第8話 名は大事

「…名乗るの忘れてた。ごめん。

 神官隊長のキリルです。」


神官隊長…ということは、若く見えるけど偉い人なんだ。

失礼なことは言ってないと思うけど、これから気を付けよう。


「私も名乗ってませんでした…山川悠里です。」


「ヤマカワが家名で、ユウリが名前であってる?」


「あってます。ユウリって呼んでください。」


キリル…うん、日本人には見えないから違和感はないけど、家名は無いってこと?

でも、キリルさん、なんとなく動きとか雰囲気とかが、

気品ある感じなんだよね…いいところの人っぽい感じがする。

聖女がいるってことは、貴族とかもいるのかな。王子様とか。


…あぁ、もう、だんだんこの設定を受け入れ始めている自分に呆れる。

もう少し粘ろうよ…ドッキリとか、お金持ちの道楽に巻き込まれたとか…。


…だけど、キリルさんの表情に嘘が見えない。

昔から悪意があったり嘘をつく人の表情には影のようなものが見えていた。

ふわっとした黒いもやもやしたようなものが顔を隠しているのが見えた。


こんな異世界転移だの聖女だのが嘘だったとしたら、

キリルさんの顔は黒くなって見えなくなっていると思う。

だけど…曇ることなくはっきりキリルさんの凛々しい顔が見えている。

まっすぐに緑色の瞳がそらされることなく私に向かっていることも。


ずっとこれって霊感とかそういうものなんだと思ってた。

両親に言っても見えないっていうし、誰に言っても信じてもらえなかったけど。

これが異世界人だったからという理由なら、他の人に見えるわけないのか。


あぁ、でもなぁ。

律と一花に黒い影が見えたことは無かった。

私に嘘をつかないから無いんだと思っていたけれど違った。

私を騙していたのは事実なのに、ずっとそのことに気が付かなかった。

人を見る目なんて実際にはないのかもしれない。


だとしたら、キリルさんが嘘をついていないという証明もできない。


…それでも、律と一花と一緒に行動するくらいなら、

キリルさんを信じて騙されたほうがいい気がしてきた。


初対面で、まだ何の関係もできていない人に騙されたとしても傷は浅い。

そのほうがよっぽどマシだと思える。


キリルさんを信じて裏切られたとしてもたいして問題はなさそう。

簡単に騙されちゃって恥ずかしい、とか、そのくらいだ。

いや、キリルさんの話も簡単には認めたくないけど。

異世界転移も聖女も…

そういうのはもうちょっと主人公らしい人におきるものじゃない?


「うん。ユウリって呼ばせてもらうけど、

 説明しておかなければいけないのは、ユウリはこの世界の魂だってこと。

 だから、ユウリの本当の名前は違う。」


「え?」


「真名っていうんだ。知ってる?」


「…ファンタジーとかだと、

 真名を知っていると相手を縛る術が使えたりする、あの真名であってます?」


何だろう…なんとなく嫌な予感。

キリルさんの表情が少しだけ焦っているようなのも気になる。

フルネームで名乗っちゃいけないとか、そういうことだったりする?

もうキリルさんに名乗っちゃっているけれど、ダメだった?


「ああ。話が早い。

 その真名っていうのは、この世界だと魂に刻み込まれている。

 当然、この世界で生まれてくるはずだったユウリにも真名がある。

 だからユウリの真名を取り戻すための儀式を早めにしたいんだ。」


「急ぐ理由は?」


「今のユウリの真名はヤマカワユウリになっている。

 それを知るのが俺だけならいいけど、

 この世界に君のことを知る敵が二人ついてきているだろう?

 どこで利用されるかわからないんだ。

 儀式さえしてしまえば、ヤマカワユウリはもう真名じゃない。

 誰かに知られても問題なくなるん…。」


「早くしましょう!」


キリルさんの話をさえぎり、思わず立ち上がってしまった。

今、私の名前を知っているのは律と一花だけ。

もしあの二人をそそのかして、何か術を使われたら…

もう二度と三人離れることができない、なんて言われたら…それだけは嫌だ。


いや、もうキリルさんの話に騙されただけなんだとしたら、そのほうがいい。

でも、さっきから感じている。ここは何かおかしな場所だって。

キリルさんの話が全部本当なのだとしたら、危険な状態だってことになる。


真名で縛られて律と一花の言いなりになるのなんて、絶対に嫌。

その可能性をつぶすことができるのであれば儀式でもなんでもする!


「今すぐでいいの?儀式の説明とかまだあるけど…。」


「今すぐでお願いします。

 あの二人に真名を利用されるのは嫌なんです。

 キリルさんの話を全部信じたわけじゃないけど、

 ちょっとでもその可能性があるのが嫌なんです!」


思わず大きな声になってしまった。

あの二人につかまれた両腕が、まだ気持ち悪さが残っている気がする。


「…ずいぶん訳あり、なんだね?

 わかった。早いのが良いのは本当なんだ。

 すぐにやろう。説明はそのあとでにしようか。

 儀式さえ終われば、説明も短くて済むと思う。

 さぁ、行こう。」


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