第10話 暗闇に、悪は蔓延る

「はっ、はっ、はっ」


 月が雲に隠れ暗闇に包まれた王都を、一人の少女が駆けている。

 長い黒髪に、黒い瞳の少女だ。普段は幼いながらも美の素質が感じられるその顔は、今はひどく歪んでいた。

 酷く息が荒れ、暗がりでもわかるほど、その顔には恐怖が張り付いている。


「なんでなんでなんで……!?」


 今日は夕方まで広場で友達と遊んでいた。日が暮れたので家に帰ろうとしていたところ、一緒に歩いていた友達が一人、いなくなった。


 はぐれたと思って、暗い王都を探し回っていると、また一人の友達が消えた。その後も探し続けて走り回っているうちに、また一人、また一人と消えて行った。

 そして、とうとう少女一人になった。


 ふと、妙な気配を感じた。

 それがどんなものかは分からない。だが、いつもの王都には感じたことが無い、どこか不思議な感覚を覚えた。


「誰か! 助けてっ!」


 そう叫ぶが、返事は無い。道に面した家の中には、まだほんのりと明かりがともっているものもあるのに。誰も少女の声に反応して出てきてはくれない。


 もう家からはかなり離れてしまった。市場を駆け抜け、細い路地を何度も曲がったからだ。家の方向なんて考えている暇はなかった。


「あっ!?」


 何度目かの曲がり角を曲がったところで、とうとうその足が止まった。

 行き止まりだ。目の前にあるのは民家の壁。屋根を超えるために役立つような足場は無い。身長を優に超える壁を、少女が乗り越えられるはずもない。


 そして、少女が足を止めていると。


「チッ。手間取らせやがって」


 後ろから男の声が聞こえて来た。

 真っ黒なローブを羽織った男だ。フードに隠れて顔はよく見えない。


「来い、クソガキ」


 大股で近付いてきた男が、少女の腕を乱暴に掴んで連れて行こうとする。


「や、やめて!?」


 少女は力づくで腕を引き離そうとするが、男の握力はそれを許さない。


「いっ、痛い!」

「暴れるんじゃねえ! 安心しな。ダメだったら解放してやる」

「離して!」


 なおも少女は抵抗する。

 自分の腕をがっしりと掴む手を、握りしめた拳で叩く。爪を立てる。思いっきり噛みつく。

「痛ッ」


 そこまでして、ようやく男の手の力が緩んだ。


 少女はその隙を狙った。痛みで手を引く男の脇を潜り抜け、退路が断たれた路地から抜け出す。

 その瞬間。


「あー、もう。めんどくせぇなっ!」


 男が少女の背中に向けて、指先から紫電を走らせる。


 バチという音と共に着弾した小さな雷撃は少女の全身を走り、「うっ……」という声だけを出させ、意識を刈り取った。


「ったく。ボスもめんどくせぇこと押し付けやがって。どうせ大ごとにするつもりなら、わざわざ隠さなくていいだろ」


 パチンッ、と指を鳴らすと、王都にかけれていた魔法が解けた。


 人払いの魔法。


 騒ぎを起こさず悪事を働くにはうってつけの魔法だ。少女が助けを求めても誰もそれに答えなかった原因でもある。家の中の人間に、外での出来事は伝わらない。


 この王都には魔術学院の寮があり、生徒や教師も多く住んでいる。いくら人払いのとはいえ、放っておけば彼らに気づかれる。

 人払いの魔法は使うたびに解除しなければいけない。


 男は地面に倒れた少女を脇に抱ると。

「さて、帰りますか」

 そう呟いて、その姿を闇の中に消した。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 人知れず王都の地下に建てられたそこでは、人道を外れた実験が行われていた。



「よお。連れて来ましたぜ」

「ああ。そこに寝かしておいてくおくれ」


 男は先程連れ去った少女を床に転がした。そこには他にも何人かの少女が倒れている。

 粋がるので死んでいない。大きな騒ぎを起こさないため、実験が上手く良かったなった少女は記憶を消して街に帰しているのだ。


「それで、成功しそうですか?」

「もうすぐ次の子だ。見ていきなよ」


 男と話しているのは、こちらもまた同じローブを纏い、フードを目深にかぶった男だ。

 否、男と言うよりは少年と言うべきであろうか。

 その声はまだ若いく、中肉中背の男と比べても、成長をしていないという意味で小柄に感じられた。


 二人がいるのは、彼らが所属するとある組織のアジト、その一つだ。人知れず王都の地下空間に作られた、丁度民家の一室程度の部屋には、他にも白衣を纏った男が四人いる。


 彼らの立つ場所の中心には不思議な魔法陣が描かれた布がかけられた机がある。

 通常の魔法に使われるようなものではなく、古代遺跡や魔法宝物アーティファクトなどに描かれた、幾何学模様のそれに近い。


 壁には先程攫さらった少女の友達が吊るされていた。魔法によってできたロープで両手両足を壁に固定されていてる。


「始めておくれ」

 少年の声が、ガラスを隔てた先の白衣の男たちに届く。


 そして、男たちは何らかの儀式を始めた。


「——天より見守りし使徒——」

「——時は満ちた。満ち満ちた―—」

「——宿命の時、運命の地——」

「——神聖たるその姿、我らに示せ―—」


 そんな意味不明な言葉を、白衣の男たちはまるで祈るように唱えた。


 直後、彼らの中心に置かれた幾何学模様の魔法陣が光った。

 激しく発した光は、その場の全員の視界に映る世界を白熱させる。


 瞳孔を調節した彼らの目の前には、人間の頭と同サイズの光のもやが出現していた。


 直ぐにその場から動き回ろうとするもやを。


「逃がさないよ」


 少年が言うと、魔法陣から飛び出た闇色の鎖が拘束した。


 神聖な存在を殺す呪いの鎖だ。


 もやは正体不明の力で抗うが、鎖はそれを許さない。ぎりぎりと締め上げられ、やがてその動きを止める。


「さあ、始めようか」


 少年の宣言と共に、人体実験が始まった。


 白衣の男は懐から透明な小瓶を取り出すと、それを鎖で拘束されたもやに近付ける。

 すると、たちまちもやは小瓶の中に吸い込まれ、白衣の男が蓋をしたことで完全に閉じ込められてしまった。


 小瓶を持った男が壁に吊るされた少女に近づく。


 少女の顔を持ち、その小さな唇の間に、蓋を外した小瓶を近づけた。

 滑るように、もやが少女の身体に侵入していく。


 ドクンッと、少女の身体が脈動した。もやから発生した正体不明の力が、少女の身体に宿り、身体から光が発生する。


 それと同時に、少女から強力な力が放たれる。

 それを見た白衣の男たちは、実験の成功の予感に頬を緩めた。


 しかし、それも束の間。


 もやの力が少女の身体で暴走を始めた。

 意識を失った少女の身体から発生する光と力はその勢いを増していく。


 ゴゴゴゴゴッと、暗い地下室が揺れる。


 失敗だ。白衣たちは暴走する力に怯える。

 彼らが呼び出し少女の中に入れた力は、彼らにどうこうできる程度のものではないのだから。


「ふむ。ダメか」

 少年がひどく冷静に言った。まるで状況を理解できない子供の如く、あっさりと。


「瓶を構えて。を取り出す」

「な、なにを……!?」


 少年の言葉を理解できない白衣の男。しかし、先程少女を攫ってきたローブの男が。

「さっさと準備しろ! 死にてぇのか!?」

 そんなふうに怒鳴ると、ビクッと身体を震わせてから小瓶を構えた。


 少年が目を閉じ意識を集中させ。

「——」

 何事かを呟いた。


 少年から発生した不可視の何かが、少女の中で暴れる力を

 強引に、つさらりと少女の中から引き抜いたもやを、白衣の男が構えた小瓶にしまう。


 その様子を呆けた顔で見ていた男は、「早く蓋をしなよ」と少年に言われてようやく気を取り戻した。


「やっぱり無理そうですか?」

「うーん。理論上は上手くいくはずなんだけどね。後は適合する器が見つかるかどうかなんだ」

「器ねぇ」

「儀式に使う贄と技術はそろっているからね」


 少年と男がそんなふうに話していると、不意に白衣の男が口を挟んだ。


「お言葉ですが……こんなことは無理ではないのですか?」


 突然発せられた言葉に、他の男たちが慌てる。


「ちょ、お前!?」

「何言ってんだ!?」

「申し訳ありません!」

 それを止めるほか三人の白衣の男たちの顔には恐怖が張り付いている。


「そもそもこれは一体何なのですか?」

「君が知らなくていいことだよ」

 三人の制止を無視して白衣の男は少年に尋ねるが、少年は穏やかに、しかし明確な否定の意思を持ってそう言った。


 しかし、白衣の男は引き下がらない。


「どういうことですか! 我々も組織の一員。知る権利はあるはずです!」

 

 続けて少年を問い詰める。


 他の男とは違い憤慨にも似た表情だ。

 ロクに事情も知らされずこき使われ続けたのだから、当然の反応だろう。


「何度も言わせないでくれ。君たちは僕に言われた通り動いていればいい。それが組織のため。のためにもなる」

「あの御方、ですか。我々は一度も、あの御方とやらにお会いしたことは無いのですが?」

「ははっ。まあ、君たちもそのうち会えるよ。実力が認められればね」


 白衣の男は苛立ちながら問いかけるが、少年はそれに取り合わない。

 その様子にさらに腹がったのだろう。


「ふっざけるなッ! あの御方に気に入られているだけで、組織の中枢にいるようなガキが!」


 ずかずかと少年に歩み寄り、ローブの胸倉をつかみ引き寄せる。


「テメェ、その手を放しやがれ!」


 ローブの男は、直属のボスに歯向かう不届き者を鋭く睨み恫喝する。殴りかかりそうな男。しかし、少年はそれを片手で制した。


「今すぐその手を放すなら許してあげる。五秒待つから決めなよ。放すか死ぬか」

いきがるなよ小僧。私は元々実戦派の魔術師だったんだ。今はこんな小間使いの様な立場に甘んじているが、本来は——」


 白衣の男の言葉は、最後まで発せられることはなかった。


■■■弾けろ


 少年が聞きなれない発音で、しかし何故かその場の全員が意味を理解できる言葉を発した。

 直後、ボンッという音と共に、白衣の男の身体が爆散した。


 赤黒い血液と、どこの部位か分からない肉片が地下室一杯に飛び散る。


 傍観していた三人の白衣の男たちはそれを頭から被り、少年は自分とローブの男を不可視の力で結界を張るようにして守った。


「はっ。雑魚のくせして調子乗ってからだ」

 獰猛にそう言うローブの男。


「けど、あんまりむやみに殺さないでくだせぇよ。人員確保に苦労してるんですから」

「ははは、ごめんよ。でも彼が居なくても問題ないよ。他の三人は一人でも彼の十倍は優秀だから」

「あんだけ粋がっておいてそれかよ。死んでよかったぜ」


 人を殺したにも関わらず、二人はまるでお茶でもするかのような雰囲気で談笑している。

 その間にも、残った三人は次の実験を始めるための準備を始めていた。


 壁に吊るされた少女を地面に下ろし、先程連れてこられた少女を壁に掛けた。


 ローブの男が不意に、少年の背後を指さして言った。


「そう言えば、あいつらなんですか?」

「ん? ああ。彼らは協力者だよ」


 少年が振り返った先にいたのは、全員学院の制服を着た少年たちだった。

 部屋の隅に座り込んだ彼らは、魔法で強化されたロープに手を縛られ、額に魔力を封じる札が張られている。


「協力者って……ありゃ学院の生徒でしょ? それに随分ずいぶんと怯えてるみたいですけど?」


 男の言う通り、縛られた少年たちの顔は青ざめていた。

 だが、それは今さっき人が弾けたことによるものではない。いや、もちろんそれもあるが。


「最初に強力を要請した時嫌がったから、痛い目にあわせたんだ。そしたら怯えちゃってさ。まあ役目は果たしてくれたから十分だけど」

「役目?」

「ああ。今回は僕もなかなか手が出せない場所だからね。彼らの助けが必要だったんだ」

「へぇ……。それで、あいつらどうするんです? 殺しますか?」


 男は興味なさそうに尋ねた。彼にとって、縛られた少年たちの行く末など心底どうでもいいのだろう。

 先程目の前で実際に人が死ぬところを見た少年たちは、男が発した『殺す』という言葉に露骨に反応した。


 ビクリッと震え、歯をカタカタと慣らしている。


「いや、やめておくよ」

「どうしてですか? ヤッちまた方が楽でしょ」


 男は平然とそう言う。冗談でも脅してでもなく、本心からそう言っているのが拘束された少年たちにも伝わる。


「しばらく学院に行ってないから、今頃誰かが気付いているかもしれない」

「確かに。でも返しちまったら面倒になりません? 俺らの計画がばれるかも」

「万が一死体が見つかったらその方が面倒だ」

 少年は、「それに、どうせ彼らは何も言えないからね」と付け足す。


 その言葉に疑問を示す男を見て、少年は「じゃあ試してみようか」と言って拘束された少年たちの下へ歩み寄る。


「君たち、僕のことを誰にも言っちゃだめだよ?」

「……………………」

 四人は一言も発しない。ただ目の前の圧倒的強者に怯えて黙っているだけだ。


「返事をしてくれよ。寂しいじゃないか」

 おちゃらけた様子でそう言うと、四人のうちの一人がやっとの思いで口を開いた。


「わ、分かった。だから……」


 震える声で言った言葉は途中で止まる。

「うん、わかってる。明日には解放してあげる」


 少年のその言葉を聞いて、少年たちの顔がパッと晴れる。


「ははっ。いい顔するじゃないか」

「……………………」


 少年が楽しそうに笑うと、少年たちは再び黙ってしまう。


「けど、もし僕たちのことをばらしたりしたら……わかってるよね? この前とは比べもにならないくらい酷い目にあわせるよ」


 温度の無い声でそう言われた少年たちは、その圧力に額から汗を流しながら、首を縦に振った。


「さて、実験の続きを始めようか」


 少年は準備を整え終えた白衣の男たちの方を向き直ってそう言った。

 その声は先程よりも高く、表情はどこか明るかった。


 まるで無邪気な子供の様な行動に、その場の全員が確かな狂気を感じていた。


 子供を使って人体実験を行い、人を殺し、恐怖を植え付ける。そこまで人道から離れた行いをしてもなお、少年は明るく振舞うのだから当然だ。



 先ほどと同じ手順——もやを少女の身体に流し込むところから―—で実験を開始する。


 しかし、その結果は先程とは大きく異なっていた。


 少女から、激しい力が発生する。

 しかし、先程の様に暴走することはない。


 次第に力の放出は収まり、強力な力が少女の中にきちんと納まっていた。


「はははっ。見なよ。ついに成功だ! 器が見つかったぞ!」


 少年がそう無邪気に感激していると、少女に変化があった。

 意識を失い俯いていた少女が顔を上げる。その眼には赤い光が宿り、黒かった髪は神々しい金色に変化する。


 王国魔術師団など比べ物にならないほどの力が少女の中に宿っているのを、少年たちは霊的な感覚で感じた。


 直後、少女は力の一部を放出した。

 少女を拘束していた魔法のロープが弾け、その身を自由にする。


「やっと成功だよ。ここまで長かった!」

「ちょっ、ボス! 呑気なこと言ってる場合っすか!?」

 ローブの男は、目の前で自由になった超常の存在に狼狽する男。

 だが、少年は態度を変えずに言う。


「起き抜けに悪いけど、君に自由はない」


 少年が左手を伸ばすと、その五指から、最初にもやを拘束した闇色の鎖が出現する。

 その鎖は少女の身体を雁字搦めにする。


「ははっ。流石は古代の兵器。魂だけの不安定な状態とはわけが違う。こんなちゃちな拘束じゃ意味ないかい?」


 鎖が手足を絡め取るがそれには一切気を留めず、少女の身体を器にしたナニかは動き出す。


 霞の如く姿を消し、少年に向かって突進する。


 普通ならその姿をロクに捉えることすらできずにお陀仏。

 そんな攻撃を。

「言ったろ? 君に自由はないって」


 先程現れたものと同様の鎖が、しかし先程とは段違いの力を宿して拘束する。

 

 今度はびくともしない。


 鎖を通して、少年の魔力が流し込まれていく。


 少女の身体が脱力し、その中に感じた力が、大きさはそのままに手中に堕ちたのを感じた。


「さあ、これで準備はできたね」

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