第19話
翌日。
私はトリルさんの屋敷に呼ばれた。
その客間でトリルさんと二人、面と向かって話をしていた。
「今日は、ジオさんにお願いがあります」
そう切り出すトリルさんは、いつものように穏やかなだ。
「今度、東国で7つの組合が合同で会社を出すことになりまして。我々の商会もその中に参入していきます。
そこで、東国の方にも認識してもらえるような、印象的なものや企画をいくつか考えておりましてね。
そのひとつとして、記念硬貨を作ることになりました。
そこで、その硬貨に美しさを持たせたいと考えています。
ジオさんは美しさは、数学で表現できると思いますか?」
「そうですね。数学であれば可能でしょう。
美しさは、数学で表現できる。そう考えます。
そして、逆もしかりです。
数学的であるからこそ、美しいとも言えます」
「それは良かった。そこでジオさんにお願いしたいことです」
トリルさんはいつもの笑顔で、とんでもないことを言った。
「ジオさんには正七角形を数学的に作っていただきたのです」
ずいぶん、簡単に言ってくれた。
正七角形の作図が成功した、という話は聞いたことがない。
そもそも
できないことが、証明されていないだけ。
それを、率直に伝えた。
「正七角形の作図は恐らく不可能です。
証明こそされていません。
ですが、
「そうですか」
そういうトリルさんは、あまり残念そうではなかった。
むしろ最初から、そう言われることを想定していたのだろう。
だからこそ。次の言葉もあっさり出てくる。
「では、誤差が出ても構いません。
誤差はどのくらいで、作図することができますか」
そこの言葉は、あまりにも衝撃的だった。
誤差があったら、それは正七角形ではないし、作図でもない。
にもかかわらず、その紛い物を正七角形としてみると。
その考えが、相手が商人であることを強く感じさせた。
反論しようとした。
それは正七角形ではない、と。
その気持ちを無理矢理に押さえ込んだ。
私は数学を研鑽しに、ここに来たんじゃない。
数学という武器を使うために、ここに来たのだ。
そう言い聞かせた。
ふと。
円周率の苦い思い出が頭に浮かんだ。
あれだって、最初から正確な値は分からない前提だった。
ただただ、誤差のある紛い物を積み重ねていく。
その先にある、真の数字に近づいていることが、重要だった。
今回の正七角形の作図が紛い物でも、本物に向かって行く過程としては、意味があるのではないだろうか。
「やってみないと分かりませんが、見た目として違和感がない程度には作れると思います」
「すみませんが、商人の性でして。
感覚的な話ではなく、数字で教えていただけますか。
違和感がない程度とは、数字ではどのくらいですか?」
頭のなかで計算する。
半径1cmの円で、見た目として違和感がない数字。
太さ0.3mmの線で、始点と終点がきっちり結ばれる程度の、誤差。
考えて、諦めた。
考えるには、時間と頭の中の計算用紙が足りなさすぎる。
「おおよそ0.1%。1 / 1000 くらいには収まると思います。
少しお時間を頂ければ、もっと正確にお答えできますが」
「いいえ。その程度の誤差であれば、安心です」
違和感。
0.1%といって、それがどの程度なのか分かるものなのだろうか。
懐疑からの結論。
トリルさんは答えを知っていた。
そこでやっと、試されたことに気がついた。
この人は今、私のことを値踏みの秤にかけたのだ。
「では、ジオさん。その件をお任せできますか」
「断る理由はないでしょう」
少し心がささくれる。
それが少し出てしまった。
トリルさんは、そこで少し笑った。
「私も商人ですので。
ですが、ジオさんの気分を害されたのであれば、お詫びします」
「任せていただいたということは、お眼鏡に敵った、ということですか」
「はい。私の想定以上でした」
食えない。
私は初めて、目の前の人物の本性を、わずかに見た気がした。
「では、期限は?」
「一週間で」
一週間か。
もしこれが、正七角形の正確な作図だったら、絶望的な日数だ。
でも今回は、誤差を小さくしていくだけで良い。
期限までに、誤差0.1%におさえられるかどうか。
それだけのミッションだ。難易度がまるで違う。
そして、なにより気が楽だ。
「承知しました。それまでに、できる限り精度の高いものをお渡しします」
「ありがとうございます。
なにか必要なものがあれば、使用人にお伝えください。
それで、一週間後を楽しみにさせて頂きます」
そういってトリルさんは席を立った。
あとに残された私は。
「よし。帰ろう」
宿に帰った。
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