第6話 噂に踊る
「おい、来たぞ」
「あいつが例の?」
「あの人が……?」
「うん。私の友達も見たって」
アリスを王都の店に案内した翌日。
食堂で一人昼食を取っている俺の周りで生徒たちが何やら小声で話している。
普段ならそんなこともあるだろうと流せるのだが、今日は違った。
どういうわけか今朝から、まるで噂話でもするかのような生徒たちに注目されている気がするからだ。
今も、一人で安い定食を貪る俺にいくつもの視線が刺さってきている。
俺がそちらを見るとすぐに視線を切るので余計に気になってしかたない。
言っておくが、チラチラ見てきているのは気付いているからな?
「なんなんだ? 俺なんかしたか?」
俺はここ数日の自分の行動を思い返してみた。残念というべきか、特に心当たりがなかった。
「大変だな。有名人」
ガシャッと食器の置かれたトレーを乱暴に机に置き、男子生徒が隣に座ってきた。
「初めましてだな。俺はライ・デノリア。お前と同じ一年だ。よろしくな」
こちらの返答を一切待たずに自己紹介を終えたのは、黒い髪を短く切り上げた長身の、好青年といった笑顔の男だった。
「俺は——」
「フェイト・レイノーンだろ? 知ってるぜ」
どうして、と俺が言う前にライは続けた。
「一年生チームじゃあ、お前さんとお姫様だけだからな。決闘トーナメントの本戦にでるのは。おまけにお姫様の奥の手まで引き出した。普通に快挙だぜ。いくらシールエールと組んでると言っても」
ライの最後の言葉に、俺が眉をひそめていると。
「悪い悪い。別にお前さんがあの女におんぶにだっこだったとか言ってんじゃない。素直に褒めてるよ」
カハハハと豪快に笑いながらバシバシと勢いよく肩を叩いてきた。
「んで? 何の用だよ」
「ああ。お前さん、自分がなんで注目されてるか分かっていないような様子だったからな」
「知ってるのか?」
「もちろん。知らないのは本人たちくらいだぜ? いや、もしかしたらお姫様の方は知ってるのかな……」
「アリスがどうかしたのか?」
「ほんとになんも知らないんだな。まあいいや、とりあえずこいつを……」
そう言って、ローブの内から何かを取り出そうとするライ。
しかし、それよりも早く。
「フェイトォォ、レイ、ノーン!!!!!!」
鬼の形相でこちらへ猛ダッシュしてきた女子生徒が、俺の眼前に一枚の紙きれを突き出してきた。
「これは! どういうことだ!?」
耳をつんざくほどの高い声を、しかも顔の近くで大音量で発したのはアリスのチームメイトの一人。法医院の娘で、確か名前はロナだったはずだ。
俺は突きつけられた紙を取り、その内容を確認した。
どうやらゴシップ記事の切り抜きの様だ。王都で有名なもので、貴族やら王族やらを追いかけて、あることないこと書くのだとか。
一切興味が無いので中身は見たことないが、書かれている内容で判断できた。
『第三王女、アリア・ヨト・ルノール・ペルシアット。王都にて逢引き! お相手は学院の一年生』。
そんなことが一番上にデカデカと書かれており、モノクロの写真が一枚印刷されている。
確かに、そこには一組の男女が映っていた。
一人は高級そうなローブに身を包み、もう一人は百姓の子供の様な服を着ている。
古い写影機で取られているせいか両者の顔までは分からないが、あんなローブを日常的に羽織れる人間なんてそうはいない。
記事のコンセプトからしても、移っているのがアリスだと言われれば納得できる。
もう一人の男みたいな恰好の奴なんて王都を探せばいくらでも見つかりそうなものだ。だが、モノクロ写真に写った男は特徴的な髪の色をしていた。俺と同じ、灰色の髪だ。
大陸中の人種を探したとて灰色の髪は生まれないはずなのだが、どういうわけか俺の髪は生まれたときからこの色なのだ。
「どういうことか、説明してもらおうか」
「どういうことって言われてもなあ……」
その写真が撮られたのは、間違いなくアリスを王都の『サリーナ・ブレイン』に案内したときだ。
それを知らないと言ことは、アリスまだはロナに誕生日のプレゼントを渡していないのだろう。
「答えろ、レイノーン!」
「う~ん……」
食堂の全員が、もはや隠すつもりもなく俺たちを注目している。まるで、浮気を問い詰められている気分だ。
特に義理があるわけではないが、せっかくのサプライズの内容をバラスのは気が進まない。
「まさかお前、本当にアリス様と……!?」
まさかの勘違いだ。お姫様と逢引きなんて、冗談でもやめてくれ。
「貴様の様な下賤で卑怯な人間が、アリス様と釣り合うと思うなよ!」
美人で上品で性格もいい。おまけに魔術師としては学院ナンバーワン。まさに才色兼備のアリスには、学内問わずファンが多数いる。
どうやら彼女はアリスのチームメイトであると同時に、この学院に一定数存在する彼女の信者の一人でもあるようだ。他のファンたちからはさぞ
「それはないから安心してくれ」
一瞬ほっとした様な表情になったロナは、すぐに切り替えて再び詰めて来た。
「ならどうして二人でいた?」
「それは……」
どうしたものかと考えていると、食堂の入り口付近から。
「ロナぁぁぁぁぁ!」
なんて声が聞こえて来た。声の主は、わざわざ確認するまでもない、ゴシップ記事の記者に特大のスクープを与えてしまった張本人だ。
「ア、アリス様!?」
「なにをやっているのですか、貴方は!?」
「ア、アリス様こそ! どうしてこんな男と逢引きなどッ……」
ロナは俺から記事の切り抜きを奪い取り、それをアリスに見せた。
「だから、それは誤解だと言っているでしょう!」
どうやらアリスもそれについては知っていたようだ。
たいして驚いた様子もなくそう言った。
「ど、どういうことですか? 説明してください!」
「説明しようにも、貴方は私の話を聞かずに行ってしまったではないですか……」
早とちりの同級生に頭を抱えるアリスは、周囲で俺たちを気にする生徒たちにも聞こえる声で説明を始めた。
最初はアリスの言葉を疑うような表情で聞いていたロナだが、しばらくすると納得したようで、「それは申し訳ありませんでした」とアリスに謝罪し、周囲の生徒にも騒いだことを
その場の勢いでプレゼントを渡されたときは涙を浮かべていたロナだが、俺を下賤だの卑怯だのと罵ったことについては特に触れなかった。なぜだ。
「すみません、フェイト。私がつけられたばっかりに。貴方にも迷惑をかけてしまいましたね」
「構わんさ。それより良かったのか? 折角のサプライズだろ」
「ええ。どうせ今日中に渡す予定でしたから。少し早くなってしまっただけです」
「なら良かった。これからは気をつけてくれよな。特にあの女の扱いには」
俺は視線だけを、アリスからもらったプレゼントを見つめて光悦とした表情をするロナに向けて言った。
俺の考えを察したアリスは、くすくすと笑って。
「そうだ。放課後、あの子の誕生日パーティーを王都のレストランでする予定なのですが、貴方もどうですか?」
「冗談でもやめてくれ。今度こそぶん殴られかねん」
ふふっと笑ったアリスは、ロナを連れて食堂を出て行った。
食堂で一連の出来事を見ていた生徒は、俺とアリスに浮ついた関係が無いのを理解すると、一気に興味を無くしたようだ。
「解決してよかったな」
先程まで巻き込まれまいと全力で存在感を消していたライが楽しそうに笑いながら言った。
「下世話な奴がいるもんだ」
ロナが置いて行った紙をくしゃくしゃに握りつぶし、残りの飯を一気に平らげた。
「ははっ。まあ、王族のゴシップなんて噂が立てばそうもなるさ」
「くだらねぇ噂に踊らされやがって」
ふと、何かを思い出した様子のライ。
「噂と言えば、こんな話を知ってるか?」
それからライは、どこで聞きかじったのか、頭の悪い話を始めた。
「この学院、出るらしいぞ?」
「出るって、なにが?」
「決まってんだろ。幽霊だよ、幽霊」
「くだらね」
俺が一蹴するが、ライは「良いから聞けよ」と言って続けた。
「これはとある女子生徒の話なんだが……。
つい先日、完全に日が暮れた時間帯。校舎に忘れ物を取りに行ったそうなんだ。
最後の授業で自分が使った席から教科書を取って寮に帰ろうとしたとき。
背の高い影が四体、窓の外側、丁度闘技場のあたりに見えたらしい。不審に思った女子生徒はしばらく観察していたんだが、四体の影の内の一体と不意に目が合ったそうだ。
不安になった女子生徒は急いでそこから逃げ出そうとしたんだが、その影に捕まって今でも行方不明らしい……」
妙な雰囲気で語る者だから最後まで聞いてしまったが。
「くだらねぇ」
「そんなこと言うなよ。幽霊くらいおかしくないだろ?」
「馬鹿か。幽霊ってのは、俺たち魔術師からこぼれた魔力でできた存在。せいぜい周りの気温を下げたり、なんとなく気味が悪くなったりするだけだ。赤ん坊を
民間人の常識は知らないが、俺たち魔術師の世界では幽霊という存在は基本的に肯定されている。
しかしそれは、
まあ、それを差っ引いてもライの話には大きな穴がある。
「未だに行方不明なら、影が四体だとか闘技場の近くいたとかは誰が伝えたんだよ」
「ま、噂だもんな」
それはライも分かっていたのだろう。あっけらかんとした表情だ。
大方、その影は単なる見間違いで、行方不明だとかは話がつまらないと感じた誰かがでっち上げたか、それとも伝えれるうちに他の噂と話が混ざってしまったのだろう。
どこにでも世間話が好きな奴はいるが、俺たちのような年齢の生徒が多い学院でそれは顕著なようだ。
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