第6話

「で、あと何分だ?」

「もうすぐです」


 キセの言葉に、口をへの時に曲げる。

 かれこれ 50 分は歩いている。目的地はギムナジウムの近くだと言っていたが、そもそも図書館テレリアから郊外に行くのにだって、徒歩で 1 時間近くかかる。それを 30 分で着く、とは一体何だったのだろうか。そう思い、また口をへの字に曲げる。

 原因はわかっている。

 キセは歩くのが早い。

 私の 3 倍くらい、早い。

 走ったら、並みの大人では、全然追い付けないのではないだろうか。

 超人だろうか。

 まぁでも、たまにそういう人は、いる。

 アリスさんも、小さい頃からなかなかの超人振りを発揮していたらしい。

 そういう、普通じゃない人たちが、新しい道を切り開いていくのだろう。

 そう納得して、キセの後ろを渋々ついていく。


「もうすぐです!」


 キセが嬉しそうに声をあげる。

 私は、手を萎びた海草のように振ってこたえた。

 キセは立ち止まって、私を待っている。すごく笑顔だ。こっちは足に痛みがあるのをなんとか歩いている状態なのに。

 なんか、悔しいっ。

 への字をさらに曲げてんにしながら追い付くと、キセは「着きました」。

 

 やっと、

     っ、――。


 息が、止まった。

 キセの指差した先に広がる景色に、目も心も奪われた。

 眼下に広がる、広い大地。

 そこに同心円状に広がり、層を作りながら広がる街並み。

 雄大さと緻密さ。

 規則的で対象的。

 自然にあるもの。

 つくられたもの。

 すべてが、馴染んで。

 すべてが、調和して。


「キレイだ」


 そう言葉が出た。


「ボクはこの景色が大好きなんです。だから、ジオさんに見て欲しいと思いました」

「わかるよ。こんなに。こんなにキレイなんだもの」


 キセを見た。嬉しそうに笑っている。

 私も、きっと笑ったのだと思う。

 もう 1 度、その景色を見た。


「整数は神が作った。その他の数は、人間が作った」


 誰かが言った言葉だ。

 その言葉は意味も分からず、でも確かに心の中に残っていた。

 その意味が少しだけ、分かった気がした。


「キレイだな。この景色も、数学も」

「はいっ」


 キセの元気な返事が、なんでだろうか、とても嬉しかった。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 キセはそのままギムナジウムに帰っていった。

 私は疲れた足をなんとか動かして街に帰ってきた。

 帰り道の途中で、広場に寄った。

 謎々エニグマからの出題があるか。

 それが気になったからだ。

 例の出題を、どんな人間が、どんな解答を残しているのか。

 実際に見ようと思った。

 そして、もしかすると。

 新しいものが出ているかもしれない。

 もし出ていたら、その場でさらりと解いてしまうのもいいかもしれない。

 そんなことを考えながら、掲示板の前に立った。

 そこには、以前の問題はなかった。

 同時に、新しい問題があった。

 その問題を見て。


 ――嘘、だろ


 その問題を、すぐには信じられなかった。

 そこには、こう書いてあった。


【問題】

 ある整数の二乗とあるの整数の二乗の和が、別の整数の二乗になるとする。

 例えば、3と4と5のような組み合わせが、それにあたる。

 このような整数の組み合わせを求めたい。

 どのようにすれば求めることができるだろうか。


 ――なんだよ。これ。


 これは。

 この答えは。

 アリスさんの発見した。私の最も好きな、定理だ。


 1 から順に奇数だけを足していく。

 その結果は、足した奇数の個数の 2 乗になる。

 つまり。


 1 = 1  2

 1 + 3 = 2  2

 1 + 3 + 5 = 3  2

 1 + 3 + 5 + 7 = 4  2

 1 + 3 + 5 + 7 + 9 = 5  2


 そうして、左の式の最後の奇数が何かの2乗になっていれば。

 例えば 9 は 3 の2乗だから。

 

 1 + 3 + 5 + 7 + 9 = 5  2

 1 + 3 + 5 + 7 + 3  2 = 5  2


 1 + 3 + 5 + 7 = 4  2と合わせて。


 1 + 3 + 5 + 7 + 3  2 = 5  2

  4  2 3  2 = 5  2


 これを続ければ、ずっと規則的に

 整数の2乗 + 整数の2乗 = 整数の2乗 という式が作れる。

 アリスさんの定理。

 そして同時に。

 この謎々エニグマからの出題の、解答だ。

 出題をする、ということは。

 謎々エニグマはこの解答を、この定理を知っている。

 意味がわからない。

 図書館テレリスで発見された定理は、門外不出だ。

 でも。

 図書館テレリアの外にあってはならないそれが、目の前にある。


 ――知識が、

       盗まれたんだ。


 怒りに奥歯を噛んだ。

 それから、図書館テレリスに向かって、すべてを忘れて、全力で走った。

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