第8話 異変

「なんだこれ?」

「さあ? 私も知らないよ」


 朝一番の講義を受けるため、大教室に入ろうとした俺とエレノアの前に、巨大な人だかりができていた。


 いつもならとっくに開いているはずの教室の扉が閉まっており、中に入れない生徒たちでごった返しているのだ。


 鍵を開け忘れたのだろうかと思ったが、そうではないようだ。

 俺たちよりも前にいた生徒たちが、不思議そうな表情をしてその場から離れていく。


 その中に、先日ゴシップ記事に踊らされて俺に詰め寄って来た女子生徒、ロナを見つけた。


「よう、ロナ」

「フェイト・レイノーン?」


 俺に話しかけられ、あからさまに嫌そうな顔をしたが、それには気づかないふりをした。


「気安く名前で呼ぶな。シルヴァースだ」

「悪かったよロナ。何なんだこの人だかりは。帰ってく奴もいるし」

「貴様、気安く呼ぶなと……」


 自分の意思を全くくみ取らない俺の言動に、呆れたような表情をするロナ。


「一限目は中止だそうだ」


 一限目の授業は〈魔法戦闘における一般魔法の有効性〉。


 一般魔法。

《原典》の魔法についてではなく、俺たち魔術師の誰もが扱える魔法のことだ。


 魔術師として覚醒した瞬間に、魔術師としての在り方が決定づけられる《原典》の魔法と異なり、誰しもが平等に修得する可能性がある魔法。


 と言っても、当然一般魔法の中にも高度な技術や莫大な魔力を必要とするものも多い。

 ある程度までは努力でどうにかできるが、最後の最後で才能による差は生まれてくる。


 俺は超スパルタの師匠であるシャーロットにしごかれたのと、意外とセンスがあったため、現段階での一般魔法の扱いはアリスやエレノアと比べても優れている方だと自負している。

 だが、本物の天才である彼女たちにはその内抜かされていくだろう。それも、恐らく学院在学中に。


「あれ? 先週そんなこと言ってたか?」

 俺は隣に立つエレノアに尋ねると、彼女は首を横に振った。


「私も理由は知らん。何も書かれていなかったからな」

「そうか」


 俺はそう短く返し、ロナに礼を言った後、エレノアと一緒にその場を離れた。


 丁度いい。昨日は遅くまでバイトだったので、出された課題がまだ片付いていないのだ。


「エレノア、お前この前の課題やったか?」

「どれのことだ?」

神聖言語セイクリックの翻訳」

「ああ、終わっているよ」

「答えは写さないから、ちょっとだけ教えてくれ。どうにもわからねぇ訳がある」

「交換条件ならいいぞ?」

「高いのは無理だぞ」

「初めから期待していない。今度新しい悪魔と契約するんだが、その手伝いをして欲しい」

「手伝いだ?」


 エレノアが悪魔を自在に使役するためにはいくつかの条件と段階がある。


 まず一つ目は、目的の悪魔を召喚すること。

 言葉で言うのは簡単だが、実際には違う。召喚したい悪魔が強力であればあるほど必要な技術は高度なものになり、消費する魔力も増大する。加えて、未契約の悪魔は契約済みの悪魔に比べて召喚する際に多くの魔力を必要とする。


 二つ目は、召喚した悪魔を屈服させること。

 これは単純だ。召喚した悪魔を痛めつけて従わせればいい。ただこの段階では悪魔を拘束している魔法陣を解除する必要があるため、自分より強い悪魔を呼んでしまうと返り討ちになり、下手すると最悪死ぬ。


 三つめは、召喚した悪魔と実際に契約を交わすのだが、ここは彼女の《原典》にその魔法があるらしいので、割とと簡単らしい。


 つまり俺にできる手伝いは、悪魔を召喚するために必要な魔力の供給か、召喚した悪魔を殴る蹴るといったことだ。


 今までエレノアが俺に悪魔との契約の手伝いを頼んだことはないので、その申し出に驚きつつ、俺は訊いた。


「何すればいいんだ?」

「なに、単純なことだ。召喚した悪魔をボコボコにしてくれればいい」

「別に構わねぇが、そんなに厄介な悪魔なのか?」

「強力な奴と契約したいもんでね。背中を任せられる相棒が欲しい」

「相棒とは、光栄だな」


 俺はエレノアの交換条件を承認し、空き教室で課題を教えてもらうために移動を始めた。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 そして、その日の二限の、〈各属性の魔法の有効射程について〉も休講となった。


「そう言えば、四限の〈魔法と剣の間合い〉も無くなったらしいぜ」


 食堂でエレノアと昼食をとっていたところに、新しい情報が入って来た。それを伝えたのは、短髪の大柄な少年、ライだった。


 どっかりと椅子に腰かけたライ。


「フェイト、これは?」


 礼儀など母親のはらに捨てて来たエレノアが素直にそう訊くと、ライは苦笑いしながら自己紹介を始めた。


「これって……ライ・デノリアだ。お前らと同じ一年」

「そうか。エレノア・シールエールだ」

「よろしくな。つっても、こっちはお前さんらのこと知ってるんだけどな」

「ま、私は天才だものな。有名なのも頷ける」


 何の謙遜も無くそう言い放たれるエレノアに少し感心しながら、俺はライに尋ねた。


「四限も無くなったって、本当か?」

「ああ、さっき中庭に休講になる講義が全部張り出されてたから間違いないぜ」

「えらく急だな」


 普通、休講になる場合は大抵はその前の講義中にあらかじめ報告がなされる。どれだけ遅くとも、前日までには知らせがないとおかしい。

 勿論急な体調不良なら当日になっても仕方がないが、ライの言った、掲示板に休講になる講義が全部張り出されていた、というのがおかしい。


「なあライ、他にも休講になった科目ってわかるか?」

「ん? さすがに全部は分かねえけど、ある程度なら」


 そう言ったライはカバンからノートを取り出し、記憶を辿って休講になった科目を書き出してくれた。


「おい、これ……」

「明らかに偏っているな」

「どういうことだ?」


 ライが書き出した講義に目を通した俺とエレノアは、ある一点に気づいた。


〈魔法戦闘中の属性変更について〉、〈召喚獣の使役〉、〈三人一組スリ―マンセルの基礎基本〉、などなど。

 不自然なほど、荒事に関する講義ばかりが休講になっていたのだ。


「何かあったな」


 このことに気づいたのは、生徒の何パーセントだろうか。

 俺は食堂の生徒達を見渡す。特にいつもと変わった様子はない。休校になってラッキーと思っている生徒もいるだろう。


 ふと、あることに気づいた。

 講師たちも使うこの食堂は、大抵生徒が八割、講師が二割といったように席に座っているのだが、今日は講師の割合が少ない。


 加えて、食事中の教師たちもどこか落ち着きが無くそわそわしている。


 その時、昼食の乗ったトレーを持ちながら歩くアリスを見つけた。

 チームメイト二人と席を探しているのだろうが、昼休みが始まってから少し時間がたった後の食堂の込み具合は異常だ。

 そうそう席は空いていない。丁度、俺たちが使っている机以外は。


「おーいアリス! こっち来いよー!」


 割と大きめで出したその声に、食堂の生徒が一瞬注目する。なにせ先日この場所でド修羅場を演じた組み合わせなのだ。


 俺の声に気づいたアリスは、二人と共に同じ机に着いた。


「見ない組み合わせですね」


 ライのことだろう。最近知り合ったこの距離間の近い友人とは、あの一件以降もちょくちょく話す仲だが、こうして一緒に食事をしたことは無かった。


「相変わらず豪華な飯だな」


 俺が三人の食事を見てそう言うと。


「ふふ。一口いりますか?」

「いや、遠慮しとく。ファンクラブの奴に知られたら刺されちまう」

「はい?」


 俺の言葉を理解できないアリスはきょとんと首をかしげるが、その隣に座るロナの目は鋭く光っていた。まるで、獲物を見つけたときの猛禽類のようだ。


「えーと、名前なんて言ったっけ?」

 俺が亜麻色の少女を見て言うと。


「シーランです。シーラン・エルード」

 若干おどおどした様子で応えるシーラン。


 すると、隣に座るライが名乗りを上げた。

「俺はライ・デノリアだ。よろしくな、エルード、シルヴァース」

「よ、よろしくお願いします」

「よろしく頼む」


 ロナの目が訴えている。恐らく今朝、俺が気安く名前で呼んだことについてだろう。


 言っとくけど、そいつ俺以上に距離感近いからな。


「それで、何か用があったのですよね?」

「あれ、なんでわかった?」

「貴方が何の用もなく私を呼ぶとは思えませんから」

「流石だな」

「当然です。貴方のことは、そのくらいなら知っていますから」


 その意味深な言葉に一瞬周囲を見渡した俺と、「ある程度予想はしていますが」と付け足すアリス。


「戦いに関する科目がかなり休講になってるが、何があったんだ」

 俺はその場にいる五人にギリギリ聞こえる音量でそう言った。もしかしたら他の生徒たちを混乱させてしまうかもしれないと思っての判断だ。


「気付いていましたか」


 そう言ってアリスは少し逡巡しゅんじゅんし、口を開いた。


「先日、ガルーン王国の魔術師集団が国境近くに集まっているのを発見しました」


 同じくできるだけ小さな声で放たれたその言葉に、俺とエレノア、ライが驚いていると。

「ア、アリス様!?」

「それは……!?」


 恐らく聞かされていたのだろう。ロナとシーランはアリスの発言にではなく、それを俺たち三人に教えたことに驚いていた。


 しかし、当のアリスは至極冷静に続ける。


「構いません。下手に詮索されるより、教えて口止めした方が良い場合もあります」

 きっぱりとそう言ったことで、ロナとシーランは口を閉じた。


「戦争か?」

「いえ、まだ国境を越えたわけではありません」


 ガルーン王国と言えば、王国が建国された当初から小競り合いが続いている国だ。俺たちペルシアット王国と同じアリストリア教を信仰しているのだが、俺たちとは違い、過剰に戒律に厳しいことで有名だ。


「今日、王国魔術師団と腕に覚えのある講師たちが派遣されました。数日中には国境付近に到着することでしょう」


 その結果が、急な授業の中止と残った講師たちの落ち着きの無さか。


「ん? 待て。決闘トーナメントはどうなる?」


 アリスはこの学院の生徒であると同時、王族の一人としてこの学院の経営や行事の進行にも関わっている。つまり、学院について何か分からないことが彼女に尋ねればいいのだ。


「それについては安心してください。平年通り行う予定だそうです」


 その言葉を受け、俺は胸をなでおろした。


 言っちゃ悪いが、俺にとっては国境付近でのいざこざより、決闘トーナメントが開催されるかどうかが心配だった。なにせ。

「まあ大丈夫でしょう。以前からこうしたことは何度かありましたが、戦争には至っていません」


 そう。ガルーン王国とのいざこざは、俺が生まれてから十六年で、少なくとも両手の指では数えきれないほど起きて来た。そしてその間、アリスが言った通り、今まで一度も戦争になったことは無い。


「百年前の戦争で、我が国も相手国も相当被害を受けたと聞きます。そう簡単に戦争を起こす気はないでしょう」


 そう言って、アリスは自分の食事に手を付け始めた。

 しばらくすると、そう言えば、と切り出した。


「最近、バルドリアたちを見ていませんか」

「はあ? バルドリアだぁ?」

「ええ。どうも、最近学院に来ていないらしいのですが」


 全く知らなかった。だが、言われてみれば確かに最近はあのうざい顔を見ていなかった。


「お前ら、知ってるか?」

 俺は両脇に座る二人に尋ねるが、良い答えは返ってこなかった。


「私が知ってるわけないだろう?」

「俺も知らねえな」


 ある程度はアリスも予想していたのだろう。


「そうですか。もし何かあれば知らせてください」

 あっさりとそう言って、ロナとシーランを連れて席を立った。


「ああ、分かった」


 食堂を出て行く歩みを止め、アリスは振り返って言った。


「ああ、それと。今日はバイトですか?」

「そうだけど。どうした?」

「いえ、気をつけてくださいね」

「何に?」

「最近、王都でおかしな噂が立っているので」


 噂と来たか。正直もうその手の話はうんざりなのだが。


「街で行方不明になる人が増えているそうです。噂程度なので何とも言えませんが」

「そうか。ま、気をつけるよ」


 本当に行方不明が出ればそれなりに大ごとだ。それも増えているのなら。

 それが噂程度だというなら、それこそライが言っていた、学院に幽霊が出るというくだらない怪談と同じ程度の話だろう。


 勘違いと嘘で話が大きくなっているだけ。そう思って、俺も食器の乗ったトレーを返却して食堂を出て行く。


 三限はもともと取っておらず、四限も中止になったため、バイトまでの数時間は寮で寝ることにする。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 店の営業時間も残りわずかとなったタイミングで、俺は店長室に呼び出されていた。


「今日この後時間大丈夫?」

 店長が困ったような表情で訊いてきた。


「別に大丈夫っすけど。どうしました?」

「ちょっとね。近頃物騒な噂があるんだけど……」


 すると、店長は昼頃にアリスからも聞いた噂話を俺に話した。


「最近、王都で行方不明事件が起きてるらしいんだよ」

「ああ。今日学院でも聞きました」

「そっか、知ってたんだね」

「店長ー、営業終わりましたよ!」


 最後の客を見送ったばかりのミシェーラさんがやって来た。


「ありがとう、ミシェーラちゃん」

「じゃあ着替えて帰りますね。フェイト君も、またね~」


 そう言って更衣室に行こうとするミシェーラさんを、店長が呼び止めた。

「あ、待って」

「はい?」

「最近、王都で行方不明事件が起きてるのは知ってるよね?」

「まあ。でもそれ、噂話でしょ?」

「うん。でも従業員の安全確保も僕の仕事だから」


 そして、店長は俺に頼みごとを一つしてきた。


「フェイト君、ミシェーラちゃんを家まで送ってくれないかな?」


 明日も朝から講義があるので早く寮に帰って眠りたかったが、頼まれたのなら引き受けるしかない。

 ミシェーラさんには普段から世話になってるし、学院の用事で急に休みになることを承知して雇ってくれた店長には恩がある。


「いいっすよ」

「ありがとう。ってことだから、ミシェーラちゃん。フェイト君に家まで送ってもらってね」

「はーい」


 ミシェーラさんはそう返事して、「ありがと、フェイト君」と妖艶な微笑を浮かべて更衣室に向かって行った。



「じゃあ、行こっか」

「うっす」


 数分後、着替えを終えたミシェーラさんと俺は、最近徐々に夜でも上着が必要なくなった、生ぬるい空気が漂う王都を歩き出した。


「ごめね~。店長、心配性だからさ」

「全然大丈夫っすよ。そんなことより、行方不明事件って本当なんですか?」


 俺は昼間にアリスからも聞かされた、ここ最近王都で起きているおかしな事件の詳細を訪ねた。


「うーん、私も実際に知り合いが行方不明になったわけじゃないから詳しくは知らないんだけどね」


 そんな前置きをして、ミシェーラさんは自分が知りうる事件の詳細を話してくれた。


「この一週間くらいかな? 毎晩のように女の子が行方不明になってるらしいんだよね」

「女限定?」

「それもかなり小さい子。五歳から十歳くらいの子らしいよ」


 それだけ聞くと、ロリコンの変態による誘拐事件だ。

 だが、本当にそうだとしたら。


「なら、ミシェーラさんは心配ないんじゃないですか?」

「私もそう思うんだけどね」

「そんなことになって、警察は動いてないんですか?」

「なんでも、行方不明になった子は全員翌朝には帰ってくるらしいんだよ」

「はあ? 何すか、それ」


 そんなの、ただ迷子が連続してるだけじゃねえか。


 そう俺が思っていると、ミシェーラさんが追加の情報をくれた。


「でもその子たち、行方不明になってる間の記憶はさっぱりないらしいよ」

「マジすか?」

「うん。まあ、小さい子が夜に遊んで、親に怒られたくなくてそう言ってるんじゃないかってことで、警察もまともに取り合ってくれないらしいよ。何か被害が出たわけじゃないし」


 確かに、警察の言うことも理解できる。実際、その話を聞いて俺も真っ先にその可能性を思いついたからだ。


 だが、行方不明になって帰って来た子供が全員同じ証言をしているというのは少し疑問だ。


「きな臭いな」

「そう?」


 俺の呟きに、ミシェーラさんが呑気に首を傾げた。


 一応気にはしておこうと思ったが、正直そんな余裕は俺には無かった。俺には決闘トーナメントを制するという目標があるのだ。


「そうだ。俺、明日からしばらくバイト休むんで」

「どうして?」

「学院の行事があるんで、その準備です」

「へぇー。大変だね、学生さんは」


 感心したようにそう言うミシェーラさん。


「でも、お金大丈夫なの?」


 その質問に、俺は苦笑いを浮かべながら。

「正直きついっす。最近大きめの出費もあったんで」

「もしほんとにお金に困ったら相談してね?」

「ミシェーラさんに援助してもらうわけにはいきませんよ。ただのバイト先の同僚に」

「まさか、学費なんて払えないよ」

「え? じゃあなにを相談?」

「私のヒモになればいいよ。フェイト君、家事とかしてくれそうだし。それに、いい子だし」


 そんなぶっ飛んだことを言われた俺は、呆れ半分、同様半分の気持ちで言った。


「そんなこと言ってると、いつまで経ってもまともな恋人出来まんよ」

「ぐっ。可愛くない子だなぁ」


 痛いところを突かれた、といった表情を見せるミシェーラさん。

 性格よし、器量よし、仕事もできる。世の女性の憧れを表したような彼女だが、なぜか男の趣味だけは非常に悪いのだ。


「別れた男の愚痴は聞き飽きましたよ。なんでいっつも後から気付くんですか……」

「ははっ。悪い男を好きになるのは女のさがだよ、少年」

「自覚はあるんですね」


 そんな軽口を交わしつつ、俺はミシェーラさんを家まで送った。


 その後、念のため辺りを警戒して不審なところがないか確認しながら、寮までの帰路に着いた。

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