第4話

「お前すげぇなぁ、尊敬するわ」

後ろの席の印内がしみじみ言った。俺は黙ったまま、さっさとリュックを背負う。気乗りはしないが、入部初日から部活に遅れるわけにはいかない。というか、わざわざ終礼後にまで言う必要ないだろ、それ。散々聞かされたよ、朝から。

昨日の野球部……と、マネ部での1件は、既に校内で知らない生徒はないというレベルの話題になっているらしい。

「姉ちゃんに昨日『トライアウトに落ちたのに、拍手喝采で野球部に歓迎された1年の安養寺ってのがいるって聞いたんだけど、知ってる?』って言われたときは、姉貴、受験勉強のストレスでおかしくなったのかなと思ったけどさ」

「それ、朝からもう2ケタは聞いたよ」

「ぶっちゃけ野球部に入るのはムリだろうなと思ってたけど……まさかなぁ。お前すげぇなぁ、度胸あんのな、見直した」

ムリだと思ってた? 見直した? お前はいったい俺のどこをどう見て、下に見積もっていたのかと問い質してやりたい。

「分かったからもうやめてくれ」

「いや本当だって。尊敬、尊敬」

「もういいって……」

「今から初めての部活だろ? 頑張れよ、親友!」

ぼすんと背中のリュックを叩かれた。出会ってまだ3日だろ、出席番号が前後なだけの俺たちが、いつそんな気の置けない間柄になったんだ?

ツッコむべきところなのかもしれないが、クラス中から飛んでくる好奇心たっぷりの視線が恐ろしい。注目を浴びるのに慣れてない俺は、逃げるように片手を挙げて教室を後にした。


印内が「姉ちゃんから聞いた」話によれば、マネ部の部室がある長屋は『副棟』と呼ばれているそうだ。校内で最も古いらしく、昭和の時代から姿を変えていないという。そう聞けば、すぐにレールから外れてしまいそうなアルミサッシの引き戸にも、LEDではなく蛍光管照明なのにも納得はいく。町中にあったら、ここで夜な夜な怪しい売買が行われているらしいよ、なんて噂が立ちそうな建物だ。

とはいえ、俺は別に薄気味悪さから『マネ部』の部室へ入るのを躊躇しているわけではない。断じてない。大して冴えない二軍男子の俺が、一軍女子の集う空間に踏み込むのだ。ハードル? 高いに決まってるだろう。

ちゃちなはずの引き戸が、絶対に割れない壁のように見えてならない。この壁をぶち開けるのは、自殺行為に等しく思えてくる。だからといって、戸の前でもじもじし続けていたのではただの不審者だろう。

意を決して戸を開けようとしたものの、それより一足早くドアがスライドした。

「うわっ! びっくりした」

俺もです。開けようとしたドアがいきなり開いて、中から美人が出てくるから。

「あ、すみません! えっと、こんにちは!」

何だこの不審な挨拶は。パリピが苦手だからってビビりすぎだろ、俺。自分でも引くんだけど。

出てきたのは、現代アートみたいな全身の2年生マネージャー。清末さんというらしい。パリピ感のあるテンションの人で、ちょっと苦手だ。昨日と同じく、おダンゴ頭をキラキラのピンが彩っている。どうやらこれが、この人のデフォルトらしい。

「おっせぇよ! 今探しに行こうとしてたとこ」

「あ、すみません」

「おう。んじゃコレ。どっかで着替えてきて」

突き付けられたのは、ぐちゃっと丸まった紙袋。

「? 何ですか、これ」

「マネ部専用ジャージだよ。ウチらのユニフォーム的な?」

「ユニフォームがあるんですか?」

「昨日みたいに、あんまやることないときは制服のままだけどね。基本的には着替えてる。制服汚れると困るしょ?」

そりゃそうだなと頷いた。とりあえず開けてみようかと思ったら、

「アタシらもこれから着替えるから、早いとこトイレかどっかで着替えて来いよな」

と、こちらの話す暇などないまま戸を閉められた。

トイレで着替えか。気は進まないが、さすがにあの美人たちと着替えをともにするわけにもいかないから仕方ない。今日は体育教官室横のトイレで着替えるとして、明日からは教室で着替えてから顔を出すことにしよう。


***


「……はぁ?!?!?!」

絶叫した後でここが学校だったと思い出し、慌てて己の口を押さえた。いくら施錠したトイレの個室とはいえ、外にはダダ洩れだったに違いない。ドアの隙間からそうっと辺りの様子を伺う。幸い、誰かに覗かれたりノックされたりしそうな気配はなく、ほうと胸を上下させた。

そのまま部室までの道を逆トイレダッシュして、目いっぱいの力で引き戸をスライドさせる。数分前はその戸をノックすることさえも躊躇っていたというのに、今は1ミクロンの戸惑いも感じない。

薄暗い室内にいるのはもちろん美人マネージャーたち。と、部長。全員が、ド派手な蛍光ピンクのジャージに身を包んでいる。目の前がチカチカするのは気のせいではないだろう。視覚から与えられる情報で頭痛が生じているのだ。まるで親の本棚にあった古いマンガの、カラーギャングだかヤンキーだかの集団みたい。先輩方、その色が集まるとどうやら網膜と脳神経に痛みが走るようなんですが、そこらへんどうお考えですか。いいんですか、それで。

「あ! 何で着替えてないんだよ、お前」

清末さんは明らかにムッとした表情で、パリピの怒りに慣れてない俺の末端神経は情けなくもびくついてしまう。

「つーか、ノックしてから開けてよ。まだ着替えてたらどうすんの」

「びっくりしたぁ」

浜浦さんと羽衣さんがそれに続く。脊髄反射で

「すみません」

と口走ってから、自分が言いたかったことは謝罪ではないと思い出す。

「じゃなくて! これ、何なんですか?!」

「何って、マネ部のユニフォームだってば。さっき説明したじゃん。あ、サイズ合わなかった?」

「そうじゃなくて! 何でどピンクなんですか?! 学校指定のジャージは紺じゃないですか! 何でこんな……」

頭の悪い色なんですかと続けたかったが、さすがにそこは憚られたのでぐっと口を噤んだ。紙袋の中でコンパクトに丸められていたジャージはまさかの蛍光ピンクだった。おまけに、腕と脚の部分には清末さんのヘアピンみたいにギラギラ光るハートが列をなしている。夜中に外で集会を開いているヤンキー女子が着てそうなデザインだ。おまけに左胸には大きな桜の模様のアップリケて。何だ、これ?!

自分がこれに袖を通さなければならないなんて、信じたくない。一度ならまだしもこれから3年間、ずっとコレを着ないといけないのかと思うと背筋が凍りそうになる。

「何で? うーん、周りが見たとき『あ、あいつマネ部だ』って、わかりやすいようにじゃね?」

「え、可愛いからじゃないの?」

清末さんと副部長の無責任な口撃でHPを削がれた俺は、

「だいじょーぶだよぉ、似合うって、多分」

羽衣さんという止めを喰らい、がくっと首を折る結果になった。羽衣さん、討ち死にした俺を不思議な顔で見詰めてくるのはやめてください。好きですとか可愛いですとか、うっかり言っちゃいそうになるんで。

私服は10割黒か青で、休日は9割9分ジーパンで、アクセサリーの類は一つも所持していない、オシャレとも派手な格好とも無縁の冴えない男子高校生の俺に、これが似合う? そんなわけがないでしょうよ。肩が重力に負けて、下へ下へと落ちていく。

「いや、その……恥ずかしいです……男だし……」

「え、ウッソ。じゃ、実は部長も着たくないとか?」

「オレ? 別に? 可愛いじゃん」

ダヨネーと、役職者コンビは盛り上がっている。あれくらいの図太い神経を持ち合わせていなければ、ここではやっていけないのかもしれない。野球部のマネージャーに必要なのは、フィジカルよりもメンタルということだろうか。甲子園を目指すには、筋力よりも精神力を鍛えろと? どんな昭和のスポ根マンガだ、畜生。

「ひょっとしてあれ? ピンクは女子の色だーとか、そういう時代錯誤なセンス?」

なぜ、俺が、時代遅れの悪者扱いをされているのか。解せぬ。やっぱりパリピとは感性が合わない。どうしよう、この人たちとやっていける気がしない。

「とにかく着替えてきてよー、ミーティングが始めらんない。野球部の練習始まっちゃうから、急いで!」

「……はい……」

そう言われては頷くしかない。副部長に半ば追い出された俺は、さっきのトイレ目指して重たい足を引きずり出した。あぁ、しまった。もうこれで着替えるしかなくなった。前途多難すぎる幕開けだ。

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