第38話

 ギムナジウムでは、アルが小さい子供たちと一緒に神経衰弱をしていた。

 しかも子供たち3人をまとめて相手していた。


「はい。これでボクの勝ち」


 しかも容赦していなかった。

 子供たちが、本気で悔しがっているのを、ニコニコしながら見ている。


「「「もういっかい!」」」

「3人とも仲が良いなぁ。いいよ。もう一回やろう。でも、ただやっても面白くないから、作戦を作って欲しいな」

「じゃあオレ、あんきするの得意だから、1から8をあんきする」

「それだったら、ボクは9から11をおぼえる!」

「わたしは12と13」

「よし。じゃあ、それでやってみようか。果たしてボクに勝てるかな?」

「ぜったいに勝つ!」「「かつ」」


 そんなやり取りをしながら、トランプをかき混ぜ始めた。

 そんな様子を指差して、アッシュに言った。


「めっちゃ馴染んでるな」

「助かってるよ」


 そう言って、アッシュは、アルに声をかけた。


「アル。ジオがお前と話をしたい、と」

「あ、ジオ。久しぶり~。この勝負のあとで良い?」

「ああ。時間ができたらで大丈夫だ。悪いな」

「いいよ~」


 そんな呑気な返事をして、子供たちと勝負を始めた。


「私の部屋で待っている」


 そう言って、アッシュは歩きだした。

 私は、その後ろをついていった。


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 アッシュの部屋は、簡素だった。

 書き物机と椅子がひとつずつ。右と左の壁は本棚。

 向こうに、明かり取りの大きめの窓。

 入り口の影に、時間を感じるソファがひとつ。

 それですべてだった。


「適当に座ってくれ」


 アッシュはそういうと、書き物机の椅子に座った。

 それから、書類を出してにらめっこを始めた。

 私は、本棚の前に行き。


「借りても良いか?」


 返事はなかった。

 それを了承の意味だと受け取って、本を手に取った。

 それは数学の本だった。

 まさかと思い、他の本も手に取ってみる。

 すべて、数学の本だった。

 図書館テレリアには遠く及ばないにせよ、個人でここまで数学の蔵書を保有しているのは、恐らく円形都市コンパスのなかにもいないだろう。


「おどろいたか」

「ああ。個人でこんなに蔵書を集めるは、並大抵のことじゃない。大変、なんて言葉じゃ足りないだろう」


 アッシュを見て言った。


「数学に対する愛を感じるよ」


 アッシュは平坦な視線で言った。


「その金はどこから出てると思う?」


 その言葉で、はじめて考えた。

 そして、その答えは明白だった。

 それを見て、アッシュは言った。


「この本は、オレの罪だ。子供たちに働かせて、オレはその金で本を買う。そんなことをしてまで、オレは数学をやりたいんだ。そんなヤツの数学を、お前は美しいと思うか?」

「――子供たちが笑顔じゃなかったら、したかもしれないな。だが、そうじゃない。私はそう思うよ」


 アッシュは、小さく笑った。


「私は、数学に救われた。だから、同じように数学に救われる人が増えるように、なにかできることをしたい。そう思っている。だからこそ、図書館テレリアの思想は、受け入れがたい」


 それから、軽い口調で。


「お前がなんとかできないのか」

「そんなこと、考えもしなかったな。たぶん無理だ。アリスさんは自分の決めたことは、決して曲げない」

「そうか。まぁ、いい。どうせもう、謎々エニグマは解散するしな。アルがアルの道を行くなら、オレは、オレの道を探すさ」


 そう言ってから、ドアに向かって言った。


「気を使わせたな。入って大丈夫だ」


 そういうと、ドアは開きアルが入ってきた。


「話は、終わった?」

「ああ。もとからたいした話じゃないからな」

「それはよかった」


 そんなやり取りをして、アッシュは部屋から出ていった。

 代わりに、アルが部入る。

 アルは私の横に立ち。


「ここ、座って良い?」

「ああ。どうぞ」


 それから、うん、と頷いて、私の横に座った。


「ごめんね」

「なにがだ?」

「ジオの大切にしていたものを、ボクが壊してしまったから」

「いいよ。アルの人生だ。アルが決めたことなら、それをとやかく言う資格は、わたしにはないよ。それよりも、これからどうするんだ?」

「旅に出るつもり。そうして、色々な場所に行って、教えられたり、教えたりするつもり。楽しそうでしょ?」

「ああ、それは楽しそうだな」

「ジオはどうするの?」

「分からんな。たぶん、図書館テレリアにずっといると思う」


「そうか」アルの表情は「ジオらしい答えだね」悲しそうに見えた。


「ジオは覚えているかな。昔、ジオがボクの作った問題を半日考えて、結局解けなかったこと」


 私は、苦笑いを浮かべて答えた。


「ああ。覚えているよ。もう20年も前か。あの問題を解いて見せたくて、図書館テレリアに入ることになったんだ。忘れないよ」


 それから。


「そうか」


 謎々エニグマの正体がアルだったなら。


「私は、昔も今も、アルの問題を追っていたんだな」


 アルはなにも言わずに、笑って返した。


「それも、もうなくなるのか」


 その言葉を言った瞬間、アルがいなくなることに実感がわいた。

 楽しかった時間が、終わる。

 覚悟していたのに、まだ後ろ髪を引かれている。


「なぁ、アル」私は、我慢できずに、その言葉を口にした。

「旅になんかいくなよ。アルが戻るっていったら、アリスさんはなにも言わないよ」

「――そうかもしれない」

「だろ。私も一緒に」アルは「でもダメなんだ」言葉を遮っていった。

「ボクは、もっと数学を知りたいんだ。だから、図書館テレリアに居たんだ。昔はそれでよかった。でも、今はダメなんだ。√を見つけてから、連分数を見つけてから。伝えたい気持ちが大きくなっていった。知りたい気持ちと同じくらい、いやそれ以上に。伝えたいんだ。未知の数学の世界を、美しい式の煌めきを」


 アルは下を向いた。


「それは」悲しそうに言った。「図書館テレリアでは、できないんだ」

「どうにか、できないのか?」


 アルは、笑って言った。


「笑って、祝ってくれよ。門出なんだからさ」


 感情が流れて行きそうだった。

 笑うことなんて、できなくて。


「チャンスをくれよ。アリスさんを説得するから」


 震えた声で、必死に訴えた。


「そうじゃないと」嗚咽混じりに「納得できないんだ」声にならない声で「たのむよ」。


 床に、ポツリポツリと、シミが広がっていく。

 その様子を、奥歯を見ながら、見ていた。

 そうして、感情が消えてなくなるのを、待った。


「いいよ」


 アルは言った。


「ちょうど準備も必要だからさ。一週間。その間に、アリスさんを説得できたら、その時は図書館テレリアに戻るよ」

「絶対に、説得する」


 その声に、アルは笑って言った。


「まただね。またボクは、ジオを変えることができなかったな」


 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 コンコン。

 扉がノックされた。それから、アッシュが入ってきた。


「子供たちが、トランプをやりたいらしいんだが、大丈夫か?」

「うん。大丈夫だよ」

「――それと、ジオは時間あるか?」

「ああ。あるが、どうした?」

「子供たちが、ジオに協力して欲しいといっている」


 ああ、きっと最初にアルとトランプをしていた、あの子達だ。


「わかった。行こう」


 そう言って、アルと一緒に部屋を出た。

 子供たちのところに行くと、なぜか人だかりができていた。

 その中には、キセの姿もあり、なぜか目をキラキラさせている。


「ジオさんとアルさんの対決が見れるなんて、思ってもいませんでいた!」


 なんか、世紀の対決、みたいな雰囲気だ。


「なんで、こんなに盛り上がってるんだ」

「アルさんはトランプで負けたことがないんです。そこにジオさんが来たんで、みんな期待してるんですよ」

「なるほどねぇ」


 そう言って、もう準備万端の3人の子供たちの後ろに立った。


「よろしくな。私は記憶力には自信があるからな。きっと3人の力になれると思う。良い勝負にしようぜ」


 3人は元気のいい「「「はい」」」を返した。


「作戦だが、どうする?」


 私の言葉に、一番年上そうな男の子が言った。


「さっきは、覚える数字を分けて、結構うまくいった。だから4人で分けたら勝てると思う」

「良い考えだ。それでいこう」


 そう言って、位置についた。

 トランプは既に、縦に4枚、横に13枚で並べられてあった。


「いつもこういう風に、綺麗に並べてるのか?」

「うん。アル先生とやるときは、必ずこうしてる」

「なるほどな」


 そういってアルを見た。

 なかなか教育的なヤツだ。

 ただ遊ぶだけじゃなく、工夫の余地を作っている。

 私は、子供たちに言った。


「座標って知っているか?」

「なにそれ?」

「位置を表す数学だ。横から何番目、縦から何番目。そういった具合に、位置を2つの数字を使って表す方法だ。それを使う。みんなには覚えてもらう数字が増えるが、大丈夫か」

「大丈夫!」


 そう答えたのは、年上そうな男の子だけだった。

 残った男の子と女の子は不安そうな表情をしている。

「大丈夫だよ。覚える数字が増えても負担にならない、むしろさっきより覚えやすくなる技を教えてやる」

「「本当っ」」

「ああ。いいか。数字で覚えるんじゃない。数字を言葉に置き換えるんだ。例えば3,4,5だったら、ミヨコ。とかな。言葉にしてあげることで、3つ記憶する所を1つで済ませられる。すごいだろ」

「「「うん!」」」3人はそう言って、目を輝かせた。


 でもすぐに、女の子が言った。


「でも、やっぱり忘れちゃいそう」


 私は、ほぅ、と思った。

 この子は賢い。

 今この瞬間の、できそうという雰囲気に飲み込まれずに、未来を想像した。


「そう。この方法だと覚えることは1つのカードにつき、1個覚えなきゃいけない。楽にはなっていない。でももう、これ以上覚えることは減らせない」


 女の子の表情が曇る。その気持ちを組む。


「――だからこうするだ」その言葉に、女の子の顔が上を向く。

「言葉を繋げて、意味を持たせる。3,4,5と4,9,Jを覚えるなら、ミヨコよくジャンプ。とかな」


 女の子の表情が明るくなる。

 たぶん、数字よりも言葉、言葉よりも物語。

 その方が、この子の感性には合うのだろう。


「いきなりは大変だろうから、私の方でもできるだけ覚えておく。だからできることをやっていこう」


 女の子は嬉しそうに頷き、男の子達は「「すげぇ」」と口にした。


「それじゃあ、やろうぜ」


 そうして、アルとのトランプ対決は始まった。

 ――結果は。


 14組と12組で、私たちが勝った。

 子供たちは手を叩いて喜んでいた。

 実際は運の巡りに助けられた感じだったが、私もアルも、野暮なことは言わなかった。


「1対1だったら、どっちが強いの?」


 誰かがそう言った。

 みんなすぐに、その気になった。

 私はアルを見た。アルは肩をすくめて見せる。

 さぶさかではないようだ。


「じゃあ。やろうか」

「まぁ。そうしようか」


 周囲が盛り上がった。

 正直、私自身が楽しみだった。

 アルと真正面から競えるなんて、図書館テレリアではなかったから。


「先に言っておくね。ボクは一切手加減しないよ」

「上等だよ。そうじゃないと面白くないからな」

「手加減しないと、面白くならないと思うけど」

「言うじゃん。言っとくけど、暗記にはかなり自信あるからな」

「奇遇だね。ボクもなんだ」


 お互い、試合前の煽りあいも楽しんで、それから準備を始めた。

 アルがカードを切った。

 それからランダムに2枚組で、縦に4枚、横に13枚で置いていく。


「どっちが先攻にする?」アルはそう聞いてきた。

「私が選んで良いのか? 手加減はしないって言ったからな。後攻だ」

「へぇ。なんで後攻」

「先攻だったら。最初の手番では情報がなにもないだろ。後攻だったら先攻の開いたカードの情報がある。だから後攻が有利だ」

「なるほどね」それから「じゃあ、ボクが先攻だ」


 最後にアルは、念を押すように言った。


「ボクは手加減をしない。全力で勝ちに行く」


 そうして舞台は整った。

 勝負は一瞬だった。

 アルが左端から順に、カードを開いていった。

 1と1。1と1。2と2。2と2。

 まるで手品だった。

 それがKまで続いた。

 渡しに手番が回ることなく、勝負は終わった。


「というわけで、ボクの勝ち」


 周囲がしんと静まり返った。

 私が、止まった時間を動かすように口を開いた。


「何をした?」

「記憶した」アルは平然と答えた。

「全部記憶して、シャッフルも2枚組でして、2枚組で順番通りに並べたんだよ。それだけ」


 暗記が得意って。

 得意ってレベルじゃない。

 ズルとしか思えないほどに、次元が違った。

 そこでやっと思い出した。

 この目の前の、ぼんやりとした男は。

 アルは、天才だった。


 その後。

 アルに神経衰弱を挑む子供はいなくなったようだった。

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