ハイボールとセブンスター
惣山沙樹
ハイボールとセブンスター
「好きだったんだ、高校のとき」
美沙はそう言って目を細め、またタバコを口にくわえた。
「好きって……誰を?」
僕がそう返すと、紫煙を吐き出し終わってから美沙は告げた。
「梨乃ちゃん。安原梨乃ちゃんのこと」
梨乃のことなら、僕が一番知っている。高校生のとき、僕が付き合っていた女の子なのだから。
そして、美沙の言う「好き」とは、友情以上のことを指していると、鈍い僕でもさすがに察しがついた。
「じゃあ、美沙は僕のことを恨んでるってわけ?」
今、美沙と一緒に居るのは、薄暗いショットバーだ。同窓会の帰り、なぜか二人で飲み直したいと彼女に誘われ、こうして横に並んでいたのである。
「恨んでまではいないよ。でも、梨乃ちゃんが同窓会に来ないのって、君と別れたからでしょう? 君に会いたくないからでしょう? だから、ちょっとはムカついてる」
美沙に誘われた理由が、ハイボール二杯目にしてようやく明かされたことに、僕は安堵しつつも、彼女の梨乃への想いをこれ以上聞きたくなくて、僕は目を瞑った。けれども美沙は続けた。
「あたし、今はもう他に彼女がいるの。でもね、梨乃ちゃんには一目会いたかったなぁ……。あんなに可憐で儚げな女の子、他に居なかったじゃない?」
僕は目を瞑ったまま頷いた。確かにそうだ。梨乃は学年の中でもトップクラスの美少女だった。なぜそんな彼女が僕に告白してくれたのか、今となってはよく分からない。
「ねえ、どうして梨乃ちゃんを捨てたの?」
「捨てただなんて、人聞きの悪い。単に、すれ違いが多くて、しんどくなっただけだよ」
ハイボールが入ったグラスがカランと音を立てた。僕と美沙は、もう一杯同じものを注文した。美沙はさらにタバコを取り出した。
美沙が喫煙者になっていたことに、最初僕は驚いていた。高校時代の彼女はとても生真面目で、「そういうこと」をまるでしそうにない女の子だったからだ。
今の美沙は、違う。スッキリとした黒髪は、当時のロングヘアの面影がまるで無く、丸くて大きな瞳だけが、当時のままだった。
「というか、美沙は女性が好きなんだね?」
「そうだよ。男性とは無理」
僕だって、美沙のような女性は苦手だ。彼女の誘いに乗ったのは、二人きりで飲んだ後でも、きっと何も無いからと踏んでのことだった。
「それは当時、知らなかったな。美沙は真面目だから、色恋沙汰に興味がないだけだと思ってた」
「そう。あなたにはそう見えていたのね。良かった。梨乃ちゃんへの想いは、ずっとずっと隠し続けていたからね」
梨乃。僕の元彼女。競争相手の多い女の子だったが、まさか同性にまで想いを寄せられていたとは、高校生の頃の僕は知る由も無かった。
三杯目のハイボールを受け取って、僕はそれに口をつけた。酒に強いのが幸いし、ここまで飲んでも僕の正気は揺らがなかった。そして、今の状態について考えを巡らせた。どうして美沙は、梨乃への恋心を今さら僕に打ち明けたのだろうか?
「あのさ、美沙……」
それを問いかけようとしたが、美沙に遮られた。
「ねえ、約束して。このこと、誰にも言わないって」
「う、うん」
約束も何も、全ては高校時代のこと。過ぎ去ったことなのだ。
美沙が小指を立てて僕に差し出した。指切り、ということなのだろう。僕はそれに応じた。やわらかな彼女の指の感触に、僕は思わずドキリとしてしまった。いけないことでも何でもないのに。
「梨乃を振ったのは、その、重かったからだよ。連絡が少しでも遅れると怒ったり泣いたりで、ついていけなくなったんだ」
まるで言い訳をするかのように、僕の唇はひとりでに動いていた。美沙はピクリとこめかみを動かした。
「あの頃は僕だって幼かったんだ。しょうがないだろう?」
「でも、捨てたことに変わりない。そして、梨乃ちゃんの処女を奪ったこともね」
僕は机に置いていたおしぼりをきゅっと握った。美沙の丸い瞳が、ネコのように怪しげな光を灯しだしたかのように見えたからだった。
「あたしが、梨乃ちゃんの処女を奪いたかった」
美沙のその言葉に、僕は何も返せずにいた。女性同士の恋愛について、というより、美沙の気持ちがよく分からない。それほどまでに彼女の情欲は激しいものだったのか。僕の心は打ち震えた。
こわい。美沙の事が、こわい。
「女の子同士だと、道具を使うしか無いけどね……。それでもあたしは、当時ずっと空想してたの。梨乃ちゃんにそういった道具を突き立ててやることをね」
そこで一旦、美沙の言葉が途切れた。
長い沈黙が僕たちを包んだ。
どうすべきなのか分からなくて、けれどもその静けさに耐えきれなくて。僕はこんなことを言った。
「タバコ、一本もらってもいい?」
「うん。でも禁煙中じゃなかった?」
「もうそんなの、どうでもいいよ」
美沙の銘柄は、セブンスターだった。久方ぶりの喫煙に、僕の肺は耐えてくれた。そうして、思い切って尋ねてみた。
「なぜ美沙は僕をここに誘ったんだ?」
「ただの憂さ晴らしだよ」
素直な気持ちを美沙は口にしている、と僕は感じ取った。憂さ晴らしというのは、それ以上でもそれ以下でも無いのだろう。僕はもう一つの質問を浴びせかけた。
「もし、梨乃にもう一度会えたとしたら、どうする?」
これは意地悪のつもりだった。僕の精一杯のあがきだった。
「何も言わない。梨乃ちゃん本人には、この気持ちは一生伝えない」
「じゃあ、なぜ僕に話した?」
「さっき言ったでしょう、憂さ晴らしだって」
ニヤリ、と口の端を歪めて、美沙は笑った。
それはとても、美しかった。
ハイボールとセブンスター 惣山沙樹 @saki-souyama
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