<山田勇太/26歳/機材員>

 自販機の上から飛びかかってきた小鬼を、ぶん殴った。

 警棒ならぬ護身用懐中電灯で。こんなに金属の棘がついていてウォーキングのお供にだなんてジョークがきつい。

 ひるんだところへ拳銃を一発。NMBとかって刻印された拾い物。9ミリ弾。

「あざやか! さすがは山田くん!」

 佐藤さんのひきつった笑顔の後ろ側へも一発。小鬼はよく飛頭を伴う。

 モンスターはどちらもかすれるように消えていった。金は落とさないが、実は経験値がカウントされていて、いつかレベルアップするのかもしれない。

「ご、ごめん。今のは俺がやってなきゃダメなやつだよね……」

 それはそう。アサルトライフルを抱えてきたのだから、せめて対空警戒くらいはするべき。両腕にビニール袋をぶら下げているのもよくない。

「ミルクはマジで大事だからさ。あとお尻拭き。水も節約しなきゃだし」

 俺とこの人とではゲームのジャンルが違う気がする。

 食料品、医薬品、電池……このショッピングセンターは当たりだ。近くに自衛隊駐屯地があるから、近隣住民の多くは立てこもらず避難したのだろう。トラック班へ知らせるべき―――遠く、ドーンと爆発音が響いた。

 次いで銃声。これは近い。数も頻度も多い。

「お店よりも向こうからだ……うわ、また爆発! え、戦争!?」 

 あっちにはだだっ広い公園がある。音は東の端の方、いや、テニス場や陸上トラックにまでかけて広がっている。大規模な戦闘のようだ。

 関わるべきか、関わらざるべきか。

 佐藤さんには拠点へ戻ってもらい、俺だけでも様子を見てこようか。

「……山田くん、あれ……」

 蜘蛛……大きい……木々よりも高くそびえる八本の節足。

 ジャンルが変わった。地球を防衛する系か怪獣を討伐する系なら無理ゲーだ。災害脱出系だとしてもクリア難易度は跳ね上がった。

「ひい、ひい、虫は嫌だ虫は嫌だ嫌だ嫌だ……」

 耳を澄ませて考える。逃げきれるか、それとも無理か。

 戦闘音が移動している。どんどんこっちへ押し込まれている。巨大蜘蛛はさして動いていない。それでも戦闘は激しくなるのだから。

「ひいいっ!」

 来た。カサカサと別の蜘蛛。猫並みの大きさ。思い切り蹴り飛ばした。

 もう一匹をキック。糸を飛ばしてきた。懐中電灯がベトベトだ。踏み潰す。死骸は掻き消えても糸は残る。厄介な仕様だ。

 ダメかもしれない。そこはかとなくクソゲーの臭いがする。

「うわあ、出たあっ!」

 歩道から犬並みの大きさの蜘蛛。射撃音。5.56ミリ弾が黒い体液をまき散らした。佐藤さんは迂闊だしビビりだけれど射撃が上手い。

 でも、これまでだ。やっぱり逃げきれなかった。

 霧だ。

 街路樹を呑み込むように流れ込んできた。風もないのに寄せ来てうごめく、溺れそうな灰色。ゲームオーバーの演出だ。灰色の中から一匹また一匹と蜘蛛がにじみ出てくる。警棒電灯に薄っすらと結露が、危険な水滴が生じ始めている。

 足元に蜘蛛。撃ち倒す。最後は溶けて消えると決めている。

「ちょ、山田くん! マスクしてマスク! 肺がやられちゃうよ!?」

 どうせ助からない。クソゲーにムキになっても仕方がないのに。

「あっちの高台まで行けば、きっと……どうしたの! 走って走って! ほら!」

 佐藤さんがすごい剣幕で急かしてくる。走りながらもエイムが鋭い。出てくる端から蜘蛛を霧へ戻す。

 徒労だろうにすごみがある。俺も銃を撃つ。

 必死な表情に引っ張られる。俺も駆けている。

「こんなところで死ねない……帰るんだ、あの子のところに……!」

 そうか、この人にとっては同じなのか。この瞬間もサバイバル子育てゲームであることに違いは……いや、違う。違うな。

 佐藤さんは真面目に生き足掻いている。

 ゲームのつもりでいるのは、俺だけか。

 そうだ。世界の理不尽さを受け止められず、空想へ逃げていたんだ。だって、みんな死んだ。何もかもがメチャクチャになって、未来に希望なんて欠片もなくて……家よりも大きな蜘蛛なんてものと目が合った。

 こんな現実、あっていいわけがないだろう?

「山田くん、このミルクをあの子に」

 なんで、微笑めるんだ。

 そんな佐藤さんの足に、どうして蜘蛛の糸が絡みついているんだ。

 取れない。これじゃ動きようがない。出血もひどい。手のひら大の蜘蛛が群がり血を啜る。打ち払っても叩き潰してもキリがない。

「もういいよ。霧のせいか、あまり痛みも感じないんだ。行ってくれ。できるだけ、あの大蜘蛛の気を引いておくからさ」

 育児用品を俺に押し付けてくる顔、真っ青だ。マガジンを交換する手、ガタガタ震えている。

「ほら、走って……走れ! 山田くん!」

 涙も鼻水も垂らして、佐藤さん、最後にニヤリと笑った。

「ここは俺に任せて、先へ行け!」

 従った。走った。涙も鼻水も垂らして、俺は必死に走った。男らしい咆哮に背を押され、すさまじい絶叫に心震わされて、俺は逃げて逃げて逃げきった。

 拠点に戻ったその後も、俺は決して諦めなかった。

 霧や水が押し寄せてこようとも、モンスターとの戦いで右腕を失っても、コミュニティが崩壊して放浪する羽目になっても生き足掻いた。

 だって、託されたものがある。護るべき小さな命がある。

 今も、まだ絶望していないさ。

 清掃工場の高い煙突……らせん階段を登りきって、水没した東京を眺めている。霧のせいで雲海の上にでもいる気分だ。

「あうあー?」

 遊んでほしいのか? これは別に遊んでいるわけじゃないんだぞ?

 一応はLEDライトのついていた警棒モドキを、点滅させたり振ってみたり。四六時中薄暗いばかりで日数も定かじゃないけれど、三日から四日はやっている。

 きっと助けが来てくれるはずだ。

 こんなことになっているのは東京だけで、県境の向こう側では霧の切れ端すら見られないという話なんだから。

 今日はダメでも、明日なら。

 今日もダメなら、明日こそ。

「あうー」

 ほら、来てくれた。

 軍用ヘリコプターからロープと共に誰かが降りてくる。川の氾濫のニュース映像で見たことのあるやつだ。

 ……はい。その子だけ、よろしくお願いします。

 今や左半身だけしか残っていない死にかけですから、俺は。

「ああー!」

 バイバイ。元気で。どうか幸せに。

 これで、ようやく、終わり。デッドエンドはハッピーエンドじゃないかもしれないけれど、ゲームオーバーとも違う。言うなればミッションクリアさ。

「そうだろ、佐藤さん。あと、顔も知らない鈴木さん。俺たちはやり遂げたよな?」

 霧が舞う。ここも直に水に沈む。

 東京が全滅したって、あの子一人だけでも生き残ったのなら、俺たちの勝ちさ。

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ここは俺に任せて先へ行け! かすがまる @springring

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