第3話

 夕日が赤く、空を染めていた。

 柔らかな赤が、図書館テレリアの窓から斜めに差し込み、少年の幼くも真剣な横顔を照らしていた。その影は、長く伸びている。

 私は、少年のから答えを受け取った。


(1)

 ( 4 , 3 , 3 )

 ( 6 , 3 , 4 )

 ( 8 , 4 , 3 )

 ( 12 , 3 , 5 )

 ( 20 , 5 , 3 )


(2)

 ( 4 , 6 , 4 )

 ( 6 , 12 , 8 )

 ( 8 , 12 , 6 )

 ( 12 , 30 , 20 )

 ( 20 , 30 , 12 )


 5つの答えすべてが、そこにあった。

 正直に、驚いた。

 難解な文章を正しく読むだけでも、一苦労する問題だ。

 その難関をクリアできたとしても、さらに整数問題だ。

 整数の感覚を身に付けることは簡単じゃない。大人だって難しいことだ。

 この年齢で、この問題を正しく理解し、そしてすべての答えを導けることは稀有けうだ。

 数に対する素質、とでもいえばいいのだろうか。並みの子供とは比較にならないほど高いことは間違いない。それだけじゃない。難解な問題文にめげずに挑戦し続けたであろうことが、問題用紙に書き込まれ、消された数字と文字の跡から伝わる。少年の数学への想いは本物だ。

 だからこそ、だ。

 ここで終わりじゃない。

 図書館テレリアへの扉は、素質と想いだけでは開かない。

 問題用紙の右下に書かれた名前を見て、初めて少年の名前を呼んだ。


「キセ」


 キセは緊張しながら「はいっ」と答えた。


「この問題を解いた上で、何か言いたいことはあるか?」


 キセは首を横に振った。


 ――そう、か。


 ほんの少しの、胸の痛みを感じながら。

 キセの解答にマルをつけて渡した。


「正解だ」それから。

「だが、合格じゃない」


 キセの顔が、キョトンとした。

 わかっていないようだ。

 だからもう一度言った。


「これでは合格は出せない。以上だ」


 キセは呆然としたようになって、それから下を向いた。

 床に、ポツリポツリと、滴が落ちた。


「……どうして、ですか?」


 キセは、その一言を口にした。


「それがわからないことが、何よりの証拠だ」それから。

「今日は、もう帰りな」


 少年は下を向いて、必死に耐えていた。

 それでも、悔しさと涙が、滲むように漏れている。

 そんな少年の姿を、私も口を結んで、ずっと見ていた。

 どのくらいそうしていたのだろう。

 少年は、小さく細い声を、途切れとぎれに絞り出した。


「……ありがとうございました」


 それから一度、頭を下げて。

 図書館テレリアから出ていった。


 からん、からん、からん。


 カウベルの音が、しょぼくれて聞こえる。

 ため息をひとつ。それから。


 ――これが私の仕事だ。


 心のなかで、自分にそう言い聞かせる。

 でも、むなしさは埋まらない。


「私は、――優しくないな」


 宛先のないつぶやき。

 でも、それに応えるようにカウベルが鳴った。


「今の男の子、どうしたの?」


 そう言って入ってきたのは、アルだった。

 私が図書館テレリアの内側で人の対応を担当しているように、アルは図書館テレリアの外側の対応を担当している。

 さまざまな組織の、数学に関係する案件を引き受け、解決し報酬を得る。その報酬は、図書館テレリアの運営資金になる。

 外に出向くことが多いので、図書館テレリアにいることは、あまり多くない。こうして昼間に会えるのは、なかなかに珍しい。


「一仕事終わった感じか?」

「うん、今回はなかなかの強敵だったよ」

「それはお疲れさま」

「そんなことよりさ、あの男の子はどうしたの」

「入館希望者だ。面白い子だったから試験をした。まぁ、結果はダメでな。それで帰っていったところだ」

「ふぅん」それから。

「どんな試験だったの?」

「なんでそんなに詳しく聞くんだよ」

「だってさ」アルは笑う。

「気に入ってたんだんでしょ、あの男の子のこと」

「なんでだよ」

「なんでもなにも。ジオは入館希望なんて基本的に全部断るでしょ。でも、あの男の子には試験をしてあげた。これでも気に入ってないなんてこと、ある?」

「別に、気に入ったから試験をした訳じゃないよ。あの子は試験を望んだ。だから私は試験をした。それだけだよ」

「ふぅん」

「なんだよ」


 アルはニコニコしながら「なんでもないよ」と言った。


「ただ、名前くらいは教えてほしいかな。また来るかもしれないし」

「酔狂だな」


 あの少年はココには来ないだろう。

 ――きっと、そうだ。


「キセだ」

「キセ君ね。覚えておくよ」

「そんなことより、しばらくはこっちで、ゆっくりできる感じか?」

「そうだったはず、なんだけどね」

「なんだ? また面倒事でも出てきたのか?」


 アルは、小さく笑って言った。


「掲示板で出題があった。謎々エニグマさんからね」


 それで十分に伝わった。

 この街の中心には広場があり、そこにある掲示板には誰でも自由に投稿できるようになっていた。料理レシピから求人、ペットの捜索願いまで、それこそなんでもありだった。

 そのなかには、算数や数学の問題が掲示されることもあった。それ自体は昔も今も変わらない。私も昔は、そうした問題を解いて、答えて、遊んでいた。

 それがここ最近、算数・数学の問題が出題が特に増えていた。

 出題者の名前は、決まって謎々エニグマ

 出題の内容は、特に難しいわけではなかった。幾何学的な知識は使うが、小さい子でも解けるような難しさになっている。誰でも挑戦し解くことができる。そんなくだけた問題ばかりだった。

 ただ。

 私は、それとは別の印象も持っていた。

 謎々エニグマの問題は、教育的だ。

 この問題から、こんなことが分かる、といった内容が多い。

 それは、まるで、図書館テレリアの入館試験のような。

 解くだけ終わりではない。

 別の意図がある。そんな問題ばかりだった。

 これは、アルも共感してくれていた。

 同時にアルは、危機感も持っていた。


「ただの出題だったらよかったんだけどね。ボクは謎々エニグマの出題は、図書館テレリアへの挑戦のように感じるよ。幸か不幸か、気がついている人は、まだいないようだけどもね」

図書館テレリアに、挑戦ねぇ。こちとら専門機関だぜ。それに挑戦するって、身の程知らずというか、なんというか。まぁ、なかなかの酔狂だな」

「酔狂。で終わればいいんだけどね。このまま放っておいたら、きっと大変なことになるよ」

「なんでだ?」

「問題の解答者が増えてきているんだ。我もわれもって感じで。さっき見てきも問題も、張られて一日も経っていないと思うけど、もう半分くらいは、解答者の名前で埋まっていたからね」

「だんだん注目されるようになっているってことか?」

「そういうこと」


 それからアルは紙を取り出した。


「問題の写しだけど、みる?」


 流石さすが

 アルは、できるヤツだ。

 私はホクホク顔で、うんうん、頷いて、問題を受け取った。

 そこには。


【問題】

 3つの正方形を並べて長方形をつくる。

 その長方形の対角線の長さが 10cm のとき、正方形 1 つの面積はいくつか?


 頭のなかに図形を思い浮かべる。

 その図形が見えれば、答えはすぐに求まった。

 以前アリスさんから出された問題と、同じ技巧テクニックを使う。

 その技巧テクニックの部分が、教育的といえば教育的だ。

 でも、数学の本質では無いように思う。

 知識。といってしまえばそれまでのこと。

 そう感じた。


「簡単だな。アリスさんの問題の方が100倍難しかった。わざわざ解答を書いて、見せびらかすほどものでもないと思うんだけどな。これのどこが、厄介なことなんだ。放っておけばいいじゃないか」


 アルは首を横に振った。


「そうもいかない。と、思っているよ。ボクはね」

「それは、どういうことだ?」

「 1 つ目は、図書館テレリアの権威の問題だよ。色々な人が解答を残している。でもそのなかに、図書館テレリアの名前はない。数学の専門機関なのに、こんな問題も解けないのか、って。そう思う人は必ずいる、こと」

「そんなん、思いたいヤツに思わせておけばいいだろ。関係ないよ」

「それがあるんだ。図書館テレリアの数学は、間違いなく世界を変えて行っている。そうでしょう」

「そうだな。そうして実際、世界は変わりつつある。世界は図書館テレリアを必要としている。アリスさんやアルが東西南北、走り回っているのが何よりの証拠だ」

「そうなっているのは、図書館テレリアが信頼されているからだ。数学のことであれば図書館テレリアに任せれば良い、って。そう思われているからなんだ。権威はそう言った信頼の上に成り立っている。でももし、その信頼が疑われ始めたら?」


 アルの話が、今回の出題と繋がっていく。

 今回の問題は決して難しくはない。わざわざ解答を残すほどでもないと、思うくらいに簡単だ。でも、この問題を見る多くの人は、難しさなんて分からない。

 そして。

 少しずつ疑い始める。

 図書館テレリアは、本当に数学の権威なのだろうか。


「――なるほど。だから攻撃、か」

「実際にさ、依頼が一つ、不意になっているんだ。もちろん、今回のことに関係してるかはわからないけどさ。もしこのまま謎々エニグマを放っておくと、今後はこういったことが増えてくるかもしれない」

「だから、放っておけない、と」

「そういうこと」

「よくもまぁ、そんなところまで考えるねぇ」

「心配性だからね」

「そういえば、さっき 1 つ目、って言ってたよな。他にもあるのか?」

「ああ、うん。これは杞憂であって欲しいんだけどね」

「なんだよ」

謎々エニグマは、図書館テレリアと同等の力を持っているかもしれない、って」


 それを聞いて、思わず笑ってしまった。


「それは大丈夫だよ。アリスさんやアルほどの天才は、そうそうこの世にいない。少なくてもこの大陸のなかには、絶対にいないよ。断言してやる。杞憂だ」

「だといいんだけれどね」


 アルの心配性が。

 私はそう思い、また笑った。

 アリスさんや、アルに肩を並べる天才。

 そんな可能性を一瞬たりとも、考えなんてしなかった。

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