第46話

 希望は、絶望に変わる。

 何をやっても、道筋が見えてこなかった。

 何度も挑戦して、何度もダメだった。

 そうして気がつくと、1ヶ月が過ぎていた。

 ――はは。と力なく笑う。

 完全に手詰まりだった。

 机の上の紙という紙を、腕で払った。

 それから、その空いた場所に頭を置いた。

 無理だ。

 その言葉が頭をよぎる。

 ダメだ。

 無理だと決めた瞬間に、歩みは止まる。

 頭を持ち上げて、それから、払った紙をまとめて机の上に戻した。

 その時に、それを見つけた。

 鍵だ。

 アリスさんからもらった、地下書庫の鍵。

 それが解決になるとは、思えなかった。

 でも、じっとしていてはいけないことだけはわかっていた。

 私は立ち上がって、ふらふらとしながら、家を出た。

 もうろうとしながら、何度も通って体が覚えた道を、図書館テレリアに向かって歩いた。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 図書館テレリアではアリスさんがいた。


「良い顔になったな」


 アリスさんの言葉は、右から左に抜けた。


「地下書庫、お借りします」


 そう言って、アリスさんの前を通りすぎて、地下書庫に向かった。

 地下書庫の扉を開けると、そこは壁が一面、本で埋まっていた。

 前に見たときは、本の海だったのに。

 きっと、私がいつでも使えるようにしていてくれたのだろう。

 ありがたい。

 本を探すのが、少しだけ楽になる。

 私は最初に、手近にあった本棚の一つを、倒した。

 床に本が散乱する。

 これで、一つひとつ取り出す手間が省ける。

 床に広がった本を手に取り、確認して、本棚に戻していく。

 本を手に取り、確認して、本棚に戻していく。

 そうして、使えそうな本と、関係ない本に選り分けた。

 2つ目の本棚に取りかかった時に、入り口から声が聞こえた。


「こらこら」


 アリスさんだ。

 なにか、用だろうか?


「本は大切に扱え」

「すみません。ぼんやりしていました」

「だろうな。見ればわかる」

「すみません」

「取り込み中で悪いが、上にいってくれ」

「なぜです?」

「トリルが来ている」


 トリル?

 誰だろうか?


商会ヘルメスのトリルだ」


 ああ。思い出した。

 正七角形の作図を依頼された人だ。


「私に、ですか?」

「ああ。行ってくれ」

「わかりました」

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 トリルさんは私を見ると、立ち上がって会釈をした。

 それから、ふっと笑って言った。


「良い顔をされていますね」

「そうなのか。どんな顔をしている?」

「疲労と苦悩が、べったりと張り付いていますよ」

「ああ。それは確かに良い顔だ」そう言って、苦笑する。

「お陰で、楽しくてしょうがないかな」


 それから、本当に笑った。


「では、用件を手短にお伝えします。正七角形の折り紙ついてのご報告です」


 そう言って、一枚の紙を出した。


「折り紙での正七角形は、内外問わずに非常に好評でした。その証拠に、記念として鋳造したメダルは、当初に設定した価値の 20 倍の価値で取引されています。結果として、我々商会ヘルメスも七商会の中で牽引としての立ち位置を確保することができました。すべてジオさんのお陰です」


 ああ。そんなことか。

 わざわざ教えに来てくれるなんて。


「律儀ですね」

「いえ。当然のご報告です。――それから」


 その言葉を聞いて、直感的にわかった。

 本題はこちらだ。

 その証拠に、トリルさんの目から柔和な雰囲気が消えて、尖っていく。


「正多角形の作図について、です」


 アリスさんが「面白そうな話題だな」。

 刺々しい反応をした「用件を聞こうか」。


「はい。ジオさんから教えていただいた、正多角形の作図に関する可能性についてお聞きしたいと思います」


 アリスさんの視線がこちらに向く。

 ――そういう面白そうなことは、共有しておけよ。

 きっと、そういう意味だ。

 私は、アリスさんに伝わるように答えた。


「あの、角度と高さを対応させる手法について、ですね」

「はい。それで、他の正多角形は作図できるのか。またできないとしても、どの程度の精度でできるのか。この2つをお聞きしたくて来ました」

「――違いますよね」


 私の言葉に、トリルさんは雰囲気を変えた。

 目の前に座っているのは、商人の頂点だった。


「失礼しました。端的に申し上げましょう。ジオさんのあのアイディアを、商会ヘルメスにお売りください」


 私はアリスさんに目を向けた。


「構わん。ジオの好きにしろ」それから。

「売る場合は、相応のものを貰うがな」

「というわけです。お譲り致します」それから。

「でも、なぜわざわざ許可を? そんなもの、なにも言わずに使えば良いのでは?」

図書館テレリアとは、懇意にさせて頂きたいので」


 トリルさんの言葉に、アリスさんは口笛を吹いた。

 その反応を見て、トリルさんはアリスさんとは目を合わせずに「そういうことですので」とだけ言った。

 二人の間でしか分からない何かがあった。

 でも私には、興味がなかった。

 あとは、図書館テレリア商会ヘルメスの話だ。

 早く、地下書庫に戻ろう。


「用件はすんだみたいですね。それでは、私はこれで失礼します」


 そう言って、その場所を離れた。

 地下書庫への階段を降りる途中。


 ――角度を。


 思考がざわつく。


 ――高さに。


 アイディアが、形をつくって、身動ぎをしている。


 ――対応させる。


 図が頭に浮かぶ。

 正方形の折り紙。

 左上の角から右下の角に、虹のような弧がかかる。

 それは、角度だ。

 角度は、弧だ。

 右下の角から、弧の上を点が動いていく。

 右下の角から、正方形の辺を、別の点が動いていく。

 左下の角から、弧上の点に線が延びる。

 正方形の辺上の点から、垂直に線が延びる。

 二つの直線は、一点で交わって。


「――っ――ぁ」


 声にならなかった何かが、もれていった。

 頭の中で。

 

 


 頭の中にあるものを。

 確かめる時間と。

 空間が欲しかった。

 震えながら。

 地下書庫に入って。

 鍵をかけた。

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