角川ですけど逮捕されそうなんで異世界へ高飛びします

@2321umoyukaku_2319

第1話

 東京オリンピック・パラリンピックを巡る汚職事件で東京地検特捜部が本社と自宅を家宅捜索する事態に陥っても、その男は余裕の表情だった。それもそのはず、彼は無実なのだ。ここはどれだけ強調しても足りない点なので、繰り返しておこう。

 彼は無実、そう、無実なのだ。

 それにも関わらず家宅捜索されているのは、実に不運なことだが、押収書類の中から証拠が出ないのは分かり切っているので、動揺の色は見えない。むしろ、応接室のソファーで相対している東京地検特捜部長への同情が表情に現れていた。これだけ大騒ぎして証拠が出なかったら、責められるのは捜査を指揮する東京地検特捜部長なのだ。自分を疑っている相手に対しても哀れみを抱くとは、神や仏顔負けの人類愛の持ち主といえよう。仕事の鬼だが、心根は優しい男なのだ。

 家宅捜索の間、男は東京地検特捜部長と世間話に興じていた。確かに世間話であるが、それも尋問の一種であることは間違いない。東京地検特捜部長は、さりげない会話の中に相手を刺激する言葉を混ぜることで、男に揺さぶりをかけているのだ。その効果はあった。男の表情に激しい怒りと嫌悪が浮かび上がる瞬間があったのだ。マイナスの感情を表に出すのは、その男には珍しい。それは男の兄についての話題が東京地検特捜部長の口から出たときだった。

 男の兄はコカイン密輸事件で逮捕されていた。東京地検特捜部長は昔、その捜査に加わっていたというのである。自分と兄は義絶しています、と男は言った。会社とも無関係である、と付け加える。

 男の兄は、その会社の前社長だった。しかし逮捕されたため社長を退任し、弟である男が会社を継いだ。マスコミはお家騒動とかクーデターと面白おかしく騒ぎ立てたが、男が立て直さなければ会社は潰れていただろう。映画と出版を組み合わせたメディアミックスの経営戦略が右肩下がりとなっていたところで社長の逮捕である。経営破綻してもおかしくない、危機的状況だったのだ。

 男の顔色が変わったのは、その時を思い出していたからである。断じて、贈賄に関与していたからではない。しかし東京地検特捜部長は、そう思わなかった。黒だ、との確信を深めたのである。

 東京地検特捜部長は男に対し任意での同行を求めた。

 容疑を晴らすためなら、致し方ないでしょう……と男が答えた、そのときだった。

 部屋の隅に置かれた観葉植物の植木鉢がボン! と大きな音を立てて煙に変わった。壁に掛けられていた薄型テレビに宇宙から放射されるマイクロ波の白黒画面が電源を入れていないのに映る。晴れていた空に見る間に黒雲が湧き、続けざまに稲光が煌めき雷鳴が轟いて、窓が真紅の雨に濡れた。続いて地鳴りが聞こえ高層ビルがガタガタと音を立てて揺れ動く。天井の照明が消えた。男と東京地検特捜部長が不安げに立ち上がり、顔を見合わせる。そして何者かの声が室内に響き渡った。

「二人とも安心して。隕石の衝突と富士山の噴火と関東大震災は、この私が今、防ぎました」

 二人は声のする方を見た。観葉植物のあった場所の煙が晴れて、そこに白い服を着た男が立っている。頭の上に光り輝く輪が浮かんでいて、背中に白い鳥の羽が生えていた。顔は老人で、任意同行を求められた男に酷似している。二人は、その男に見覚えがあった。

 二人が口を開く前に、天使みたいな外見の男が言った。

「東京地検特捜部長、私は抗議します。これは不当な権力行使です。尋問は取り調べ室ではなく武道場で行うつもりでしょう? 取り調べと称しリンチで自白を引き出す魂胆でしょうが、そんなことは絶対に許しません」

 そして男に笑顔で言った。

「潔白が証明されるまで異世界に雲隠れするといい。なーに、心配することはない。面倒を見てもらえるよう手配するから」

 天使っぽい格好の男はスマートホンを出して何処かへ電話した。

「あ、いつもお世話になっております。は、例の件で。ええ、お願いします。この前お話しした、あいつが、そうです、私の弟ですけど、はい、弟の方の角川ですが」

 男の方を見て頷く。

「弟の方の角川ですけど逮捕されそうなんで異世界に潜伏させます。どうか面倒を見てやって下さい。私も後から顔を出しますから。その前に、幻魔界転生の件を片づけないといけなくて。ご面倒をおかけして、すみません」

 そして男に白い粉をぶっかける。

「さあ、弟よ。異世界にトリップだ!」

 白い粉を頭から掛けられた男は一瞬で気を失った。

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