や皇太子でさえも、リセの飲みっぷりと酒の知識、心配りの接客を気に入り、彼女の話を聞きたいと「赤獅子亭」に集い、手紙を出すのである。

 そんなリセと杯を交わせるいい機会、ということもあり、メレディスはすたすたとリセの座る3番カウンターへとやってきた。


「たまにはリセと飲むのもいいな。おいリセ、相手してくれよ」

「はーい。こちらの席にどうぞ」


 見知った顔、何度も話をした間柄。過去に因縁がある相手であったとして、リセの方は何を言うこともない。

 ささっと、自分の隣の席にメレディスを座らせる。そうして、珍しく他の客がいない状況でのリセとメレディスの会話が始まった。

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