第8話

 それからしばらくは、なにも起こらなかった。

 こちらの出題に対して、謎々エニグマからの反応はなかった。 

 ただ、他の人間の解答だけが、つらつらと並んでいった。

 そのなかには、解答と共に「簡単すぎる」や「この程度か」と言った、そんな言葉も見られた。

 この状況に、私はイライラが溜まっていった。 


「こうもストレスが溜まるものだとは、なっ! なにもわかってない外野が、数字だけ書いて答えた気になりやがって。あー、もうっ! 」


 そう言ってから、怒りを沈めるためにパルフェを口に運んだ。

 向こう側にはアルとキセが座っている。

 私の不満に、アルは紅茶を飲みながら適当な相づちをうち、キセは心配そうに様子を見ながら私と同じタイミングで、パルフェを口に運んだ。


「今すぐにでも、解答を書いて、ぎゃふんと言わせてやりたいっ!」

「まぁ、そうだね。ボクもそうしたい。でも、もう少し待とうか。謎々エニグマからの解答が出てこないと、アリスさんの定理とボクの文字を出してまで出題した意味がないからね」

「わかってるよ」


 そう。


「わかってる」


 でも、心のわだかまりは、それとは別だ。

 パルフェの力をもってしても、収まりきらない。


「じゃあわかった。ボクが問題を出してあげるから、それを解いてみて。そうすれば、気が紛れるでしょ。折角だからキセも考えてみてね」

「ああ、それはいいな。私より先にキセが解けたら誉めてやるよ」

「そんなこと言っていいの? 案外、キセの方が先に解いちゃうかもよ」

「そうだな。可能性はないことはないな」


 解けるわけがない。内心では、そう思っていた。

 それもそうだ。算数数学で弟子に遅れをとったら、師匠失格だ。


「答えがわかったら、教えてね。それじゃあ問題。

 横の長さが100cmの帯を二等分したが、切り分けた後の横の長さは50cmではなかった。

 さて、何cmだったか?」

 

 ん?

 100 ÷ 2の答えが、50にならない?

 そんなことあり得ない。こんなの分かるわけが――。

 キセが手をあげた。そうして、アルに耳打ちで伝えた。


「キセ、正解!」


 その声に、キセはきゃっきゃと喜んだ。

 キセがそんな風に喜ぶ顔なんて初めて見た。

 それは嬉しいことだったが、今はそれ以上に、自分の面子が大切だった。

 その内心を見透かしたように、アルは流し目でこちらを見ていった。


「答え、聞きたい?」

「聞きたくない」

「答えは100cmでした」

「は? 半分にしたんだろ! なんで変わってないんだよ!」

「半分じゃない。二等分したんだよ」

「等しく分けたんだろ! なんで元と変わってないんだよ」

「キセ、ジオ君に教えてあげて」


 キセは私の様子を見て、困ったようにもじもじしながら。


「――横に切って分けたからです」 


 と答えた。


「あぁ。あー、ね。そうね。縦に切ったと思い込んでた。別に横に切ったって二等分になっているね」

「ジオは真っ直ぐな性格だから、そのぶん視野が狭いんだよね~」

「うっさい」


 そこまで言われて、やっと気がついた。

 視野が狭い、はもっと視野を広く持て、の意味だ。

 一度落ち着いて、この状況を俯瞰する。

 そうすることで、やっと理解した。

 アルは私のために出題したんじゃなく。


「……私を使って、遊んだな」


 アルは、驚いたような、苦笑するような、不思議な表情を浮かべて。


「正解」

「ふざけやがって」

「でも大切なことだよ。こんなときこそ、冷静になるべきだ。今のジオには、もう言うまでもないことだけどね」

「そうか、そうかもな」


 アルは良いヤツだ。

 なに考えているかわからないところもあるが、基本は数学が好きで好きでたまらない、良いヤツなのだ。


「でも、私で遊んだ落とし前はつけてもらうからな」


 そう言って、パルフェを追加で頼んだ。


「迷惑料だ」


 アルは肩をすくめて。


「勉強になるよ」


 そう、了承した。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 図書館テレリアに戻ってからは、キセに出していた問題の進み具合を聞いた。

 あれから色々考えたようだった。紙には無数の図形が散乱している。

 それらの試行錯誤をみると、解ける日は近そうだ。

 ただ、答えに近づけば近づくほど、キセの精神は削られていくだろう。

 それもそうだ。こんなにやって、見つからないのは、自分には無理だと思えても仕方ない。それは誰しもが体験する苦痛だ。

 だからこそ。

 解けたときの喜びも大きい。


「負けるなよ」


 そう、呟いて、私は私の仕事に戻った。

 そして、その瞬間は、以外にも早く訪れた。


 キセが。

     叫んだ。


 私は、その叫びを聞いて、不意に笑顔が浮かんだ。


「どうした?」


 わかっているのに、そんな言葉を投げる。


「解けたんです」


 疲れきった体に、満足した精神。

 そこには、数学を好きな人間の顔があった。


「やっと、解けました!」

「そうか、じゃあ、確認しようか。答えはいくつだった?」

「答えは 10 です!」

「正解。じゃあ次が大切だ。どうやって求めたのか。キセの解法を教えてくれ」

「はいっ」


 そう答えるキセの表情は、先ほど喫茶店見せた笑顔よりも、輝いていた。

 嬉しそうに弾むキセの第一声は。驚くほどに予想外だった。


「ツバキです!」


 えっ?

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