ピタゴラスの折り紙
第32話 ピタゴラスの折り紙
その数字は、折り紙の中にいた。
正七角形の折り紙を完成させて以来、折り紙が手に馴染み、すっかり日常になっていた。
暇さえあれば、紙から正方形を切り出して折り紙を折っている。
今も、気分転換に計算用紙から正方形を切り出し終わっていた。
正方形の真ん中に、縦と横の十字に折り目をつける。
その折り目を使って、正方形の四つ角を中心に集めた。
以前なら、どこかがズレてしまってすべての角をキレイに中心に集めることはできなかった。でも今では、完璧ではないせよ、かなり綺麗に集めることができるようになった。これも、正七角形の件で、息をするのと同じくらいに、折り紙を折った成果だ。
その美しさに、思わず口の端が上がる。キレイなものは、良いものだ。
四つ角を中心に集めてできた正方形。
その正方形を裏返し、また四つ角を中心に集める。
そこで折るのをやめて、もとの正方形に広げる。
折り紙の上に、対称な図形が現れる。
数学の美しい性質のひとつ。
対称性。
その対称性を利用して、正方形が別のものを形作る。
だから折り紙は、美しい。
広げた正方形には折り線で、16 の小さな正方形があった。
そして 45° 傾いてできた、中くらいの大きさの正方形。
こんなにもキレイに16等分することは、作図では難しいだろう。
そして、こんなにもキレイに斜めに線を引くことも。
美しい正方形たち。
この正方形たちは、もとの面積の何倍だろう。
簡単な疑問に口の端がつり上がる。
16の正方形のひとつの面積は元の1/16。
中くらいの正方形は。
元の大きさの半分だ。
そこで、ふと気がついた。
この中くらいの正方形は、なかなかに興味深い。
元と同じ形を保ったまま、面積を半分にしているのだから。
元の折り紙の一辺を2とすると、小さい正方形の一辺は0.5だとわかる。
では、中くらいの正方形の一辺は?
瞬間的には分からない。
だから、落ち着いて考えてみる。
中くらい正方形の面積は元の正方形の半分だ。
元の正方形が 4 だから中くらいの正方形の面積は 2 だ。
そう考えては見たけれども、やっぱり分からない。
私みたいな凡人は、考えるより手を動かせ。
万人の持つ、
ペンを取り出す。
それから、計算を始めた。
1×1 = 1
2×2 = 4
だから、この面積 2 の正方形の一辺は1と2の間の数だ。
じゃあ「 1.5 」くらいか?
1.5 × 1.5 = 2.25
ちょっと大きかった。
少し小さくして。
1.4 × 1.4 = 1.96
今度はかなり近い値になった。
もう少し、大きくしてみよう。
1.41 × 1.41 = 1.9881
ほら、もうかなり近い。あと少しだ。
もう少しだけ、大きくして。
1.412 × 1.412 = 1.993744
もう少し、いけるか。
1.413 × 1.413 = 1.996569
まだいけるか。
亀の歩みみたいだが、それでも、少しずつ正確な数字に近づいていく感覚は、なかなか面白い。
1.414 × 1.414 = 1.999396
小数第三位まで、9が並んだ。
その達成感。
それから、疑問が浮かんだ。
これは、どこかで終わるのだろうか。
1÷3 の答えように、延々と続いていくのではないか。
中くらいの正方形の、一辺をなぞる。
「お前の長さは、一体いくつなんだ?」
そういって、笑う。
不思議だ。
こうして目の前にあるのに、正確な長さがわからないなんて。
でもこの不思議は、いつかきっとどこかの天才の手によって解かれるのだろう。
例えばアリスさんのような。
そして、アルのような。
その名前と同時に、あるものが頭に浮かんだ。
「―― x」
そして
「――性質を表す数字なんだ」
そうか、性質か。
なにとは無しに、それを式に書いてみた。
なんのことはない。ただの式だ。
それが目の前にある、線の性質。
2回かけると 2 になるという性質。
本当に、アルは天才だ。
こんなにも面白いものを、見つけられるのだから。
「で、具体的にはいくつなんだ?」
アルは、「その数字が存在するかは、わからない」と言っていた。
でもどうだろう。
今、 x は私の目の前にある。
正七角形の長さが、折り紙に現れていたように。
「数のすべては美しい」アリスさんの言葉。
「それを書き表す分数こそが最大の発明だ」その言葉が、今のこの街を作った。
美しいから。
だからこうして、発展してきた。
私は、ハハと笑った。
なんのことはない。
すべての数は分数だ。だから、分数の形で探せばいい。
x を分数の形に置き換える。
x = n / m
そうして。
( n / m ) × ( n / m ) = 2
式を計算していった。
n × n = 2 × m × m
そうか。分子の数は2の倍数なのか。
考えれば当たり前だった。
同じ数をかけて 2 になるためには、元の数は 2 の倍数でなければならいのだから。
――いや。違う。
なにかが、おかしい。
そうだ、2 の個数だ。
左の n × n は同じものをかけているから、もし 2 があれば、それは偶数個だ。
同じように、右の 2 × m × m は m × m の部分に偶数個。
そして先頭の 2 も合わせると、奇数個だ。
なんで左の 2 は偶数個なのに、右は奇数個で、それでいてイコールになるんだ?
「ちょっと、待ってくれ」
誰もいない空間に、話しかける。
何を間違ったんだ?
何を――。
まさか。
間違っていないのか。
そんなことが、ありえるのか。
分数じゃない数字が、存在するのか?
混乱している。
私のなかで、2つの想いがぶつかる。
そんなはずが無い。
でも。
こうして目の前にある。
2つの考えは互いに譲らず、混沌だけが広がっていく。
それを。
「あ゛ーーーー!、だぁーーーー!」
思いきり吐き出した。
それで、思ったよりもスッキリした。
両頬を、叩く。
「よしっ」
考えていてもなにもできないときは、止まっていても仕方がない。
信頼できる仲間を頼ろう!
立ち上がり、走り出す。
目的地は、
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
私を見て、アルは言った。
「どうしたの? ずいぶん急いでいるみたいだけど」
「ちょうどよかった、聞いて欲しい話があるんだ」
「なになに、どんな話?」
私はアルに、面積が2の正方形の一辺のことを話した。
「なぁ、どう思う。私にはこの計算が間違っているとは思えないんだ。だとすると、この数は分数で表せない。そんなことが、本当にあるのか? アルの意見を聞きたいんだ」
その言葉に。
アルは、嬉しそうに笑った。
「ジオなら、気がつくと思ってた」
それは、それは。本当に嬉しそうに。
「ようやく、見つけてくれたね」
アルの様子を、アルの言葉を、私は理解できなかった。
「何を言っているんだ?」
「この数字のことだよ。数学の世界を広げる。この数字のことを」
それから。
「ねぇ。ジオはさ。考えたことはない? この世界は、自分が見ているものが全部なのかさ。実はもっともっと面白いものが、あるんじゃないかなって」
アルはこちらを見る。
私はアルに向かって答える。
「ある、と思う。私の知っている世界は、あんまり広くない。その自覚はあるよ」
「ボクもだよ。そしてそれは、数学でも同じだと思っていた。
整数。小数。分数。
数字は、この3つで全部なのか、って」
「そんなの、決まっているだろ。その3つで全部だ。それ以外に――」
そういっている途中で、言葉が止まった。
「嘘、だろ」
アルが言いたいことが、分かった。
「あるのか。整数でも、小数でも、分数でもない数が」
アルは、静かに頷いた。
「あるんだ」それから「ボクはそれを、
「ルート?」
「2乗するとその数字になる数。これは分数では表せない数だ。同時に、数学の世界を広げる新しい数字だよ」
こんなに嬉々として、饒舌にしゃべるアルは久しぶりだった。
「すごいな。やっぱりアルは天才だよ。天才過ぎて、何を言ってるのか全然わからん」
「それはジオも一緒だよ。この数字を、すんなり受け入れているのだから。本物の、そして根っからの数学者だよ」
「はいはい、ありがとよ。でも、アルは、いつから √ を知っていた?」
「文字を見つけたときからだよ」
文字を見つけたときか。
まだ、
「そんなに、前からかよ。なんで言ってくれなかった?」
その言葉に、アルの視線は下を向けられた。
「それは――」
アルにしては珍しく、その先を言いよどんだ。
私はその言葉の先を待ったが、アルは肩を竦めて返した。
「うまく言葉にできないな」
アルが何を言いよどんだのか。
それを察することは出来なかった。
アルの悲しそうな、すまなさそうな表情に、胸を締め付けられた。
「まぁ、いいや。それよりも、もっと √ について教えてくれよ」
その言葉に、アルの表情は曇った。
「もしかして、嫌だったか?」
「嫌ではないんだ。――だけど。知ることには責任が付いてくるんだよ。知ることがすべて、良いことって訳じゃないんだ。それでもジオは、知りたいと思う?」
アルの言っていることは、分からなかった。
そしてそれ以上に、私は知りたかった。
「知りたい!」
「――分かったよ」
アルは人差し指を、ピンと立てて言った。
「まず、 √ は中の数字の足し算ができない」
「……は? 、え?」
「正確に言うと √2 と √3 を足しても √5 にならないんだ」
「……待ってくれよ。足し算ができないって。数学として、ありなのか?」
「これは記号が悪いとしか言いようがないかな。 √2 は 2 じゃないし、 √3 は 3 じゃない。だから見た目の足し算ができないんだ」
「そう言われたって」
「図で見ると分かりやすいよ」
そう言ってアルは大きさの違う正方形を 2 つ並べて書いた。
小さい方に 2 、大きい方に 3 と書き入れた。
そして、それぞれの正方形の一辺に √2 、 √3 と書き入れた。
「これが、面積 2 の正方形と面積 3 の正方形。だから一辺はそれぞれ √2 と √3 になっている。この 2 つの辺の和が √2 + √3 なんだけど」
そういいながら、さらに大きな正方形を書いた。
「今書いたこれが面積が5の正方形。面積が2の正方形に面積が3の正方形を形を変えてくっつけて作るって考えると、 √5 は √2 + √3 よりも小さいよね」
「本当だ」
「 √ を扱うときは、見た目に騙されずに意味を理解することが大切だね」
「掛け算は、どうだ?」
「掛け算は大丈夫」
「足し算だけがダメなのか。数学って、奥深いな」
「だからこそ、面白いんだよね」
それから、 √ について、色々なことを教えてもらった。
そうして、 √ の理解を深めていく上で、不意にある式が思い浮かんだ。
3 × 3 + 4 × 4 = 5 × 5
私の一番好きな式。
それが、もっと。広がるのではないか。
「なぁ、アル。この √ って奴を使うと」
そう言いながら、3 × 3 + 4 × 4 = 5 × 5 を書く。
「この式の数字を置き換えて」
数字を置き換え、 2 × 2 + 3 × 3 = √13 × √13 を書く。
「こうすると、 2cm と 3cm で直角を作ると、斜辺が √13cm になるってことか」
アルは、優しく口の端をあげた。
「そうだよ」
「ってことは、これをうまく使ってやれば、色々なものの長さが分かるって、そういうことか?」
「そう。まさにその通り」
おい、嘘だろ!
「ってことは、私たちが使っていた数字と同じくらい、知らない数字があったってことか?」
「そう、そうなんだ」
「そんな、そんなことが、あるのかぁ――」
私は、途方もない世界を目の当たりにして。
目眩がした。
机までよろよろと歩いて行き、疲れた老人のように椅子に座った。
それから、両手で顔を覆い。
くつくつと笑った。
「なぁ、アル。私は数学のことを何もわかっていなかった。今、それが分かった」
「ああ、ボクもそうだよ」
頭のなかで、アイディアが沸いてくる。
正三角形の面積が、求められる。
いや。辺の長ささえ分かれば、すべての三角形で面積が出せるだろう。
面積が出せれば、それを体積にすることは難しくないはずだ。
やばい。楽しい。
灰色だった幾何学という名の地図に、色がついていくのがわかる。
「数学って、面白いなぁ」
「ボクも数学が好きだよ」
私は立ち上がった。
それから、溢れ出るアイディアを紙に書きながら、アルと話をした。
√ が、私の数学が色をつけていった。
そして同時に。
運命の歯車は、ゆっくり廻り始める。
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