第4話 世界最強の師匠、パズルをくれる

 とある日の放課後、窓から朱色しゅいろの夕日が差し込む中、俺は長方形のテーブルを一人で占領していた。


「ん~、これでもないかぁ」


 学院の校舎のワンフロアを丸々利用して作られた図書室。古今東西の本が集められていると言われても頷けるほどの蔵書量を誇っている場所で、俺は目当ての本が見当たらないことをなげいていた。


 読み切った本をテーブルの上に転がす。もう既に三時間以上、同じことを繰り返していた。

 俺が一人で占領しているテーブルには、本棚から手当たり次第に引っこ抜いてきた本を積み上げられている。


 隣の椅子に座ったエレノアは、分かりきったような質問をしてきた。

「今日こそ目当ての本は見つかったか?」


 背後からエレノアに声をかけられた。


「うんにゃ。なんも見つかってねぇよ」

「これだけ探しても見つからないんだ。そんな本ないんじゃないか?」

「かもな」


 俺たちが探しているのは、なにも特定の学術書や魔術書ではない。


「白紙の《原典》なんて、聞いたことがないからね」


 探しているのは、俺の《原典》に関する記述がされた本。もっと言えば、俺の《原典》が白紙である原因を突き止めるための本だ。もっとも、そもそもそんなものが存在しているかどうかすら怪しいが。


 テーブルに積み上げられた本を眺める。

『《原典》についての解説応用編』『魔法史・神代と人の時代について』『魔術師の出生』『原初の魔法』などなど。

 それらしいタイトルだったため目を通したが、特にこれといった記述はなかった。


「諦めも肝心だと思うぞ?」

「馬鹿言え。こちとら一文字も刻まれてないんだ。半分も埋まってる奴がどの目線で言ってやがる」


 俺は胸から《原典》を取り出し、真っ白な一ページ目を見せて言った。


 アリスチームに負けた俺たちは、その後の二試合を何とか勝利し、決闘トーナメントの本戦に駒を進めていた。

 だが、一回戦の相手は最悪なことに去年の決闘トーナメント覇者。


「焦っても仕方ないんじゃないか?」


 そうエレノアは言うが、予定された日まで残り一ヶ月切っている。

 焦るなと言う方が無茶だ。


 それにしても、一年生が平均して三割程度しか埋まってないのに対して、半分のページが埋まっているとは。大して努力している様には見えないのに。なんなんだ、この差は。


「まあ、私は天才だからね」

「うぜぇ」


 げんなりする俺に、エレノアは笑いながら提案してきた。


「私に身体をいじくらせてくれれば、原因の一つくらい突き止められそうな気がするがね」

「いくら貧乏でも、お前に売るほど安い身体してねえよ」

「おいおい。そもそも私たちがチームを組む条件を忘れたわけではないだろ?」


 こんな落ちこぼれの俺とチームを組んでくれる奴なんてそうはいない。なにせ《原典》が白紙なのだ。ただ埋まっていればいいというわけではないだろうが、白紙なんて論外だろう。


 決闘トーナメントに出場するためにメンバーを探していたとき、エレノアはある条件付きで俺とチームを組んでくれた。


『《原典》が白紙である原因を解明し、自分にも共有すること。』その条件の下、俺と彼女は予選リーグを戦っている。


「だからって、生きたまま解剖されるのは御免ごめんだね」

「安心したまえ。開いた後はちゃんと閉じるし、何なら改良手術にしてやるぞ?」

 

 ニヤリとエレノアは笑うが、全く冗談に聞こえない。


 椅子から立ち上がり、関係がありそうな本を数冊本棚から抜いてきたエレノアは机に置いたカバンを持ち上げて言った。

「すまないが、今日は早めに帰るよ。用事があるんだ」

「今日も見合いか?」

「ああ。必要ないと言ってるんだが、父がしつこくてね」

 俺には理解できない苦労に、エレノアが肩をすくめる。


 シールエール家はそれなりに名の知れた魔術師の家系だ。エレノアはその家の長女。一般人と違い、男女関係なく年長の者が家督を継ぐのが魔術師の世界だ。となれば、エレノアに縁談が転がってくるのは不思議ではない。

 少しでも優秀な血を取り入れ、家を大きくしようとするのが魔術師の伝統なのだ。そこに本人の意思は関係ない。


 大変なんだなと、エレノアに対して思うと同時に、彼女の婿候補として連れてこられた相手に同情する。


「今日の相手は私に勝てるのかな?」


 エレノアは今まで全ての縁談相手に、決闘を仕掛けているらしい。なんでも、自分より弱い相手の妻になる気はないのだとか。相手が決まっていないということは、当然負けたこともないのだろう。


 それだけならいい。まあ頑張ってくれとしか思わないのだが。


「ぼそぼそ(どんな悪夢を見せてやろう……)」


 小声でつぶやいた言葉を、俺は聞き逃さなかった。


 最悪なことに、彼女は決闘で負けた相手に、召喚した悪魔を使って悪夢を見せているのだ。

 噂によればエレノアに悪夢を見せられた男は、その恐怖から女性相手に二度と勃たない身体になるらしい。どんな夢を見せているのだろう。

 周りもそれを止めないのだから恐怖でしかない。


「じゃあ、せいぜい頑張りたまえ」

「あいよ」


 振り返らずエレノアを見送った俺は、エレノアが持ってきてくれた本に目を通し始めた。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 エレノアが去ってから数時間、完全に日が暮れ下校の放送が校舎に流れる。

 読み終えていない本の貸し出し処理を済ませ、それ以外をきちんと本棚に並べているとき。


「よお、フェイト」


 玲瓏な女の声が、俺の名前を呼んだ。その声に俺は慌てて振り抜く。


「ははっ、子犬かよ。久しぶりのお師匠様はそんなに嬉しいか?」

「そ、そんな顔はしてねえ!」


 楽しそうに俺をからかうそいつは、ひどく美しい女だった。

 腰まで届く豪奢な長い金髪に、エメラルドの様な碧の瞳。ローブの下からでもはっきりと分かる女性らしい起伏が艶めかしく、美術館に飾っている彫像にも見劣りしないプロポーションを誇っている。なんとも派手なで立ちだが、彼女にはそれを着慣らす器量があった。


 シャーロット・アベニュー。世界最強の魔術師。目の前の女について簡単に言うと、こんな感じだ。他にも『黄昏の魔女』『世界の調律者』なんて呼ばれ方をしている。


 俺たち魔術師の世界で、その実力や立場を示す位階というシステムがある。俺たち学生の大半を占める、見習い魔術師のニオファイトからイプシシマスまでの全十一階級。


 シャーロットは世界でたった一人の最高位階、イプシシマスに身を置いている。

 腰のくびれを作っているローブのベルトに吊るされている、高位階に属する魔術師に与えられる銀の懐中時計がその証拠だ。


「久しぶりだな」

「久しぶりって……連絡くらいよこせよ」


 昔から、シャーロットは突然世界を放浪することがあった。王国魔術師団を退団しているそうなので、任務というわけではないはずだが、俺が何を聞いても詳しいことは教えてくれない。

 大抵数ヶ月すると帰って来て、今回の様に一年以上音沙汰がないのは初めてだ。


「悪かったよ。使い魔を飛ばそうにも、聖域の外には私なしでは出られなかったんだ」

「聖域? どうしてそんなとこに―—」


 言い切る前に、俺が抱えた本を一冊横取りし、本棚に戻して言った。

「そんなことより、久しぶりに会ったんだ。飯でもどうだ?」

「飯だぁ? 俺は帰って魔法の訓練が、ってちょっと待て!」


 俺の言葉を最後まで聞かず、シャーロットは図書室を出て行く。


 相変わらず自由気ままな奴だ。


 帰って読もうと思っていた本を鞄に詰め込み、俺はシャーロットの後を追った。



 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



「どうしてそんなキョロキョロしてるんだ?」

 従業員が持ってきた肉をナイフとフォークで切り分けながらシャーロットが言った。


「んなもん決まってんだろ! なんでこんなとこに連れて来たんだよ!?」


 俺たちは今、この国で最も有名な高級レストランに来ている。


 王都の端に建てられた背の高い建物のワンフロアを独占するここは、眼下にはきらびやかに輝く街並みが一望でき、ガラス張りの部屋はどこにいても空に浮かぶ星々を楽しむことができた。

 俺が働くナイト・ローズもそこそこ高級な店だが、ここは次元が違う。


 そんじゃそこらの貴族では来れない、それこそ王族が宴を開くような半端なくハイソな場所だ。しかも今、シャーロットはこの店を貸し切りにしている。


 ドレスコードを突破するような服すら持ってない俺が来ていい場所ではないのだが、さいわいこの国で魔術師がある程度の地位を築いているため、学院の制服でも店に入れた。危うくバイト先から服を借りる羽目になるところだった。


 俺が緊張で味の分からないコース料理を終えると、透明なグラスを傾けながらワインを飲むシャーロットは言った。

「学院でも生活はどうだ?」

「どうもこうもねえよ。変わらず落ちこぼれだ」

「ははっ。聞いた話じゃ、あのお姫様に惜しいところまで行ったらしいじゃないか」

「ああ。奥の手出した瞬間に負けたけどな」

 俺は水の入ったグラスを傾け、中身を一気に呷った。


「それで、どうするんだ?」

「どうするんだって、何をだよ」

「決まってる。どうやって決闘トーナメントを優勝するんだ?」

「さあな。まぁ、とりあえずを何とかしなくちゃ話にならんだろうな」

 俺は自分の《原典》を取り出して言う。


「ふーん。お前、まだをどうにかしようとしてるのか?」

「はぁ? 何言ってんだ。強くなるためには当然のことだろ」


 すると、シャーロットはふっと優しく微笑み。

「当然のことが、最善とは限らないだろ」

 なんてことを言った。

 容量を得ないその言葉に俺が首をかしげていると。


「お前が強くなるには他にも方法があるってことだよ」

「ならさっさとそれを教えてくれよ」

「ははっ。こっから先は自分で考えろよ、学生」

「ちっ。またそれかよ」


 俺がシャーロットに師事するようになってから六年。いつもこいつは肝心なところを教えず、俺自身に答えを出させようとするのだ。

 まあ、そのおかげで素養が平凡以下の俺でも学院に入学するまで成長できたとも言えるのだが。


「そう言えば、今日図書館であっていた女は友達か?」

「……ああエレノアか」

「エレノアと言うのか。それで、友達か? まさか恋人か!?」

 後半やけにテンションが高くなったシャーロットの問いに、俺はいたって冷静に答える。


「そんなんじゃねえよ。アイツは俺のチームメイトだ」

「つまんねーの」

 椅子からずり落ちるほどぐだぁっとした体勢を取り、まるで不貞腐ふてくされた幼い少女の様に振舞うシャーロット。


「魔法ばっかの弟子にようやく春が来たと思ったのに~。相変わらず詰まらん奴だなぁ、お前は」

「あほ言うな。恋愛なんてしてる余裕ないんだよ、こっちは」

「ちぇー。せっかくからかおうと思ってたのに」

 一体いつから見ていたんだろうか。というか、もし恋人だったらからかうつもりだったのか。


 エレノアと恋人。

 手を繋いで街を歩いたり、お洒落なスイーツを食べたり、演劇を観たりするのだろうか。

 俺は世間のカップルがしそうなことを想像して。

 いや、おかしなことを考えるのはやめておこう。万が一、こんなことを考えていたことがばれたとなれば後が怖すぎる。


 同級生といる姿を知り合いに見られるというのは妙に恥ずかしい。そんなこと思いながら、俺はエレノアがチームを組んでくれた経緯を説明した。


 すると、シャーロットは何とも言えない表情になった。

「そいつは、あれだな。ご愁傷様というか……」

「憐れむなよ。癖が強いのはお互い様だろ」

「解剖されないように気をつけろよ」

「あいつの横では絶対眠れないな」

 まあこの前寝たけど。



 俺とシャーロットは、時計の針が頂点を超えるまで雑談を続けた後、レストランの出口で別れの挨拶をしていた。

 日を跨いでバイトをすることが多い俺にとって、こうして夜遅くまで誰かと一緒にいるのは久しぶりだった。


 寮に門限はないが、明日も授業がある。一年ぶりの再会で少し惜しいが、今日はもう帰ったほうが良いだろう。一年も旅をしていたんだ、しばらくは王都にいるだろうし、会おうと思えばいつでも会える。

 そう思っていたのだが。


「来週からシドの国で開かれる学会に行くから、またしばらく会えなくなるな」

 なんてことを言いだしやがった。


 シドの国とは、ペルシアット王国から三つ山を超えた先の砂漠の中にある国で、俺たちが使っている魔法とは全く別系統の魔法が繁栄していることで有名な国だ。


 ふと、シャーロットがローブのポケットから小さな塊を取り出し投げつけて来た。

 大小さまざまな歯車が重なり合い、全体として球体を形どっている。よく見えないが、中に何か入っている感触がある。


「なんだこれ?」

「パズルだよ。聖域で見つけたんだ。中に入っている物が欲しいんだが、どうにも壊れてるみたいでな」


 そう言われた俺は、試しに一番動かしやすそうな小さな歯車を指で回した。

「たしかに、壊れてるな」


 普通、小さな歯車を回せばその動きが周囲に影響を与えて全体が動くはずだ。だが、俺が振れた小さな歯車とその周りは回転してもそれが連鎖していかない。


「どうせ暇だろ。私が学会に行っている間に治しておいてくれ」

「はぁ? なんで俺がこんなことを……第一、こんなのそこらの職人かなんかに見せればすぐにでも―—」


 俺が最後まで言う前に、シャーロットのため息が割って入った。


「はぁ。少しは成長したと思ったが、相変わらず察しの悪い奴だなあ」

「どういうことだよ」


 シャーロットは俺の手にある歯車を指さして言った。


「歯車ってのがどんなものか、一回考えてみろ」

「……?」

「考えろ、フェイト。才能の無いお前ができるのは、考え続けることだ」


 ローブの裾を冷たい風が揺らす中、俺は考え続けた。


「…………………………………そういうことか!」

 

 確か、歯車はもともと水を汲むための装置に使われたものだったはずだ。根元で発生した動力を、確実に目的の部分に伝えるために作られたとか。

 だが、歯車の役割はなにも動力を確実に伝えるだけではない。生み出した動力の増減もまたその役割だ。


 そうか。そういうことか!?


 シャーロットのアドバイスを受け、ようやく解を得た。

 自嘲じちょうを含んだ笑いがこみあげてくる。


「へっ。何年も悩んだ結果がこれかよ」


 俺のその言葉を聞いたシャーロットが、ニヤッと得意げに笑う。


「また、弟子に教えを授けてしまったかな?」


 普段ならうんざりするような言葉だが、今回に限ってはその通りであるため否定しない。

「ああ。最高だぜ、師匠!」


 方針は決まった。ならあとは行動あるのみ。


 居ても立っても居られない俺の感情を察したシャーロットが、笑いながら言った。

「さっさと行けよ」


 星が輝く夜空の足元、冷たい風を浴びることも気にせず、俺は王都の街を走り出し、背中越しにシャーロットへ言った。


「サンキュー! 愛してるぜ、師匠!」


 背後から、今日一番の笑い声が聞こえた。

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