第11話
円周率の計算は、方法自体は難しいものではない。直径と円周を求めて、円周 ÷ 直径 を計算すれば終了だ。
直径は直線なのですぐに求まる。
問題は円周の方だ。
円の周りは、直線ではなく曲線になっている。その曲線というのが、求めるのをとにかく困難にしている。
だからこの円周を求めることに、昔から様々な工夫がされてきた。
大きな円を作ってそれを実際に転がして長さを求める方法や、円周を紐で巻いてその長さを求める方法もある。
そんな中で一番有名で伝統的なものが、正多角形を利用する方法だ。
円の外側に正多角形を描く。
円周と正多角形の辺が接するように描けば、その正多角形の辺の長さの和は円周よりもちょっとだけ大きい数値となる。
例えば半径が1cmの円の外側から円に接するように正六角形を描けば、その一辺の長さはざっくり1.2cmになる。そうすると、正六角形の辺の長さの和は7.2cmだ。
半径1cmの円の円周は6.28cmくらいなので7.2cmは全然正確な値ではない。だがこれを正十二角形、正二四角形、正四十八角形、と、正多角形の数字をどんどん大きくしていけば辺は円周に近づいていく。
まずはそれから試そう。
そんな軽い気持ちで、紙にペンを走らせた。
やってみて、わかった。
計 算 量 が 途 方 も な い 。
最初に、古から伝えられていた正九十六角形を目標に、正十二角形から計算を行った。
これがかなり難しい。
辺の長さを求めるのが、大変なのだ。
それはもう、超巨大な円を書いて、実際に定規で長さをはかった方が早いと思えるくらい、大変だった。
具体的には、角の二等分線の性質と、直角三角形の性質。この 2 つの性質を使って求める。だが厄介なのが、直角三角形の性質。
(斜辺)×(斜辺)=(一辺)×(一辺)+(残りの辺)×(残りの辺)
という性質を利用して、( 一辺の2乗) : ( 斜辺の2乗) を求めたあとに、それに極力近い比を感性で見つけてくることだ。
これが、かなり大変だ。
具体的には正十二角形の段階で。
一辺の2乗:斜辺の2乗 = 349,450 : 23,409
という比が計算で求まる。
2乗の比がわかっているので、これに限りなく近い、一辺:斜辺を、うまく見つけてくる。実際に頑張ると
23,409 はぴったり 153 の 2 乗であり。
349,450 はだいたい (591+ 1 / 8 )の 2 乗なので。
一辺の2乗:斜辺の2乗 = 349,450 : 23,409
から
一辺:斜辺 = (591+ 1 / 8 ):153
ということが分かる。
やってみたわかった。
計算の質と量が、あまりにも無慈悲だ。
正十二角形で、心が折れた。
この方法で進めるには、私には数のセンスが足りない。
ないものは仕方がない。
諦めて他の方法を探すか。
それとも。
他の人間の才能を借りてくるか、だ。
私には数のセンスはない。
だけれども、そのセンスに長けたヤツに心当たりがある。
アルだ。
早速捕まえて、協力させた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
この試みは、思った以上に大成功だった。
アルに、クイズとしてこの計算を出すと、嬉々として考えてくれた。
3秒もあれば答えを出してくれる。
美しい数学の、残酷な事実。
真の才能には、凡人は敵わない。
シンプルに、尊敬し、脱帽する。
ただ、それでも、円周率の壁は厚かった。
正384角形で、アルの計算速度は目に見えて落ちた。
そして、数字自体は出て来るものの、計算した本人曰く「もっと正確な値がありそう」とのことだった。
それもそうだ。
19 桁 × 19 桁の掛け算から、何の2乗になっているのかを求める。なんて、こんなの人間業じゃない。
正768角形に 4 時間をかけて算出し、正1536角形を終えたときには、沈んだ太陽がまた昇り、キセが
計算器アルは十分に頑張ってくれた。
今日はココまでにしよう。
最後に計算して得られた、正1536角形での長さで円周率を計算する。
108,548,902,337 / 34,551,213,815
分数ではこんな感じだ。これを小数に直して、アリスさんの355 / 113 と比べてみる。
私の胸は期待でいっぱいだった。
あんなに無慈悲で苛烈な計算をしたのだ。
アルがいてくれたからこうして求められた数字だ。
私だったら1年かかっていても不思議じゃない。
一方で不安もあった。
アル曰く。
「次の正3072角形を求める時は、ボクが納得いく値を出そうとしたら、少なくても丸一日はかかると思う。その次は 1 週間。その次は半年くらいかな。新しい計算方法でも見つけない限り、この方法を続けることはあまりお勧めできないよ」と。
これで満足のいく結果がでないと、道が途絶える。
つまり、最初で最後だ。
私は、新しい紙を用意してペンを持った。
この分数を小数で表すと 約3.14168130。
アリスさんの 355 / 113 が 約3.14159269。
絶望した。
その差はおよそ 0.00008879 。
でもそれは、計算した人間には、何よりも厚い壁だということが分かる。
それにだ。
もし仮に、次の正3072角形の周りの長さが求められたとしても、せいぜいが3.1416700程度にしかならないだろう。そのくらい、ゆっくりとしか数字が変化しない。
まるで亀の歩みだ。
それに、問題は数値だけじゃない。
分数で表したときの見た目も、決して良いとは言えない。
355 / 113 へは、果てしなく遠かった。
肩を落として、それから天井を見上げた。
そんな私の肩に、アルは手を置いた。
「頭脳労働の後は、甘いものが必要だろ」
「あー」そんな気分じゃなかった「ちょっと、無理だ」
「わかった」アルはそういうと「じゃ、キセ。一緒にいこう」
キセは「はいっ」と元気良く返事をした。それから。
「今日来る途中で、お店の前を通ったんですけど。新しいパルフェが出たみたいです。マロンパルフェって書いてありました」
え、なにそれ。美味しそう。
「じゃあ、 2 人で新作を食べに行こうか」
アルの発言に、キセは返事をしなかった。
代わりに。
「ジオさん、食べに行きましょう!」と私の裾を引っ張った。
なにそれ、可愛い。
そう思った。
それから悲しくなった。
私の悩みは「美味しい」と「可愛い」には敵わなかったのだ。
そんなものだった。
苦しみを花束に変えるように。
悲しみを前進に変えて。
「――行こう」
私はパルフェを食べに、立ち上がった。
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