ハロー、サンシャイン

曙ノそら

ハロー、サンシャイン

 目が覚めたと思った。

 なぜ「思った」なのかというと、目開けた前と開けた後の景色が変わらず黒一色であったからだった。ああ、夜中に目が覚めたのだと思った。

 僕はいつも部屋の明かりを全て落として遮光カーテンをぴっちり閉めてから寝ている。子供の時から親がそうしていたからそうなっただけだけれど、一人暮らしをしている今もそれは変っちゃいなかった。でも朝になると遮光カーテンを閉めていても裾のあたりから少しくらいは光が漏れてくるものだから、朝にはなっていないと少なくとも日は昇ってきていないと思った。

 今、何時だろう。いつもの通り眠りについたのは午前二時を過ぎていた。僕は昔中学生の時にそこそこの人がかかる病ではない病を患っていたもので、陰陽師にハマっていた時期というものがあった。だからこの時間が丑三つ時と呼ばれる時間であることを知っていた。

 いつもなんだか眠れなくて布団に横になって一時間くらいスマホを弄ってから寝ている。今日もスマホを枕のすぐ横に置いて午前六時五十五分にアラームが一回、午前七時に一回鳴るようにしていた。もちろんどちらもスヌーズありだ。


 今何時だろうまで考えて、やっと僕は何かがおかしいことに気がついて、一気に目が覚めた。

 冷たいシーツの感触だと思っていたのは、ただの冷たい床だった。硬さはてんで違うのに、ついさっき寝たばっかりで寝ぼけていたから気付くのが遅れてしまった。多分だけど、まだ寝てから一、二時間くらいしかたっていないはずだ。

 いやだな、暗闇にひとりぼっちなんて。さっき寝た自覚があるから、これは多分夢の中なのだろう。ううん、いや、やっぱり少し心地いいかもしれない。僕は別に暗所恐怖症とかでも何でもないし、暗闇が落ちつくと思ったことも結構あった。床がこんなに硬くなきゃもっとよかったのにな。


「うっ、何だ?」


 突然僕の目を何かがさした。鋭い刺激に思わず目を瞑って、視界の右側だけが赤っぽくなっていた。でもすぐにそれがおかしいことに気がついた。だって僕は暗闇で目を瞑っているんだ。瞼の、血管の赤っぽい色が透けて見えて視界が明るくなるわけがない。

 僕は恐る恐る目を開けて、目を細めたまま右側の方を見遣って思わず手を目のところに待ってきた。


「あっ、まぶし……」


 僕の右側にはさっきまでなかった光があった。さっき僕の目をさしたと思ったのはあの光なのだろう。突然暗闇で眩しい光が目に入ったから刺すような刺激になってしまっただけだ。

 何か恐ろしいものか怖いものかと思ったらただの光だったので何だか拍子抜けしてしまった。よく分からないけれど、これは多分明晰夢とかいうやつなんだろう。いや、夢を見ていることを完全に自覚しているわけではないから正確には少し違うのかな。


「でもこんなこと、流石に夢だろう」


 そうとなったら、多分あの光の方に行けば目が覚めるはずだ。だって何かこういう暗闇に囚われてしまったとき、なんていうのは光がある方に行けば逃れられるはずなのだ。ちょっと心地よかった気もするけれど、何だか変なところだしさっさと出てしまおう。


「夢っていうのは結局その人の知っていることしか見ないはずだものな」


 僕は緩慢な動きで立ち上がって何となく肩と腕それから足の埃を払うようにしてパンパンと叩いてから歩き出した。大丈夫、こういうのは明るいほうが出口だって相場が決まっているものだ。今までやってきたゲームだって見てきたアニメだって読んできた小説だってみんなそうだった。僕の夢なんだからこれだってきっとそうに違いない。


 少し歩いていると近づいたのか光が大きくなってきた。暗闇に光があるだけだから距離感だだいぶ分かりにくいけれど、だんだん大きくなっているから少しずつ近づいているらしい。思ったよりも遠いけど、そんなことに文句を言ったって致し方ないものな。


「……ん?」


 なんか、変じゃないか? そう思って思わず足を止めた。

 急に、光が大きくなるスピードが速くなった。今、一度立ち止まったのにそのスピードは増すばかりで……。しかもそれだけじゃない。さっきまで何の音もしやしなかったのにゴウゴウって地響きみたいな、台風が来た時の風の音みたいな音が光が大きくなるのと一緒にどんどん大きくなる。


「違う、光が大きくなってるんじゃない。あっちから近づいてきてるんだ」


 いや、でも、目的地はあの光なんだから問題ないはずだろう。あっちから来てくれるなら長い距離を歩かなくて良くなるのだからラッキーなはずだ。ラッキーなはずなのに、どうしてこんなに怖いんだ?


「待って、待って。あ、え? あの光、周りの暗闇全部飲み込んでる?」


 一歩、右足を後ろにずらした。左足も後ろにずらした。次の瞬間僕は振り向いて走り出した。だって、あきらかにおかしい。あんな大きな光が、あんな轟音をたてて近づいてきていて、自分のところまで来た時に自分が無事である気がこれっぽっちもしない。

 こういうのって普通、明るい方が出口なはずなのに、なんで僕は光から逃げて暗闇に向けて走っているんだ?

 目を開ける前からずっと暗かったせいで目は慣れていたけれど、あの恐ろしい光を見てしまったせいで目が眩んでいた。


 やっぱりこの空間はおかしい。光を背に走っているから目の前は多少明るくなっていてもおかしくないのに、目の前に広がるのは闇ばかりだ。途中で斜め右の方に進路を変えてみたけれど、後ろに迫ってくる光の距離も、方向もどうしてか変わらない。


「はっ、はあ。うっ」


 僕は普段運動なんてしていないから、もうとっくにきつかった。それこそこんなに必死に走ったことなんてない。高校の時まで持久走の授業だってあったけれど、あの時は授業時間内に五キロを走り切ればよかったからほどほどで走っていた。あんなの時間内に目標を走り切って補修にならなきゃいいんだ。

 もう脇腹どころか喉も肺も痛い。足だって痛い。夢って痛みを感じないんじゃなかったのか。どうして自分が見ている夢でこんな思いしなきゃいけないんだ。自分の、夢のはずなのに。


「ひっ」


 失敗した! 後ろなんて見るんじゃなかった。光と一緒に近づいてきている音が大きくなった気がして思わず振り向いてしまった。

 必死に足を動かしているのに、あの光はゆっくりと近づいている。風に流れる雲みたいなゆっくりとした動きなのに、どれだけ走ったって差が広がらない。それどころかどんどん近づいてる。


「いやだ、やだ、捕まりたくない。怖い! 誰かたすけ」


 誰がだろう。いったい誰が僕のことを助けてくれるの?

 一人ぼっちの僕が、あっ。


 ——ズザッ。


 どれくらい走ったのだろう。必死に動かしていた足はもう限界を迎えていたらしい。とうとう足がもつれて転んでしまった。床が硬いと思っていたはずなのに、思わずついた手にも肘にも擦り傷なんかはできなかった。

 すぐに上体を起こして後ろを見ると、もう光がすぐそこに迫っていて、僕はああ、もう逃げられないとそう思って諦めて、絶望した。

 せっかく必死に足を動かしてもがいていたのに。

 光に、飲まれて——。




 目が覚めたと思った。今度は本当に目が覚めた。だって目を開けて目に入ったのが自分の部屋の天井だったのだ。

 重りでも着けているんじゃないかと思うくらい重い腕を何とか動かしてスマホで時間を見たら、午前五時二十四分だった。すでに日の出の時間は過ぎていた。

 もうスマホすら持っていられなくてそのまま離した手を今度は額に持っていく。


「あは、あははは、あはははは! はは…」


 なあんだ、あの光は、朝日だったんだ。逃げ切ったって意味なんてないじゃないか。元々逃げ切れやしなかったんだ。

 いつも通りの、照明を全部落として遮光カーテンをぴっちり閉めた僕の部屋。少しだけ漏れて入ってくる光。いつも通りの、朝。

 ああ、頬がびしょびしょだ。また一日が始まったね。


 おめでとう。見事に光に捕まった!

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ハロー、サンシャイン 曙ノそら @akebononosora

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