第49話

「円積問題について、――」


 言葉を切る。

 それから。


「――私は、亀には追い付けませんでした」


 アルは目を伏せ、アリスさんは口の端をあげた。


「面白い例えだな。聞かせてくれよ、その意味を。ジオと亀の追いかけっこを」


 アリスさんの攻撃的な笑み。


「そこに至るまでの過程を」


 私は目を伏せてそれから、力なく笑った。


「それでは、円積問題と、限りなく続く物語を始めます」


 それから、折り紙を取り出す。

 まずは斜め 45° に折り目をいれる。

 それから、縦に折り、縦の折り目と斜めの折り目の交点に印をつける。


「これは、角度を90°の半分、縦の長さを半分にした線の交点です」


 次に、最初の45°を半分の22.5°にする折り目をつけた。

 もうひとつ、縦の長さの半分を、さらに半分にする線を折った。

 その交点に印をつける。


「これは、90°の半分の半分。そして、縦の長さの半分の半分にした線との交点です」


 そこで、一度折るをやめた。


「この折り方を続けていけば、 90° の 1/2 , 1/4 , 1/8 , 1/16 , …… の角度と、一辺の1/2 , 1/4 , 1/8 , 1/16 , …… の長さの交点を、折り線から見つけることができます。この時に折り線によってできる直角三角形を利用することで、ことができます。そして、それこそが、円周率にたどり着く鍵でした」


 アリスさんとアルの表情が変わる。

 心中で、なるほど、と頷いているのがわかる。

 だからこそ、その先を渇望している。

 待ちきれないように、アリスさんが言った。


「それで。それがどうして亀とつながる?」


 私は、その先を続ける。


「先程の折り方を仮に 3 回行ったとしましょう。こうしてできた直角三角形に注目します。この直角三角形の横の長さは一辺の、1/8 になっています。よって 8 個並べると、折り紙の一辺と一致します。また 16 個集めて組み合わせると、正八角形が作れます。この時、直角三角形の縦の長さは正八角形の辺までの距離に。折り紙の横の長さは、正八角形の辺 4 つ分。すなわち半周に一致します。これを、 4 回 5 回と繰り返していけば」


 そこまで言うと、不意にあの時の記憶が甦った。

 円周率を求めるために、この円形都市コンパスを実測した時のこと。

 正多角形の一辺を求めるために、数学を武器に実測を行った。

 あの時に測った一辺が、理論上ではあるが、折り紙で再現できる。

 その事実に、自然と笑みが浮かんだ。


「繰り返していけば、正多角形の角が多くなり、できる図形は円に近づいていきます。回数を増やせば増やすほど、正確な半径と周の半分に近づくことができます。そしてそれは、半径と円周率の比を、折り紙で求めることができることを示しています」


 そう。

 繰り返すことで、正確な値に近づくことができる。

 だが。

 ――それは。


「それは、決して追いつけない亀です。

 どんなに足の早い者でも、前を走る亀には追い付けない。なぜなら、亀が居た場所に到着した瞬間、亀はもう先に進んでいるから。その先に進んだ亀が居た場所に到着した瞬間、亀はやはり先に進んでしまっている。どんなに足が早くても、足の遅い亀に、決して追いつけない。

 延々と続くものが持つ、未知の力。私はまだ、その力を完全には理解していません。だからこの方法では、円周率に近づくだけで、決して届きはしません」


 三人の表情を見た。

 最後の結論を伝える。


「話が長くなりました。結論を言います。円積問題は解決できませんでした。私には、円周率が、どこまでも限りなく続く、その先にあるものだということしか、分かりませんでした」


 一呼吸。

 そうして、証明の終了を宣言する。


「以上が、私の全てです」


 ただ、静かだった。

 その静けさを、奥歯を噛みながら。

 それでも口の端をあげて、聞いていた。


「――ひとつ聞きたいんだ」


 その声は、アリスさん。


「三大問題のうち、角の三等分線と倍積問題については、折り紙で解決できることがわかった。だが、この証明には大きな欠点がある。それを、ジオは理解しているか」


 ああ。

 やっぱりアリスさんだ。

 そうだ。

 それを言ってもらえて。

 その人がアリスさんで。

 私は嬉しかった。

 顔をあげる。

 アリスさんの真剣な表情を、笑顔で受ける。


「はい」


 それから。


「これは、です」


 そう。

 これは作図ではない。

 作図は、コンパスと定規のみで行わなければならない。

 そして、三大問題はすべて、だ。

 つまり。

 私の挑戦は、最初から実を結ばないことが分かっていた。

 知っていて、それでも挑戦した。

 ただ、そうしたかったから。

 アリスさんは、私に言った。


「では、問おう。ジオの行ったこの3つの結果のうち、もっとも価値のあるものが分かるか?」

「――。価値があるかはわかりません。ですが」


 私は、思ったことを、そのまま言った。


「最後の円積問題が、一番楽しかったです」


 アリスさんは驚いた顔をして、それから。

 カラカラと笑った。

 まるで子供みたいに、本当に面白そうに、笑っていた。


「正解だよ。ジオの結果の中で、証明ができなかったものが、最も価値がある。理由は 2 つだ。他の 2 つは折り紙で解決可能だ。しかし、円積問題だけはできなかった。となればこれは他の 2 つとは質の異なる問題だということだ。そしてなにより。円周率を解き明かすためには、限りなく続くもの、ここでは無限と呼ぼうか。その無限の理解を必要とすることが分かった。謎々エニグマの作ったあの『…』の記号も無限を含むものだと解釈すれば、納得もするさ。円周率の理解に至る道が示された。証明できないこと。それが、もっとも価値のあるものだった」


 そういって。

 アリスさんは。

 拍手をした。


「久しぶりに、良い数学を見せてもらった。ずっと待っていた、ジオの数学をな」


 その言葉に、拍手が重なる。

 アルと、キセ。

 三人の拍手を聞いた瞬間、色々な気持ちが込み上がって。

 なにも見えなくなった。

 なにもできなくなった。

 ただ、あたたかかった。

 ただ、声を絞り出した。


「――ありがとう、――ございます」


 そのあとは、ただひたすら。

 図書館テレリアで過ごした日々の記憶の波が、暖かく、流れていった。

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