第39話

 翌日。

 私は図書館テレリアに行った。

 アリスさんはいるだろうか。

 そんな不安があったが、それは杞憂だった。

 図書館テレリアの扉を開ける。

 カウベルが。

 そして声が、私を迎える。


「お前の仕事はなんだ?」


 アリスさんだ。

 受け付けに座り、つまらなさそうに、本を開いている。


図書館テレリアの来訪者の対応と、本の管理です」

「そうか。ならばちゃんとやって欲しいところだな」

「すみません。アルのことで、気持ちの整理ができずに、図書館テレリアを空けてしまいました」

「理由に興味はない。さっさと仕事をしてくれ」


 アルのことは、聞きたくない。

 そういうような言い方だった。

 胸が締め付けられる。

 喉が締め付けられる。

 でも私は、やらなきゃならない。「アリスさん」

 私は、声を絞り出した。「アルのことで話があります」


「なんだ?」

「アリスさんは、アルが戻ってくると言ったら、受け入れますか?」

「つまらん命題だな。仮定が偽だ。従ってどんな結論でも、正しい命題になる。お前はどっちを期待しているんだ? 受け入れる方か、受け入れない方か?」

「本気で答えてください」

「何度も言わせるな。仮定が偽だ。アルは戻ってくるとは言わない」

「言いました」


 アリスさんはそこではじめて、こちらを見た。


「ほぅ。オレの知る限り、アルはそんなヤツではなかったはずだが」


 アリスさんの口の端がつり上がる。

 少しの興味。

 それ以外の、いっぱいのナニカを感じる。


「聞かせてくれよ」

「アルがここを出て行く原因は、外部へ知識が出ていくことを禁止しているからです。それを撤回してください」

「話にならんな」

「なぜです? アルは昔からの仲間じゃないですか。なんで、こうも簡単に行かせるんですか? 私は納得できません」

「アルが行くと言ったんだ。それが全てだろ」

「納得したいんです。教えてください」


 その言葉に、アリスさんは目を細めて、笑った。


「お前はな、ジオ。鳥が囀ずるのを、やめさせることができるか?」

「それは、無理です」

「そうだな。オレにだって無理だ。それは、空気みたいに、当たり前のものだ」

「それとこれとは、話が違います」


 アリスさんは「違わない」ピシャリと言った。


「そして、それを違うものだと思っているお前は。話にならないほど無知だ」

「ならば教えてください!」

「面倒なヤツだな」


 アリスさんは、仕方なさそうに言い出した。


「お前にとって、数学とはなんだ?」

「――世界の真理を教えてくれる、パズルです」

「だろうな。お前の数学には、お前と世界しかない。どうせその程度だ」


 アリスさんはわらう。


「オレとアルがやっていた数学は、国を背負っている。無知なお前にも、分かりやすいようにいってやる。世界は大きく変わりつつある。大型船の造船は円だった世界を、球に変えた。世界は広がった。であれば次に起こるのは戦争だ。勝って当たり前、負ければそこで終わり。そんなことを、退路を絶って、本気でやるんだ。だったら、どんなに馬鹿げていても、できることは全部やらないとな。戦争には数学がいる。数字が関わらないものなど、存在しない。だから、図書館テレリアは存在している。数学は大切な切り札だ。と同時に諸刃の剣だ。間違った使い方をすれば、致命傷にもなりかねない。オレは、使い方を間違えない。他の人間には、それは無理だろう。命、名声、富。これらを提示されて、動かない人間は、多くはない。今この瞬間、数学は熱望されている。それが流出すれば、乱用されるだろう。権力や富や名声の道具として、利用されるだろう。国は堕落して、人々が煽りを食らう。図書館テレリアは切り札であると同時に、最後の防波堤だ。だから、オレは、数学を広めることなんて、しない」


 アリスさんが、口の端をつり上げて、こちらを見た。

 ――わかったか?

 そう、言っているようだった。


「お前は、数学が好きだから続けているんだろ。オレやアルがやっていたことは、そんなレベルじゃないんだ。この国の行く末を背負って、やっていたんだよ」


 アリスさんは、ずっと笑っている。


「これが真実だ。でも、オレはお前を責めんよ。せいぜい数学を楽しんでれば良いさ。今の環境に満足して、誰かの背中を見ながら楽しく数学をやれば良い。そんなヤツが、新しい発見を出来るとは思えない、ってだけだ。オレは今ここで、お前に期待するのは止める。それだけのことだ」


 違う!

 アリスさんの言葉を、認めたくはなかった。

 私は――


「私は、正七角形を折り紙を使って作る方法を発見しました」


 アリスさんの表情が、驚きに変わった。

 それからすぐに、また、わらった。


「どうせ、お前ひとりでのことじゃないだろ」

「……はい」

「その正七角形の作成に、お前はどのくらい貢献した?」

「……1割、くらいです」

「だろうな。予言してやるよ。お前の絶頂は、あの謎々エニグマへの出題のときだ。誰かの考えたものと、別の誰かが考えたことを、見た目良く繋ぎ会わせるだけ。それがお前の限界だよ」


 悔しさに奥歯を噛んだ。


――違う!

 そう叫んでしまい気持ちは、別の思いでかきけされた。

 アリスさんの言葉は、胸の奥底にある想いを言い当てていた。

 誰かが作ってきてものを借りて、適当に組み合わせて。

 そうして、なんとか形にしてきただけ。

 私は、なにも、できていない。


「自分が立っている場所が分かったか? じゃあ、十分だ。今日はもう帰れ」

「――失礼します」


 そう行って、下を向いたまま図書館テレリアを出た。

 家に戻り。

 布団をかぶり。

 絶叫した。

 自分は、自分の思っていた以上に、無力だった。

 それが、痛いくらいに刺さって。

 悲鳴をあげることしか、できなかった。

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