第4話
それから 3 日経った日のこと。
からん、ららん。
入り口を見る。
そこにはあの少年が立っていた。
「どうした、少年?」
「わかったんですっ!」
少年はしっかりした声で言った。
まっすぐに私を見ている。
「だから答えたいと思ったんです!」
口の端が弧につり上がる。
その口許を隠しながら、できるだけ静かに聞いた。
「試験結果は変わらんが、それでもやるか?」
「はいっ!」
その返事に、目が細くなる。
少年の真っ直ぐな気持ちが、なぜか嬉しかった。
「上等だ。言ってみろ」
「正多面体でした!
2 つの問題の意味が、やっと分かったんです!
最初の問題の数の意味。
1番目の数は、面の数でした。
2番目の数は、頂点に集まる面の数で。
3番目の数は、面でした。
2つ目の問題の数の意味は。
1番目の数が、面の数で。
2番目の数が、面と面との境目の数。
3番目の数が、頂点の数でした」
口許から手を離した。
「その通りだ」それから。
「――それだけか?」
その言葉に、少年は泣きそうな顔を浮かべた。
その顔を見て、また笑ってしまった。
「そんな顔をするなよ。正解だ。まぁ、完璧ではないが、十分だ」
それから。名前を呼んだ。
「おめでとう、キセ。キセはこの問題を、確かに解ききった」
その言葉にキセは、屈託のない顔で笑った。
その笑顔に一筋の涙が
それから。
笑顔はだんだん下を向いて、そうして涙が、雨のように
私はキセの頭をポンポンと手を置いた。
「よく最後まで諦めずに解ききった。私は、キセのことを認める。キセが数学を好きな気持ちはよく分かった。それにきっと、数学もキセのことを好きになってくれるだろうな」
キセは泣きながら、言葉にならない言葉を紡ぎだした。きっと感謝の言葉をいっているんだろう。
胸が、痛い。
キセは、問題を解いたのだ。
数字を求めただけではなく、その後ろにある正多面体との関係性を見抜いた。
ただちょっと、制限時間に収まらなかっただけだ。
時間内に解けるかどうかは、数学の本質的な部分じゃない。
私はそう思っている。だから、合格にしてあげたい。そんな考えが頭に浮かんでしまっていた。
でも、それは絶対にダメだ。
私は最初に、すべて伝えた。後から自分の都合の良いように変えることを、数学は許さない。キセもそれをわかっている。
キセは合否を変えたくて来たんじゃない。
分かったこと、伝えたくて来たんだ。
それだけだ。
その言葉を必死に飲み込み、前と同じようにキセの気持ちが落ち着くまで、一緒に居てあげることしか、私にはできない。
奥歯を噛みながら、泣いているキセの頭を
そこに。
――声がかけられた。
「キセに、ボクからの試験だ」
アルだ。
ぺたぺた足音をさせながら、図書館の奥からアルは現れた。
そうしてキセの前に立つと、問題用紙を見せた。
そこには、短い式が1つ。
「なんだよ、この x って記号」
「これはボクが作った記号だよ。ボクは文字って呼んでいる。これでもれっきとした数なんだ。でも、数字みたいにはっきりしたものを表す数じゃなくて、性質を表す数字なんだ。そしてこの式が、この文字 x の性質を表しているの」
アルの言っていることは、まるっと全部、完全に分からなかった。
「つまり、どういうことだよ?」
「この x は、
「なんか良くわからないけど、めちゃくちゃ面白そうなことは伝わった。ちなみに、この x って、具体的にいくつなんだ?」
「それはボクにも分からないな。もしかすると、この世に存在しない数字かもしれないかな。まだ誰にも知られていない、全く新しい数字かも」
「マジか。だとすると、この文字ってすごい発明だな」
「でしょ。で、キセ。君はこの式をどう思った」
私とアルの視線が、キセに向けられた。
キセは問題文を見て、式を指でなぞった。
それから。
「掛け算の答えが、足し算になるのが、スゴいと思いました」
アルはふふと笑って、それから。
「おめでとう、キセ。キミはこの式の意味を理解した。合格だよ。我々、
「おい、ちょっと! そんな勝手に――」
私の声を遮ってアルは言った。
「ボクが出した合格だよ。問題あるかな?」
「問題しかないだろ。完全に
「ジオがそれを言っちゃう? ジオが
「……それは、関係ないだろ」
「アリスさんはジオを気に入った。ジオの才能に、アリスさんは気がついたから。だから試験を受けさせた。それと同じだよ。ボクはキセが気に入った」
――そんなの。
反論しようとする私の言葉を、アルは巧みに遮った。
「ジオもそうだろう。キセのことを気に入っている」
弁が立つヤツは、これだから苦手だ。
言いにくいことを、言わせようとする。
そしてそれが、私の本心だから
アルが言っていることは間違ってはいない。
私は観念して、その言葉を口にした。
「ああ。キセの数学は面白い。それは認めるよ」
「キセはこれで、ボクとジオの二人から、数学の才能を認められたわけだ。そして、ボクが出した試験には合格している。ここまで条件が揃っていて、なにか問題がある?」
一度息を止めて。
それから、深く息をついた。
キセにとっては何よりも望んだ合格だ。
だから、素直に祝ってあげたい。
キセの合格は、私も嬉しいから。
「合格、おめでとう。キセ」
キセは涙でくしゃくしゃになった顔を、笑顔にした。
「この後のことは、アルが教えてくれるだろう」
アルを見て、釘を刺す。
「子供なんだから、ちゃんと教えてやってくれよ。よろしくな」
「ボクには無理だよ」
「おい。冗談はやめろよ。ちゃんと教えてやれよ」
「ボクがちゃんと教えられると思う?」
「思っているから、頼んでいるんだ」
「ボクには無理だよ。そのくらい、ジオにだって分かっているだろ。だからこうする」
そういうと、アルは膝を折ってキセの目線までしゃがんだ。
「キセ。合格おめでとう。今日からキミはジオの弟子になる。分からないことや、なにかに困ったときは、ジオ先生に相談すること。ちゃんと言うことを聞くんだぞ」
そう言って、笑顔を見せた。
キセも笑顔と、元気な「ハイっ」を返した。
「ちょっと待て、勝手に決めるな!」
「まぁ、そういうことだからさ」
アルは本当に楽しそうな笑顔を浮かべて。
「これで一件落着。ボクには行くところがあるから。
手をヒラヒラさせ、アルは行ってしまった。
残された私とキセは、お互いに目を会わせた。
ちょっとモジモジしている。
きっと、自分のせいで二人のなかが悪くなってないか心配なのだろう。
そんなこと心配しなくても良いのに。
「安心しろ。アルと私は、いつもあんな感じだ。ビックリさせたな。すまない」
「ぼくの方こそ、すみません」
「いいんだよ。改めて合格おめでとう、キセ」
そう言って、キセの頭を撫でた。
嬉しさか、恥ずかしさか。キセは下を向いてしまった。
耳が真っ赤になっているのが、可愛かった。
そんなキセを見ながら、心の中でため息をひとつ。
こんな小さな子に数学を教えられる自信は、私にはない。
またため息。
それから、不意におかしくなってしまい、笑みが溢れた。
もう早速、数学を教えるつもりになって、先のことを心配している自分が可笑しかった。
キセは利発な子だ。ちゃんと自分で探し歩いて、いろいろなことを見つけていくだろう。
私がやるべきことは、キセが知りたいことで、私が知っていることを教えることだけだ。
変に強制しない。キセの学びたいことを学ばせる。
それが、キセにとっての一番だ。
「まぁ。こんな流れになっちまったがな。決まったことだ。退屈な話をするのもなんだから、この
その言葉に、キセは嬉しそうに頷いた。
私も、心の中で頷く。それから。
「早速だが」
「あの紙が飛ぶやつ。作り方を教えてくれ」
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