<佐藤孝弘/35歳/配送業>
パニック映画の撮影ってわけじゃないんだよなあ、やっぱ。
さっきの気味の悪いやつら……びしょ濡れの異常者たち、本気の本気で人を喰ってたもの。血肉グバアッて。助けにいった人たちもひどいことになったんじゃないかなあ……警察とか自衛隊とかの出番じゃん、あんなのはさ。
ヒーローでもない一般市民としちゃ、さっさとその場を離れるのが大正解。
映画じゃないからね。日々の業務ってものがあるからね。
さあさせっせと事務回り用品を運んでしまおう。俺は出来高払いの働きアリさ。腰にガタが来ていてそろそろ寿命のアリ。転職もうまくいかないし、出会いもないし、推しは炎上して引退するしで、もう死にかけ挫けかけ。
はあどっこいしょ。地下街って車を横づけできないのがつらい……うおう!?
ビックリしたあ。何だこの人。ゼーハーゼーハー言っちゃって。
関係者以外立ち入り禁止のドアから出てきたけど、どう考えても駅員って恰好じゃない……うっわ、血だらけじゃんか。抱えてるのは、え、ええっ、赤ちゃん!?
「ここはまだ地下か。クソ。入り組んでやがって……おい、お前、外は今どうなっている? ニュースだよニュース。どういう騒ぎになっているんだ?」
何だよ、自分で調べりゃ……なるほどガラケーじゃ無理だよね……何だこれ?
未曾有の大災害? え、ここで? 東京で? 何で埼玉県知事が記者会見? そこはせめて都知事じゃないの? 何か電波もめっちゃ悪いな……はあ?
千代田区以東が水没って、どういうこと?
この石の小屋みたいなのが国会議事堂? なるほど、天辺の所かあ……冗談でしょ? 見ている間に全部沈んだよ? え、何今のでっかい影……恐竜? 首長竜とかそういう……火ぃ吹いたけど!? ヘリコプター墜ちたけど!?
「悪夢の中の悪夢だな。世界が酔っ払っていやがる」
夢。確かに。ゾンビめいたやつらもいたし、パニック系全部乗せって感じかな。
こういう時って頬をつねるんだよな。痛いな。痛みのある夢かな。
「あのバケモノ、ここら辺にももう出るのか……おい、見たところ業者のようだが車あるか?」
ああ、うん、地下駐車場に停めてあるけど。配送用の軽トラを。
「乗せてくれ。その重そうな品物は置いていけ。しっかりしろ。事はもう生き残れるかどうかの瀬戸際なんだ……おら、呆けっとするな! 一緒に逃げるんだよ!」
わかった、わかったけどさ、あんたフラフラじゃないか。病院行った方が……病院もパニックになってるのかな……こういう時ってどこへ逃げればいいんだ?
「少なくとも埼玉は安全そうだ。道は詳しくないが北へ走らせればいい。ダメなら西だ。とにかく少しでも高いところへ、水から遠いところへ行くんだ。いいか、よく憶えておけよ。あの水には触れるな。あれは尋常な水じゃないんだ」
水害なのかな。津波とゾンビとドラゴンと、血塗れのおっさんと赤ちゃん。あと仕事を放りだした俺。意味がわからない。誰か実況解説してくれよ。
「待て! 水たまりを踏むな。そこの車の下から……いや違うな。見ろ。排水溝から水が漏れ出ている。急げ。ここももうダメだ」
やっぱこれパニック映画なんじゃないかなあ。そういう夢を見ているんだ、俺。
それならそれで、助手席にはおっさんじゃなくてお姉さんを乗せたい。ゾンビ相手に暴れ回って無双したい。こんな風に轢きたくない。ドゴンッて音したよ。窓に血が……赤くなくて黒い? しかも蒸発するみたいに消えてく。やっぱ夢じゃん。
ああほら、シャッター閉まってるし。きっと閉塞感とかの象徴なんだ。
「操作盤はあれか……もう水浸しだし、バケモノもうようよいやがるな……」
気の滅入る現実を暮らしてるんだから、夢くらいはスッキリ爽快な内容がいい。
覚悟を決めた風のおっさんなんて、見たくない。
やめてよ。何でそんなにやさしい手つきで赤ちゃんを固定してるんだよ。何かを伝えるみたく撫でてやるなよ。深呼吸する息がもう、ブルブル震えてるんだよ。
「俺のことはいいから、進めるようになったらすぐに行ってくれ」
そんなこと言わないでくれって、おっさん。俺には無理だよ。夢なら早く覚めてくれよ、もう嫌だよ。
「託したぞ」
降りちゃった。ゾンビたちを振り払いながらスイッチへ取り付いて、押してくれたから、シャッターが徐々に上がってく。
アクセルを踏む。おっさんの喰われる声と音が聞こえない外へ。地上へ。
曇り空の下、誰も彼もが右往左往してる。どの手にもスマホがあって、きっとこの世の終わりみたいなニュースを繰り返し映してるんだろう。
ほらほら、そろそろわかって逃げ出しなよ。もう、そういう瀬戸際なんだよ。
声かけなんてしない。そのうち車道も混乱する。そうなる前に遠くへ行かなきゃならない。託されちゃったからには、そうするしかないんだ。
「あーう?」
よしよし、可愛いな。任せとけって。
俺はヒーローじゃないけど、でも、運送配送は手慣れてるんだからさ。
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