第7話

 乱暴に図書館テレリアの扉を開けと、カウベルがビックリしたように鳴り響いた。

 誰かいないか!

 そう思いながら辺りを見渡す。

 誰もいないと思った瞬間、上から声が降ってきた。


「すいぶんとお急ぎみたいだね」


 上を見上げる。

 あまりにものんびりとしたその声の主は、2階の手すりから、身を乗り出してこちらに手を振っていた。


「アル!」

「はーい。アルだよ~」


 あまりにも緊張感のない声に、思わず大声が出てしまう。


「緊急事態だ。新しい出題がされていた」

「うん、知っている」

「アリスさんが見つけた定理だ。数学が、盗まれた」

「うん、知ってる」

「知ってるなら! なんでそんなにのんびりしてんだ!」

「落ち着いてよ、ジオ」

「落ち着いていられるかよ! 今から犯人を探してくる。どうせ人数は多くないんだ、すぐに見つけだしてやる」

「いいから、一旦落ち着いて」 

図書館テレリアの成員で、誰か来ているヤツはいるか? いや、答えなくて良い。探してくる」


 その言葉に、アルは呆れたように、諦めたように、答えた。


「いるよ」

「誰だ?」

「アリスさん」

「――アリスさん?」

「ボクの横にいるよ」


 アルがそういうと、2階の手すりの上に、小さな人影がひょこっと乗った。

 寝癖が小さく揺れる。

 まるで猫みたいな、狩りをする動物のような身体能力。

 タレ目の奥に、鋭い視線が光っている。


「よう。ずいぶん威勢が良いな。忠誠心も合格点だ。アルも見習え」

「無理ですけど、善処しますよ」

「お前な。そういうところだぞ、ダメなところ」

「ボクは、逆立ちしたってジオには敵いませんよ。それが事実です」

「謙遜は美徳じゃない。やめろ」

「アリスさんより、ボクの方がトップに向いています。引退してください」

「そういうとこだぞ」


 アルが肩をすくめると、アリスさんはニヒリと笑って、それから飛び降りてきた。

 静かな着地、寝癖が小さく揺れた。


「帰ってきてたんですね」

「ああ。つまらない出張だったよ。会うヤツみーんな、かね、カネ、金の話だ。数学の話なんてこれっぽっちもない。だから嫌なんだ。今度はジオが行ってこい」

「 2 度とゴメンですよ。あの世界は、私には相性が悪すぎます」


 過去に 1 度、アリスさんの指示で南にある港湾都市クレセントに出向いた。

 関税に関する、新しい数式の運用とアドバイザーとして。

 そして何より図書館テレリスの運営資金の調達のために。

 結果はさんざんだった。

 報酬の提示金額を下げられるわ、運用が軌道に乗るまで帰らせないわ。

 結局、アリスさんが出てきて丸く収まったが。

 もう、 2 度とやりたくなかった。


「そんなことより、例の出題の方だ」

「はい。いまから、 1 人ひとり確かめてきます」

「いや、そんなことはしなくて良い」

「でも」

「お前は、テレリスの中に裏切り者がいると思うのか?」


 アリスさんの問いに、正直に答えた。


「はい。それしか考えられないじゃないですか」


 それを聞いたアリスさんは、呆れたように「本気か?」

 その様子に、違和感があった。

 私は、何か間違っているのだろうか。

 そこに、アルの声が降ってきた。


「ボクもジオと同じ意見ですよ。内部から流出した可能性は、考慮する価値はあると思います」


 アルの言葉は、違和感があった。

 まるで、他の可能性があるみたいな、そんな言い方だ。


「ちょっと待てくれよ、アル。それは、どういう意味だ?」

「それが、最悪から 2 番目の可能性だってことだよ」


 最悪から、 2 番目? 2 番目って。どういうことだ?

 その様子を見ていたアルは、珍しく真剣な表情をして言った。


「最悪の可能性は、相手がアリスさん並みの天才だってこと」


 そんな。

 そんなこと、あるわけが。


「たぶん、そうだろうぜ」アリスさんは。

「なぜならオレがそう思ってるからだ」嬉しそうだった。

「相手は図書館テレリアにケンカを売ってきたわけだ。楽しくてしょうがない。そこそこ出来そうなヤツだし、相手になってやるさ」


 アリスさんの瞳孔が、縦に細くなる。


「回答には 3/5 , 4/5 , 1 を書いておけ。

 あとは。

  3 つの数字それぞれと、等しい比をもつ 3 つの数字を求めればよい。

 そう書いておけ」


 アリスさんはまるで、猛獣のような眼をしていた。


「それからな。こちらからも問題を出すぞ」


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「アル、何か良い問題はないか?」


 アルは肩を竦めた。それから。


「ジオが良い問題を持っていますよ」


 アリスさんがこちらを向く。

 出せ。

 無言にそう言っている。

 そんな、急に出せって。

 そう思ったが、すぐに心当たりに気がついた。


「こんなのは、どうですか?」


 私は、キセに出題した問題を書いた。


【問題】

 ある整数、L , M , N について、以下の式が成り立つ。


 (N/M + N/2 + 1 )× L = 2


 (1)この3つの整数( L , M , N )の組を、すべて求めよ。

 (2)それぞれの場合について。

  ① L

  ② (L×N) /2

  ③ (L×N) /M

  の3つの数字を求め、その組をすべて答えよ


 キセに出題した問題だ。

 そこにアルから教えてもらった、文字も取り入れてみた。


「なんだ。この記号は?」

「この記号は、アルの作った文字です。性質を表す数らしいです」


 それを聞いたアリスさんは、ニヒりと口の端をあげ、呟いた。


「不定量を表す記号か」


 それから上を向いて。


「アルっ! なかなか面白いものを作るじゃないか。この記号のセンスはなかなか良いぞ」


 アリスさんが誰かを誉めているところを、久しぶりに見た。

 やはり、アルは天才だ。

 アリスさんは、こちらに目を向けた。


「この問題を知っているのはアルとお前だけか?」

「いえ、最近入会した、キセという少年もいます。この 3 人だけです」

「どんなヤツだ」

「黒髪の、たぶん東国の血が入った、ギムナジウムの子です」


 そういうと、アリスさんはほんの少し考えて。

 それから。


「これで行こう」それから。

「なかなかに、悪くない。オレの多面体に関する定理。アルの文字。それを結びつけたジオの発想。図書館テレリスの出題として、なかなか格好になってる」


 アリスさんにそういわれると、悪い気はしない。

 むしろ嬉しい。

 もし尻尾があったら、ぶんぶん振り回していただろう。


「ありがとうございます」


 アリスさんは頷くと。


「それじゃあ、あとは全部任せた。半月ほどは南にいる。なにか動きがあったら知らせてくれ」


 そう言って、図書館を出ていった。

 カウベルの音が止むと、アルは言った。


「さて、ボクたちもボクたちの戦いを始めようか」

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