第13話 魔術師の心臓
硬いベットに、対して暖かくない毛布。学院が所有する寮の俺の部屋に置かれた安い寝具の上で、俺は目を覚ました。
いや違う。
目を開くと映る景色は、俺が毎朝見ているものとは違った。
いつもの天井ではなく、映っているのは若干重力に従ってタレ落ちた白い布だ。
鋭い痛みが胸に走った。
毛布をどけ、恐る恐る痛みの発生箇所を確認する。
何故か俺は学院の制服を身に纏い、シャツの胸の部分が乾いた赤色に染まっていた。
そして、そこまで見て思い出した。目を閉じる前、一体何が起きたのかを。
「バカか俺は。何寝ぼけてやがる!」
毛布を蹴り上げ、ベッドから飛び降りる。
白い布で囲まれた空間には、俺が寝ていたものの他にと、何台ものベッドが並べられている。
僅かに光が漏れ出ている場所まで行って、出入口から勢いよく出た。
僅かな間、東の空から射す光に目をくらまし、俺は自分が寝かされていた場所の正体を理解した。
「目が覚めたのか、レイノーン」
横から聞こえたのは、アリスのチームメイトの一人。ロナ・シルヴァースだ。学院の制服に身を包んだ少女は、俺が寝かされていた、学院の校庭に設営されたテントの外で手を組んで立っていた。
俺はその姿を見るなり、俺が眠っている間のことを尋ねた。
「あの後、何があったんだ? 俺はどのくらい気を失ってた?」
「聖典魔導協会だ。奴らが学院に攻め込んできた。それと、お前が眠っていたのは一晩だけだ」
なんとなく予想は出来た。あんなことができるのは奴らだけだ。
「ベットの上に寝てるのは?」
「全員、奴らと戦った者だ。命に別状はないが、当分は戦えない」
ベッドには生徒だけではなく学院の講師の姿もあった。
「本来ならお前も絶対安静なんだがな……」
ロナは呆れたように俺を見てくる。
俺は改めて、校庭の様子を見やる。
広々とした敷地には、俺が寝かされいた様なテントがいくつも立っており、まるで野戦病院のようになっていた。その周辺を何人もの生徒と講師が急いで走り回っている。
全員寝ていないのだろう。その顔には疲労が見て取れる。医療系の魔法を得意とする生徒や講師は特にだ。
よく見ると、ロナは制服の制服は血で汚れ、几帳面な彼女にしては珍しく髪も乱れていた。
そう言えば、ロナは国内で一番とされる法医院の娘だった。彼女の原典に記された魔法も、治療系の魔法のはず。
俺は自分の左胸を見て、ロナに礼を言おうとするが。
「礼には及ばん。学院の生徒として当然のことをしたまでだ」
そう遮られてしまった。
その顔には、焦燥といら立ちが見て取れる。
だが、今はそれを気にしている暇はなかった。
「その後はどうなった? 聖典魔導協会の連中はどうしたんだ?」
なんとか学院の生徒で追い払ったのか? だとしたら、どうしてこんなところに重傷者を置いてるんだ? いくつもの疑問が頭の中に浮かぶ。
「奴らは……」
ロナはひどく答え辛そうに、目線を校舎に向ける。
俺も校舎を見るが、その意味が分からず「ん?」といった表情をしていると。
「奴らは昨日から校舎に立てこもっている。負傷してい無い生徒を引き連れてな」
「冗談だろ……」
どうして気が付かなかったんだと自分を殴ってやりたい。まだ寝ぼけているのかと。
校庭にいる生徒があまりにも少ないではないか。
そして、何より。
聖典魔導協会による襲撃という、学院始まって以来の有事に、どうしてあいつが指揮を執っていない。
この国の王女にして、学院最強の魔術師。
アリス・ヨト・ルノール・ペルシアットがどうしてこの場にいない?
俺は恐る恐る、ロナに聞いた。頭の端に、最悪の事態を想定して。
「アリスは、どうした?」
あの時、俺があの黒い翼に貫かれて気を失ったとき、アリスはあの正体不明の少女の一番近くにいたはずだ。
「そこからは、私が説明しようか」
背中越しに、よく知った声が聞こえて来た。
「エレノア!」
俺は勢いよく振り返り、その声の主の名前を呼んだ。
「おはようフェイト。久しぶりにぐっすり寝たんじゃないか?」
こちらへ歩いて来るエレノアは、目が合うなり笑えない冗談をかましてきた。いや、今はその飄々とした態度が救いかもしれない。
そんなふうに俺が思っていると、エレノアは俺を通り越してロナの下へと近付いていく。
「重傷者の治療は一通り終了したぞ。後はやっておくから、少し休んで来い」
「いや、気にするな。私ならだいじょ……」
言いながらふらっと倒れそうになるロナを、エレノアが受け止めた。
「良いから休め。また怪我人が出たとき、お前がこれじゃこっちが困る」
「ああ、すまない」
珍しく気を使った発言をしたエレノアに、こちらも珍しく素直に従ったロナ。
本当に疲れているのだろう。
空いているベッドの位置を聞きそこへ向かうロナを見送ったエレノアは、再び俺に向き直り。
「お姫様は多分無事だ」
「多分?」
エレノアの発言に引っ掛かる。多分というのはどういう意味だ。
「あの後、私たちを逃がすためにお姫様は戦った。呆れるほど強いな、彼女は。あの化け物相手に一歩も引かなかった、が」
「が?」
「聖典魔導協会の構成員が来て押し切られた。流石のお姫様もどうにもならなかった」
「まさかと思うが……」
「そのまさかだ。他の生徒と一緒に、あいつらに連れていかれた。今は校舎の中だ」
「おいおい、ちょっと待て。じゃあ何で王国魔術師団の連中が来てない。この国の王女が拉致られてんだぞ!?」
「忘れたのか? 王国騎士団は数日前から―—」
「チッ。タイミングの悪い!」
言いながら、俺は違うと直感した。
数日前から、王国魔術師団はガルーン王国との国境に向かっている。学院の中でも腕利きの講師を連れて。
昨日の内か、遅くとも今頃には到着しているだろう。
今からでは急いでも二日はかかる。
間違いなく、王国魔術師団が国境に向かうよう仕向けたのは協会の仕業だろう。嘘の情報を流したか、ガルーン王国と手を組んだか。後者なら最悪だが、どちらにしても外部からの助けは呼べない。
「奴らはこの学院に封印されている魔法遺物を要求している。期限は明日の夜明けまでだ」
学院の地下には、世界中から集められた様々な魔法遺物が貯蔵されている。
「渡さなかったら?」
「さぁな。だが、奴らが何をするかくらいわかるだろ?」
学院がどう対処するつもりか知らないが、この様子だとまだ渡していないのだろう。
「チッ。学院長は何してる。んなモンさっさと渡しちまえばいいんだ」
「そうはいかないみたいだぞ」
「どういうことだ?」
エレノアは制服の内ポケットから丸めた羊皮紙を取り出して開いて見せた。
「奴らが要求している魔法遺物について書かれてる。読んでみろ」
渡された紙に目を通す。
「な、なんでこんなもんが学院にあんだよ……」
聖典魔導協会が要求している魔法遺物の名は『フローラの指輪』。
千年前、外宇宙の邪精霊と共に世界を滅びまであと一歩のところまで追い込んだ最悪の魔女、フローラ。
未だに謎が多い存在である彼女は、両手の指に三つの指輪をしていたとされている。世界中の有力な魔術師によって討伐された後も、その指輪には強大で邪悪な力の残滓がこびりついている。
長らく行方不明だったはずだが、学院が保有しているとは。
まさか三つとも学院が所有してるとは思えないが、どれか一つでも奴らの手に渡ればそれこそ世界の危機だ。
「だぁぁぁ、もう! どうすりゃいい!?」
ガシガシと頭を掻きむしって打開案を出そうとするが、血が上った頭ではロクな案が出てこない。
「落ち着けよ。らしくない」
冷ややかな視線で言われる。
だが、これが落ち着いてられるものか。
協会の奴らが何をしでかすつもりかは知らないが、フローラの指輪なんてものを要求してるんだ。ロクなことにならないことは誰がどう考えたって明白だ。
協会の奴らは人質をつれて校舎に立てこもってる。
どの教室にたとこもってる? 最適の侵入経路は?
嫌、だめだ。人質が取られてるんだぞ。まずはそっちを何とかしないといけないだろ。
つか、攻め込んだところでどうする? あいつらの戦力は現時点の俺たちの力でどうにかなるレベルじゃねぇ。アリスで駄目だったんだぞ。
必死に頭を回すが、どうやっても詰んでる。
「クソったれが……」
半ばあきらめかけた俺は、一度落ちつくために、校庭に設置されたベンチに腰っかけた。
硬い感触が、制服越しに尻に伝わってくる。
なんだ、と思い俺はズボンの後ろのポケットをまさぐる。
硬い感触のそれをポケットから出す。入っていたのは、握りこぶし大の石ころを真っ二つに割ったような形の石だ。
ただの石ではない。特殊な環境でのみ生成される内部に魔力が魔晶石だ。
青い輝きを持つ魔晶石を見た俺の頭に、一筋の光が見える。
「いや、待てよ。そうだ! 良い手があるぞ、エレノア!」
立ち上がって言うと、エレノアが困惑の表情で俺を見ている。
「どういうことだ?」
「簡単な話だ。アイツを呼べばいいだけじゃねえか!」
人質を解放し、協会の構成員を倒す。黒い翼の少女もアイツなら問題なんてないはずだ。
俺の師匠にして世界最強の魔術師。『黄昏の魔女』、『世界の調理者』。そんな大それた呼ばれ方をして、しかもその異名に恥じない実力を持った魔術師。
世界でたった一人、最高位階のイプシシマスに身を置く魔術師、シャーロット・アベニューを呼べばいいだけの話だ。
現在はシャーロットは学会に出席するためシドの国にいるはずだが、今は国家を揺るがしかねない非常時だ。
そんなことを思いながら、俺は青い魔晶石を通じてシャーロットに呼びかける。
この魔晶石には非常に特殊な加工がなされており、もともと一つの魔晶石を真っ二つに割り、ルーン文字を刻むことでペア同士で遠隔で通話をすることができる。
持ち主の微細な魔力に反応して効果を発揮するため、魔術師であればだれだって扱うことができる便利な代物なのだ。
「おいシャーロット、今すぐ学院に来てくれ。聖典魔導協会の連中が攻め込んで来て、アリスが人質に取られた。俺たちじゃあどうしようもない」
『……』
「おい、聞いてんのか! まだ学会の時間じゃねえだろ。さっさと返事しろ!」
『……』
しかし、返事は返ってこない。
俺は何度も魔晶石に向かって怒鳴るが、うんともすんとも言わない。
それを見かねたエレノアが、俺下へとやって来る。
「諦めろ、フェイト」
「ああ?」
苛立ちから、思わず恫喝するような声が出た。
「そいつで外と連絡を取るのは不可能だ。私も試したが、結界に阻害されてダメだったよ。というか、今のお前じゃ……」
最後まで言い切ることなく、エレノアは俺と同じ魔晶石を取り出して見せた。
そうか。よく考えてみれば学院外部に連絡が取れるなら初めからそうしているに決まっている。
「ちょっと待て。今結界って言ったか?」
「ああ。昨日のうちに、協会の奴らが張ったんだろうさ。闘技場と寮を含めて、学院の施設を覆うようにな」
俺は驚愕と共に校庭の端にある校門の方へと歩いく。
背の高い門の足元にたどり着き、開いかれた門から外に出ようとする。
一歩踏み出そうとしたとき、バチッという静電気が走るような音と共に足が弾かれた。
間違いない。脱出を阻害するような結界が張られている。それは問題ない。
だが、どうして気付かなかったのだろう。こんな結界があるなら、目覚めてすぐでも気づきそうなものだが。
俺は目を凝らし、魔力を瞳に集中させて結界を解析しようとする。しかし、解析できないどころかそもそも結界が見えない。
不審に思った俺は、エレノアに尋ねた。
「おい、エレノア。お前、この結界が見えてるか?」
「ああ、見えている」
どうしてエレノアに見えて、俺に見えない? わずかな間思考を巡らす。
ふと、気を失う直前。昨日俺の身体に、特に心臓に何が起きたのかを思い出した。
俺の脳裏に、できれば考えたくない最悪の事態が浮かぶ。
それを払拭するように、俺はエレノアに続けて尋ねる。
「もう一つ聞くぞ。俺の身体に……心臓に魔力は見えるか?」
「……」
目を逸らし、悔しそうな表情をした後、エレノアは答えた。
「……いや、見えない」
「……そうか。そうか……」
身体から一気に力が抜けて、その場に座り込む。
エレノアは、俺の心臓に起きたことについて説明し始めた。
あの時、黒い翼に貫かれた際に俺の心臓の、魔力を生み出すための器官は完全に破壊された。
なんとか心臓を復元して一命をとりとめたものの、その機能の修復は不可能だった。
外界から呼吸を通じて取り込んだマナを魔力に昇華する。それが俺たち魔術師の心臓の役割だ。
それができないということは、つまり。
「フェイト、魔術師としてのお前はもう死んだ。後は私たちに任せてお前はおとなしくしていろ」
冷淡に、残酷なその事実だけを伝え、エレノアは去っていった。
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