第9話
「恋愛禁止ィ? 何だそりゃ」
学食じゅうに響き渡るような大音量で、印内が言った。おかげさまで食堂のあちこちから視線が飛んできた。
どピンクのジャージと美人ぞろいの先輩方のおかげで、注目されることへの抗体が多少できつつあるとはいえ、15年もの間、わりと地味なキャラでやってきたのだ。できれば静かに暮らしたい。波風も浮き沈みも、如何せんまだ慣れていないし、人の目だって苦手もいいところなのである。
一方の印内はといえば、人様の視線などどこ吹く風で
「ほー、そんな規則があるのか。見た目通り、アイドル軍団だな。マネ部は」
と言いながら、特製チャンポンの汁をずずずと品なく啜り上げた。1日限定20皿で大人気の品と聞いているが、食堂のあちこちに同じものを食べている生徒の姿が見える。もしかしなくても、もっとあるのでは? 売り切れでも仕方がないと思ってもらえるよう、予め少なめに言っているのかもしれない。
「いや、正確には恋愛禁止っていうより、野球部の部員とはある程度距離を置け、ってことらしい。よくわかんないけど、色々と支障が出るからって」
「どんな支障だよ」
「詳しくは分かんねぇけど」
「野球に人生賭けるんなら、現を抜かすな的なアレ?」
「かもしれない」
「だったら、結局は恋愛禁止ってことだろ?」
「だから、別に野球部以外とは仲良くなるなと言われてないというか……」
「でも、野球マネがお付き合いする相手って、だいたい野球部なんじゃねぇの?」
「そうとも限らないだろ。打率でいけばそりゃ、高いかもしれないけど」
「あれ? でもそれだと、野球部が恋愛禁止、ってことになる? でも野球部ってモテまくりじゃん?」
「そうだな。彼女持ちの選手もいた気がする」
「だよな? じゃ、やっぱマネ部と野球部が付き合うなってこと?」
「まぁ、そういうことだろうな」
むしろそれ以外の理由が見付からない。
「前から思ってたけど、お前、話膨らますの下手だよな」
「……」
ショック云々の前に、その通りかもしれないと素直に思ってしまった。けれども反応するのも面倒だ。黙ってチャンポンを啜ることに集中する。何てったって、話を膨らませるのが下手な男だからな。上手い返しなど思い付くわけがないだろう。
我らが親和第一の野球部員は、毎年ほぼ全員がスポーツ特待で大学に進む。もちろんプロの道を歩む選手もいるけれども、プロ志望ではない選手も大学まで野球を続けている、というわけだ。
野球部は基本、野球と勉学以外に割いている時間などないし、あるべきではない。指定校推薦枠もあるため、学校サイドとしても野球に打ち込んで欲しいという思いもあるに違いない。そしてマネ部は、設立の経緯上【野球部の活動を邪魔してはいけない】ということになっているから、必要以上に接触するなというお達しが出ている点も、当事者である俺としては頷ける話だ。
「でもそれなら、お前はマネ部だからマネ部との恋愛禁止じゃない、ってことなだよな?」
「は?」
「マネ部同士は、接触するなとは言われてないんだろ?」
「そりゃあまぁ、同じ部内だし無理だろ」
「よかったな、頑張れよ!」
「何をだよ」
「誰狙いなんだよ」
「アホか。第一、相手にされてないよ」
「はは、間違いねぇな」
印内が口を拭って、笑った。間違いないのは間違いないし、そんなことは分かっているけれども。第三者に言われるのは、何というか、遺憾だ。
***
俺の放課後は、気合を入れるところから始まる。どピンクのジャージに着替える覚悟を決めて、トイレでこそこそ袖を通した後、また
「よし」
と独りごちて己を鼓舞する。この一連の流れが、マネージャーとして生き抜くのに必要不可欠な儀式となりつつあるから怖い。これが3年続くのかと思うと、ぶっちゃけ苦痛すぎてゾッとする。
だって、気合を入れなければ、この格好で校内を歩くことも、部室のドアをノックすることもできない。野球部への入部を求めて一世一代のシャウトを試みた男の末路が、このザマとは。自分でもがっかりだ。
「安養寺です! 開けていいですか?!」
とにかくもう、ラッキースケベな展開なんぞ金輪際出くわしたくないと願いながら、アルミサッシを殴る。ありったけの大声で言えば、
「「どーぞー」」
と誰かと誰かがハモるように答えてくれた。おそらく、副部長と羽衣さんだろう。失礼します、と再びシャウトしながら戸を引いた。
ピンクのジャージ軍団は既に勢揃いしていて、何なら優雅に、ぐるりとテーブルを囲んでお茶会をしていた。本日のメニューはマフィンらしい。暇を持て余したセレブがヤンキーのコスプレをしてホームパーティーでも開いているのかと思われそうな絵面だ。
「全員そろったね、じゃ、ミーティング始めましょう」
がたがたとイスを引いて、先輩たちが立ち上がる。
いやいやいやいや。待ってくださいよ。もう少しだらだらしててくれたら、俺もそこにあるマフィンを食べられたかもしれないじゃないですか。小腹減ったんですけど、俺も。上に乗っかっているチョコチップだって、物言いたげに俺を見てるじゃないですか。食べて欲しいと言っている気がしてならないのに、俺には食べる時間も権利も与えてもらえないのか。あぁ、不憫だな、俺。
「こんにちはー」
「こんにちはー」
「こん、にちは……」
周りにならって、軽く頭を下げた。副部長は
「4/15、水曜日。天気も良好ですね!」
と、朝のTVのお天気お姉さんみたいなことを言った。
「よって、紅白戦。あります」
「え!?」
びっくりしすぎて声が出た。ら、
「あれ、知らなかった? うちの野球部、毎週水曜に紅白戦やるの」
と言われた。大慌てで二度ほど頷く。
「雨とかケガ人とか、練習試合の日程とかの関係でなくなることもあるけど、水曜日は基本、紅白戦。もちろんスコアもつけるよ」
「紅白戦のスコア……!」
瞳孔が開くのが自分でもわかる。ウチの野球部、紅白戦、スコア! どの単語もキラッキラに輝いて聞こえるのはどうしてだろう。高校野球好きの胸をときめかせる響きばかりだ。
「雑用も大事だけど、スコアはベンチ入りするための基本のキ、だからな。書けなきゃ、ベンチ入りレースに出走すらできない」
「そそ。何だかんだで一番大事なポイントよ、これ」
役職コンビの頷き合う姿が神々しい。それだ、それです部長、副部長! 俺が求めていたのはまさしくそこなんです!
やっと“マネージャー”っぽいことができる! ……と思ったのも束の間。
「というわけで2年生コンビ、スコアお願いね」
「分かりました」
「はーい」
という声が聞こえて、俺のキラキラの野望は崩れた。2年生がスコアラー? ということはつまり、「3年生に教わりながら見習い中」である俺は……
「光太と理奈はドリンク班ね」
「りょー」
「はい……」
ですよね、そうなりますよね! えぇ、えぇ、知ってましたとも!! 畜生。
ドリンク準備が嫌なわけでも、羽衣さんが嫌なわけでも決してない。断じてそれはない。が、“スコアラー”というものになってみたいという気持ちが強すぎて落胆せざるを得ない。
俺のテンションが下がったことが、がっつり伝わってしまったらしい。天女の羽衣さんが
「光太くん、私と一緒じゃダメ?」
とか何とか上目遣いに聞いてくる。ダメじゃないけど、それはダメです。好きになっちゃうから。とは言えない。
「違います、嬉しいです」
「よかったぁ。今日も仲良くしてね?」
「は、はい……」
どろっどろに脳みそを溶かされそう。何だこの破壊力。どうしてそんなにいつも瞳がうるうるしてるんですか? くるくるでくしゅくしゅの髪の毛は地毛なんですか? どう見ても満点です、すごいです。自分でも自分が何を考えているのか、最早わけが分からなくなってくる。
「それでは本日も頑張っていきまっしょい!」
「「はあい」」
何とも思ってない顔付きの、部長の精神力が恐ろしい。なぜ、俺だけ違う意味でも頑張らなければならないのか。甚だ遺憾だ。
***
ウォータージャグやコップは、タイキョーこと体育教官室にあるというので、羽衣さんと2人並んでタイキョーへ向かう。タイキョーはマネ部の部室とグラウンドの間に位置するため、毎日、その入り口前を何度も行き来しているものの、中に入るのは初めてだ。
そういえば、お茶の用意も初めてだ。今まで掃除とネット補修しかしてこなかったから、ちょっと新鮮だな。
ドアを3度ノックして、
「マネ部です、失礼しまぁす」
と朗らかに言う羽衣さんに続いて、失礼しますと声を張った。が、内側からの返事はなかった。監督たちはもうグラウンドへ出ているらしい。
天女がドアを開ける。土足厳禁らしく、靴を脱いでいる。俺も踵を浮かしたものの、靴下に穴が開いてないか不安になった。……よかった、大丈夫だ。
タイキョーの中は、思ったよりも広く、かつ雑然としていた。12畳くらいだろうか? あちこちに資材や備品が置いてあるものの、それでもマネ部の部室より少し、余裕がある気がする。
入り口のすぐ左手には、モニターと異常にどでかいオープンシェルフが。右手には冷蔵庫と、1人立つのがやっと、ぐらいの狭いキッチンが備え付けられている。真正面には、大きな窓とソファとテーブル。応接間のようなスペースになっている。よくは見えないけれど、歴代野球部の集合写真もずらりと飾ってあって胸が弾んだ。後でじっくり見たい。
応接間スペースの左側には、『倉庫』と書かれた扉が見える。間取りでいうなら1DKに近い感じの造りらしい。
「ドリンク班は時間との戦いだから、頑張ろうねっ」
と、天女が両頬の横で親指を立てた。そして、シェルフに並んだジャグのうち、『野球部』と書かれたものを2台と、プラケースに入ったコップの群れを手に取った。なるほど、そうやってしまうのか。
「まずはぁ、コップとジャグを洗いまぁす」
言いながらふわふわの髪を括る。どこから出したんですか、そのピンクのシュシュ。耳周りの髪が、マンガのヒロインとかグラビアアイドルみたいに完璧な分量でだけ残されている。めちゃくちゃ可愛い。これでピンクジャージじゃなくて、レースのエプロンでも着てたら若くして結婚した理想の新妻! みたいなシチュエーションなのに。何でヤンキーも驚く悪趣味な格好をしてるんだろう。残念でならない。
洗剤の香りが、無駄に妄想を掻き立てるお手伝いをしてくれる。家に帰ったら、こんな彼女が待っている―― みたいな生活をしてみたい。同棲? 結婚? 最高だな。
「あっ、光太くん!」
「はいっ?!」
しまった。うっかり見惚れていた。すみません俺がやります変わります、と言うよりも、天女が
「濡れちゃう」
と言うほうが早かった。
「……はい?!」
「私の袖、捲ってくれる? スポンジ持っちゃったから、自分じゃできない」
泡だらけの両手と俺を交互に見て言う。俺が、女子の袖を、捲る?! そんな近くに寄っていいんですか?! だって、袖なんて触ろうと思ったら、ほとんど腕とか触っちゃいませんか?!
「早く、お願い」
「は、はい……喜んで!」
困惑と、「はい」しか言ってないという己の不甲斐なさに対する焦りの末、変態みたいな返事をしてしまった。袖捲りが性癖、みたいに思われたらどうしよう。違います別に喜んでないです、でも嫌なわけじゃありません。
意味のない謝罪と弁解を脳内で繰り返しつつ、ピンクジャージの袖を折る。白い肌が目に刺さって痛い。
「もっと」
「もっと?!」
「遠慮しないで、グッといって? 二の腕辺りまで」
「は、い……」
どうにでもなれという気になってきた。そこまで言われるなら、いいですよね?
恐る恐る濡れた手首を掴む。自分の親指と、薬指の指先が羽衣さんの腕の上で触れ合った。いやめちゃくちゃ細いな?! こんな華奢なのに、太りやすいとか言ってたのか。女子の感性が分からん。むしろ太ったほうがいいのではと心配になる。
「早く」
急かされるまま、勢いで二の腕付近まで袖を捲り上げる。決して故意ではないものの、第二関節辺りに触れてはいけない柔らかさを感じてしまった。
案の定、天女は睫毛バシバシの目を丸くして俺を見ている。だって、あなたが、腕を上げるなり離すなりして姿勢を変えてくれないから! 俺はそんなところ触るつもりありませんでしたけど?!
「……ふふ、ありがと!」
気にしてないよと言うように、天女がシュガースマイルを見せた。確信犯? そんな馬鹿な。やめてください何のフラグですかこれ。もう陥落しそうです。
「洗い終わったら、冷水器で水を汲むの。1台は、麦茶パックを2つ入れてお茶のジャグに。もう1台は、粉末状のスポーツドリンクを2パック入れてスポドリのジャグにしまぁす」
「はい」
「コツは、麦茶パックを“狙って”水を入れること! スポドリのほうはね、途中で何回かふりふりしてあげること」
「ふりふり……」
「そ。フタして、ぐるぐる~ってジャグを回して、粉がしっかり溶けるようにしてあげて?」
「分かりました!」
大人しく白状します。俺は、返事の威勢こそよいものの、頭の中では擬音語を話す天女が可愛い、何ならもう一回袖捲らせて欲しいとか、ダメなことしか考えていないマネージャー(見習い)です。ごめんなさいごめんなさい。
「冷水器はね、タイキョー出てすぐのところにあるよ。分かる?」
「はいっ」
「じゃ、先に水汲み始めててくれる?」
「行ってきます!」
「行ってらっしゃーい、お願いしまぁす」
何だこれ、新婚さんゴッコかよ?!
気まずさと緊張から逃げるようにしてタイキョーを出る。ジャグの前に、己を冷やそうと冷水器のスイッチを押した。一口、二口、三口。口内が冷えていくにつれ、頭も冷えた気がした。
切り替えねば。俺はハーレムごっこをするためにここにいるんじゃない。甲子園に出たいんだ!
決意も新たに水汲みを始めたとき、俺はまだ知らなかった。『紅白戦の日のドリンク班はめちゃくちゃキツい』ということを―― 。
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