第3話

「へぇ」

「マジィ?! そうきたぁ?!」

現代アートさんが、こっちが引くくらいのリアクションを見せた。揺れたセーラーの襟には緑色の校章。浜浦さんと同じ2年生らしい。

「あ、はい、お願いします!」

紹介された流れで、俺は軽く頭を下げた。

「入部すんの? マジ?」

「はい! よろしくお願いします!」

腰を直角に折ってご挨拶。これでも体育会系だったからな。リトルリーグ生活の中で唯一身に付いたそれ“らしい”スキルは、この姿勢かもしれない。一呼吸おいて顔を上げると、ゆるふわ系の美女がゆっくり手を叩いて笑った。

「いらっしゃーい」

鼻先で揃えられた両手の甲には毛細血管が浮かび上がっている。どんだけ白いんだ、この人。柔らかな垂れ目と、1ミクロンの隙間もなさそうなほどびっしり生え揃った上睫毛。深窓の令嬢? 芸能人? どちらを言われても納得できる。いずれにせよ、彼女いない歴=年齢どころか親しいと言える女友達もいない、女子という生き物にさほど免疫のない俺が接していいルックスじゃない。

肩先で緩くカールした髪も何だか美味しそう。ヨーロッパの伝統菓子ですと言われたらハイソウデスカと頷きそうになるほど甘そうだ。緊張のせいか吐き気がしてきたところで、

「男子か! 男子なんだな!」

と野太いシャウトが響いた。

「見りゃわかるっしょ」

「歓迎する! 誰が反対しようともオレは歓迎するぞ!」

声の主である男子生徒は、両手で天を仰ぎながら頭をゆさゆさと振った。その仕草、どこかで見たことある。多分、中学の芸術鑑賞会で見た百獣の王のミュージカルだな。ケガで戦線離脱を余儀なくされた元・選手だろうか? 筋骨隆々で、身長も180はありそうなガタイだ。いいなぁ、俺もそんな身体に生まれたかった。

「ぶちょー、別に誰も反対とか言ってなくない?」

「あーでも、もし私より可愛い女の子だったら、反対かも」

「理奈さんすみません、ちょっと黙っててもらえますか」

「えーさやかちゃんつれないのー」

「とにかく、入部確定なわけね?」

浜浦さんと現代アートさんとゆるふわ天使が口々に好き勝手言い合っている。この流れに入れるほどのコミュ力はないから、とりあえず激しく頷くことで場を乗り切ろうと首を縦に振り続けた。

「おー、ようこそマネ部へ!」

「あのねぇ、まず第一に言っとくけど、キャバ部とか雑用部とか言われたり笑われたりしても、相手しちゃダメだからね?」

「コイツは男だし言われないっしょ」

「あ、そっか。じゃ、ホストとか?」

「え、ぶちょー、そんなこと言われた経験あんの?」

「ねぇよ、あるわけねぇだろ」

「コールやってよ! はーい、シャンパン入りまーすって」

「だから言われたことねぇって!」

何やら楽しそうなムードなのは喜ばしいことだ。が、引っ掛かる。キャバクラ? 雑用? いやもっとそれ以上に決定的な何か、モヤっとする一言があった気がする。けどそれが何かを掴めないまま、会話を脳内で反芻する。

「……部長?」

「おう、何だ?」

ぽつり、口をついて出てきた単語で合点がいった。そうだ、きっと『部長』という名詞だ。厳つい彼が部長ということは、やはりケガで第一線を諦めた元・球児に違いない。しかも相当、いいプレイヤーだったのだろう。だからこそ、戦線を離れた後でも部長と呼ばれているのだ、きっと。

「マネージャーになってからも、部長なんて。すごいです、尊敬します」

「んあ?」

部長さんが唇を尖らせた。

「いや、あの、嫌味とかじゃないです。ほんとに、純粋に」

「まぁ、大した人数じゃないけど書類的にな、部長が必要だからってだけで」

「マネージャーの立場から、野球部60人を率いているんですね」

今度は噴き出した。

「そんな大それた立場じゃねぇよ。名義上はこの5人のリーダー、ってぐらいかな」

「でも部長ですもんね!」

「だから一応な、マネ部の」

「……マネ、部?」

クエスチョンマークが再び脳内に散らかっていく。あれ。もしかしたら、さっき引っ掛かったのは『部長』って言葉ではないのかもしれない。今自分で口走った、この聞き慣れない単語なのでは?

「え、マネ部? とは?」

「は?」

「……え?」

美人たちも違和感めいたものを抱き始めたらしい。首を傾げたり、唇をへの字に曲げたり、口をぽかんと開けたりしてその胸中を表現している。何だ、この居た堪れない雰囲気は。

「もしかして、マネ部のこと分かってないとか?」

誰にともなく、ゆるふわ美人が尋ねた。現代アートさんと部長さんが

「あぁ、納得」

「おいおい、まじかよ」

とそろって頭を抱え出した。

「だから部活動紹介したほうがいいって言ったのに」

呆れ顔の浜浦さんが腕を組んだ。責めるような口調で、なぜか俺まで気まずくなる。「えーでもそんなことして、可愛い子がいっぱいきたら、私、立ち直れないもん。だからやらなくてよかったと思うよー? 部長、だいじょぶだいじょぶ」

「あの、どういうことですか? ここ、野球部じゃ……?」

藁にも縋るような思いで浜浦さんに尋ねる。と、

「そうだよ。ここは野球部じゃない。マネージャー部」

という端的な答えが返ってきた。

「マネージャー、部?!」

「ウチの学校では、野球部のマネージャーになるってことは、野球部に入部するんじゃなくて、マネージャー部に入部するってこと」

何だそれ。バシッと言い切られたところで納得などいかない。パニックのせいか、じわじわと背中が湿ってきた。

「マネージャー部って何なんですか? 俺、野球部に入るのが夢で……」

「要するに、マネ部からの派遣制なんだよ。新和第一の野球マネは」

随分前に「へぇ」と言ったきり、ずっとチョコレート菓子を頬張っていた美人が口を開いた。シャンプーのCMに出られそうな艶々の黒髪ストレート。テーブルの下で組まれた足が窮屈そうで、スレンダーという言葉の見本みたいな体型をしている。セーラー服がコスプレかと思えるほど大人びた顔立ちで、直視するのが恥ずかしい。襟元の校章は青だから、コスプレでないのならば3年生のようだ。

「派遣制?」

意味がわからない。というよりも、分かる気はするけれど受け入れたくないと言ったほうが正しいかもしれない。だって、そんなの、聞いてない! 今、初めて知ったけど?!

「そう、派遣制」

言って、コスプレ美人はまたテーブルの焼き菓子に手を伸ばした。ぼろぼろ零しながら割って口に放り込んでいく。

「あー、美味しいね、今日の特に」

俺以外の全員がうん、と首を縦に振った。口をもごもごさせながら、コスプレ美人は続ける。

「10年前だっけ? 甲子園優勝したの」

「9年前ですよ」

訂正したのは浜浦さんだった。

「おぉ、だいたい合ってた。ま、そこは本題じゃないから許してね。ええと、ご存じのように、ウチの野球部はプロ野球選手が何人も出るほどの名門だけど、低迷してた時期もあるのよね。その低迷期から這い上がったのが9年前。久しぶりの甲子園出場、そして優勝! さすが名将、四王寺海鷹!」

知ってます、俺、高校野球オタクなんで。とは言う勇気がないので黙って頷く。

「キレイに韻を踏んだな」

部長が関心しきりといった顔で呟くと、現代アートさんがそれに続いて笑った。

「監督の名前がカイヨウだから上手いことハマったんですね」

「んふふ、ありがとん」

飲み込む前に喋っているせいで焼き菓子が口許から零れ落ちていく。何と言えばいいのか、ちょっと残念な美人だな。

「その年って、マネージャーは3年生の女子生徒1人しかいなかったらしいのよ。でもね、甲子園出場決定後と、それから優勝後に、マネージャー希望の女子生徒が殺到してね」

ありそうな話だ。今度も俺は、黙って頷いた。

「当時はちょうど、進学先の質も落ちてた頃らしくてさ。教員たちが激怒したんだって。『浮ついた気持ちで飛び付くな、ウチの部活は遊びでやるものじゃない!』って」

「なるほど」

三度頷いた。誰だかは知らないけれども、その先生方の言う通りだ。マネージャーという響きに憧れてそれを目指すだなんて、ミーハーもいいところだ。そんな生徒は一昨日きやがれってな話である。

「でもマネージャー希望の子たち……特にその、浮ついた系の女子たちは、諦めなかった。“名門野球部の女子マネージャー”っていう肩書きが欲しかった子もいれば、未来のプロ野球選手と仲良くなっておきたい! みたいな子もいただろうね。教員たちは教員たちで、せっかくスカウトしてきた野球部員たちがそういう子たちに現を抜かして、野球が疎かになるのを阻止したかったんだと思う」

「なるほど」

「でも既にマネージャーはいたのに、『今後、マネージャーは認めない』なんて言われて、そう易々と引き下がることはできなかった。それで、マネージャー希望者たちは教員に詰め寄ったんだってさ。何で急にダメだと言い出したのか、どうすればマネージャー活動を認めてくれるのか、って」

「は、はぁ」

話が見えなくなってきた。もうなるほど、とは首を振れない。

「教員サイドも会議して、出た結論が『マネ部』の設立、っていう道だったの。部活動の内容そのものが野球部のマネージャー活動、っていう部ね。つまりココ。そして、その中で最もマネージャーとして力のある1人を毎年選び出し、その1人だけに野球部所属を認め、同時にスコアラーとしてベンチ入りする権利を与えよう、と。それが教員サイドの結論ってわけ」

「……はい?!」

「あ、ちなみに、そのスコアラー以外はあくまでも『マネ部』だからね。部活動中の野球部との接触は極力控えてよ? 当然だけど、野球部を名乗ることもNGね。遠征も帯同禁止。この規則を破るマネージャーは、野球部はおろかマネ部にも籍は置けません。退部です」

「万が一でも悪さをしたら、野球部の責任問題になるからな。そんな迷惑はかけられん」

うんうん、と、厳つい見た目からは想像できないほどの優しい声で部長が頷く。俺はその傍らで、痛くも熱くもないはずの額に掌を当てて俯くしかない。

つまり、俺はやっぱり、野球部所属ではないと。野球部に入るにはマネージャーしか道はないけれども、マネージャーになるにはまずマネ部に入らなければならない? ということは……どういうことだ?

「で、新入部員なんだよね? 1年生?」

「あ、はい。1-3の安養寺光太です」

ほぼ条件反射で自己紹介とお辞儀を返す。と、

「私は3年の伊倉。副部長やってます、よろしくね」

と言って、コスプレ美人が笑った。お菓子の粉がくっついていても気にならないほどの、左右対称な唇の上げ具合。惚れ惚れする美しさだ。

「はいはーい、3年1組、羽衣理奈です。よろしくね光太くん」

ゆるふわ天使が微笑んだ。アイドルスマイルとでも表現すべきだろうか、釣られてこちらの頬まで緩むような笑顔だ。砂糖たっぷりの甘いお菓子みたいな中毒性を感じる。無害に見せてるけれども、危険だ。絶対、……多分。

「へ、あ、はい、よろしくお願いします……?」

「ようこそマネ部へ!」

副部長が手を叩き始めた。他の美人3人と部長も続いたので、色々面倒になってきて頭を下げた。こうして、俺のマネージャー生活は幕を上げたのである。

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