第9話

「ツバキって、なんだ?」

「お花の名前です。折り紙でツバキをつくる途中に答えがあることに気がついたんです」


 キセはそう言って、計算用紙を器用に折って正方形を作り、そこからその正方形を折り始めた。そうしてすぐに「ここです」と声を弾ませながら言った。


「斜めに折るんです。それを左下から右下、右上、左上。そうすると、真ん中に正方形ができるんです。斜めが4つ集まると、正方形ができます」

「へぇ。なるほどな」


 答えを出す過程はかなり独特だが、本質をとらえている。

 なにより「折り紙」というものが、幾何的で面白いものだった。


「面白い解法だ。たぶんこの解き方をできるのは世界でキセだけだろうな」


 そういうと、キセは笑顔を咲かせ。

「ありがとうございます!」と頭を下げた。

 さて。

 キセの問題も解決したし、次はこれだ。


「キセ。その折り紙ってヤツだが。面白そうだ。なにか教えてくれよ」

「はいっ」キセはそう、元気よく答えた。

「何が良いですか?」

「なにと言われても困るが、まぁ、さしずめ、キレイなヤツをひとつ教えてくれ」

「じゃあ、ツルを」

「ツルねぇ。それはなんだ?」

「鳥です。首の長い鳥です」


 首の長い鳥って。響きは不気味だ。

 にわとりみたいなヤツかな。


「よくわからんがな。教えてくれ。キセ先生」


 キセは早速、計算用紙から正方形を作り、私の前に置いた。

 そうして、慣れた手つきで、紙を折り出していった。


 キセから教わったツルは、なかなかに面白い造形だった。

 細かい作業が難しかったが、最後に隙間から空気をいれて膨らませる、なんてのはなかなかに面白い。完成形の見た目とバランスが、なかなか悪くない。

 なにより。

 折ったあとに元の正方形に戻すと、折り目が綺麗だ。

 もっと上手く作りたい。

 そう思いながら 3 匹目のツルを折り始めた時だった。


 ――から、かららん。


 カウベルが来客を告げる。

 顔を上げると、そこにいたのはアルだった。

 私を見ると、アルは右手に畳んだ紙を掲げて。


「来たよ」


 その言葉に、受付を飛び越えて、アルからひったくるようにその紙を取った。

 中を開くと、こう書かれていた。


  3つの整数の組、 (L,M,N) に対して

 (1)

  ( 4 , 3 , 3 )

  ( 6 , 3 , 4 )

  ( 8 , 4 , 3)

  ( 12 , 3 , 5)

  ( 20 , 5 , 3)


 (2)

  ( 4 , 6 , 4 )

  ( 6 , 12 , 8)

  ( 8 , 12 , 6)

  ( 12 , 30 , 20)

  ( 20 , 30 , 12)


 表向きの答えは合っている。

 でも知りたいのはそこじゃない。

 その先にたどり着けているか、どうか、だ。

 回答の下に、文章が続いている。


 また、この式の L , M , N について


  ① L = F

  ② (L×N) /2 = E

  ③ (L×N) /M = V

 

 と表すと。


  F ー E + V = 2


 が成り立つ。

 またこの式は、Fを面の数、Eを面と面の境界の数、Vを頂点の数としたときに、多くの立体で成り立つ。


「マジ、かよ」


 やりやがった。

 あの問題文から、アリスさんが発見した式


  面の数 ー 辺の数 + 頂点の数 = 2


 まで辿り着いてしまった。

 それになんだ。

 付け足された、最後の一文は。

 一部の例外を除いて、多くの立体で成り立つ?

 この式が成り立たない立体なんて、存在するのか?


「アル、この式が成り立たない立体、なにか思い付くか?」


 アルはすぐに答えた。


「四角い片眼鏡モノクルの縁」


 その答えに、私はすぐに頭のなかで計算する。

 面は16面。面と面の境界は32本。頂点は16個。

 ――――、そんな。 

 肩が落ちる。視界が落ちる。意識が落ちていく。

 今まで、正しいと思っていたものが、崩れさっていった。

 そんな私に、上から声が降ってくる。


「まだ、2枚目がある」


 私は。それでも。震えながら。

 1枚目をめくり。

 2枚目を見た。

 そこには。


 また、2番目と3番目は、面と頂点の数が入れ替わった双子である。

 双子とは。

 面の中心を頂点とし、その頂点を結ぶことで、互いに移り変わることができる。

 という性質である。

 4番目と5番目も双子である。

 また、1番目はそれ自身と双子である。


 私は、1枚目の紙に戻って、数字を確認した。


「・・・・・・――――、・・・・・・―――。」


 何かが。声になる前に漏れていく。


 こんなことが、

        あるのか。


 こんな、こんなに

        綺麗だなんて。


 こんな、こんなに、こんなにも

        綺麗な規則性と対称性が存在するなんて。


 ずっと見続けている紙に、ぽっ、と音が落ちた。

 それから、自分が泣いていることに気がついた。

 目をつむり、双子の図形について、考える。

 正六面体のなかに、正八面体ができる。

 その正八面体のなかに、正六面体ができる。

 その入れ子構造が永遠に、続いていく。 

 そうして、頭のなかにある永遠の美しさを満足するまで続けて、それから目を開けた。

 そこにある式を、綺麗な関係性を、もう一度目で確認した。


「――なぁ、アル。――数学って、綺麗だな」

「――ボクも、そう思うよ」


 敵も味方もない。

 そこにあるのは、常に真実だけだ。

 その真実に、私は心を動かされた。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 暫し時間がたって、私も落ち着いた。

 そして、これからについて、少し考えなければならなかった。


「相手さん、なかなかたいしたヤツだったみたいだな」

「まぁ、そうみたいだね。少なくてもアリスさんクラスの数学者ではあるみたいだね」

「私は正直、アリスさんの上を行ったと思ったけどな」

「そうでもないよ。最初の式の例外だって、アリスさんは知ってたよ。ボクは教えて貰っていたから、あの額縁の例も、すぐに出てきたんだ。二つ目の双子の話も、アリスさんはきっと知ってたと思うよ」

「本当か」

「だって、考えてみてよ。5つの正多面体に割り当てられた信条」


 正対面体一つひとつに割り当てられた信条。

 正四面体は真理

 正六面体は情熱

 正八面体は冷静

 正十二面体は挑戦

 正二十面体は思慮


 そこで、はっと気がつく。

 情熱と冷静。挑戦と思慮。

 これらは互いに組になっている。

 まるで、右と左のような、そんなペア。

 真理も、それ自体で完結したものだ。

「気がついたみたいだね」アルは笑顔で言う。


「アリスさんはきっと、この関係に気がついていた。

 だからこんな割り当てをしたんだよ」


 アルがこっちを見ながら、言った。


「きっと、アリスさんなりのクイズだったんだ。

 誰も理解していなかった。

 謎々エニグマだけが、もっともアリスさんの定理を理解していたんだ」


 アルは、悲しそうな、寂しそうな。

 でも、何かの決意があるような。そんな表情をした。

 きっと、私も同じ表情をしているのだろう。

 付き合いが長いぶん、何となくそうな気がした。


「ま、これでめでたく、相手が実力者であることがわかった訳だ。事態は最悪だけれども、状況が確定したからね。対策は取れるよ」


 そういうと、アルは私に背を向けてた。


「このことはアリスさんに伝えてある。そのうち返事が来るだろうけど、アリスさんの性格を考えたら、たぶん全面戦争になるとおもう。だからボクは、出題をしたいと思っている。

 図書館テレリスの知識を使ってね。

 それが、相手の力を見ることと、こちらの実力を示すことができる、もっとも簡単な方法だから。もちろん、図書館テレリスの知識を使うからには、アリスさんの許可が必要になるだろうけどね」


 それから、振り返って。


「ジオはどうする?」


 私は考えた。正直に言えば、さっきの出来事が衝撃的過ぎて、頭のなかがまだ整理できていない。すぐにどうしよう、とは言えなかった。


「さっきのことで、正直よくわからなくなった。私が太刀打ちできる相手じゃないかもしれないって。ちょっと落ち込んでる」

「そんなことないと思うけどね」


 アルはそういったあと。


「でも、そうかも知れないね。ジオは十分な力を持っているよ。才能もあるし、努力もできる。でも多分、今のままじゃ、ダメだと思うよ」


 あはは。

 優しく言ってるけど、結論はダメってことじゃないか。

 まぁ、正直に言ってくれているところが、今は救われるけれど。

 でも、結局。どうしたら良いかは、わからないままだ。


「なぁ、どうしたら良いと思う」

「ずいぶん、弱気だね。どうしたら良いか、は自分で決めることだと思うよ。この世界は数学じゃないんだ。正解はない。ううん。正解は自分でつくって、自分で決めるものだ。

 ボクはそう思っている。だから、ボクは自分で決めた。だからジオにも、自分で決めろって言うよ」

「手厳しいな」


 でも、その通りなんだろうな。


「でもまぁ、時には誰かからの一言も必要かもね。ジオには耳が痛いと思うけど、それでも聞く気はある?」


 たぶん、辛い思いをするだろう。

 でも、覚悟を決めて「頼む」言った。


「すべてを疑うと良いよ。ジオは真っ直ぐだ。だから、いつも道が一つしかない。下を向きながら、一番広い道を歩いている。ジオは良い眼を持っている。なのに、全然回りを見ようとしないんだ。それがもったいなくて、ボクはきっとイライラしているんだ。それが、ジオの問題だとしてもね」


 よく言われた。

 小さい頃からずっと。

 真面目だ。

 良い子だ。

 それは、何の役にも立たなかった。

 そして、堪らなく嫌だった。

 でも。どうしたらいいかは分からなかった。

 それは、今でもそうだ。


「どうすればいい?」


 そういうとアルは明るく笑顔で答えた。


「お勧めは、アリスさんを、グーでぶっとばすこと」

「ちょっと意味がわからない」

「やろうと思いさえしなかったことをやってみたら、ってこと」


 それから「もちろん冗談だよ」とウィンクをして見せた。 

 それだけ言うと、「じゃあ、また今度ね」そう言って、アルは出ていった。

 カウベルが鳴り終わったあと。


「結局、どうすりゃいいんだよ」


 そう、呟いた。

 考えても仕方がない。

 今度アリスさんにあったら、一回殴ってみよう。

 返り討ちにされる姿が目に浮かんだ。

 それが、あまりにも滑稽で、笑ってしまった。

 ほんの少し、気持ちが晴れた。

 よし。

 泣いて出ていった何かを、完璧な食べ物で補給しにいこう。


「キセ」

「はいっ」

「私の考えていることがわかるか?」


 キセははっとしたような表情をして、それから机の上を片付けた。

 それから、身なりを整えて、私の前で「よろしくお願いします」とお辞儀をした。

 よし、良い子だ。


「では、行くぞ!」


 大人と子供は、大切なものを補給しに、図書館テレリアを旅立った。

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