第3話 苦学生、バイトに勤しむ

 アリスたちに敗れ、予選リーグの戦績を六勝三敗とした俺は、エレノアと解散した後、王都のとある風俗営業店に来ていた。


 高級キャバレークラブ『ナイト・ローズ』。上流階級の男性をメインターゲットにした飲食店だ。

 高級と銘打っているだけはあり、店内の革張りの大きなソファーに、天井に吊るされた巨大なシャンデリア。キッチンの奥に見えるワインやシャンパンの類は、とてもじゃないが一般人に手が出せる代物ではなかった。


 キャストとして男性を接待する女性は皆目を見張るほどに美しい容姿をしており、王室の人間が着ていても不思議じゃないようなドレスに身を包んでいる。


 そんな店に俺はいるのだが、もちろん客としてではない。


「おーいフェイト君、シャンパン持ってきて!」

「うっす」


 この店の男性従業員、ボーイとしてアルバイトをする俺は、店で一番仲の良いキャストのミシェーラさんが接待をする客の席にシャンパンを運ぶ。


 艶やかな金色の髪に深いスレッドのある真紅のドレスを纏ったミシェーラさんは、十六の俺から見ても大人の色気であふている。流石はこの店ナンバーワンキャストだ。


「ありがとフェイト君」


 軽く俺に声をかけたミシェーラさんは客の接待に戻っていく。


「僕の話聞いてる? ミシェーラちゃん」

「もちろん聞いてますよっ。アンドレさんってホントにすごいんですね」

「ほんとに聞いてるの~? 誰にでもおんなじこと言ってんじゃないの?」

「そんなことないですよ。アンドレさんが一番面白いですもん」


 うわ、めんどくさ。


 ジャケットのボタンがはち切れそうなほど腹が出た客、アンドレは、酔っ払っているのかしつこくミシェーラさんに絡んでいる。


「ちょいちょい、フェイト君」

 その様子を傍で見ていた俺に店長が声をかけてくる。


「どうしました、店長」


 系列店と繰り広げている売り上げ競争のせいか、日に日にやつれていっている気がする店長に連れられてキッチンの奥に入っていく。


「なんすか? わざわざこんなところで」

「あの客、ちょっと気をつけてほしいんだけど」

 あの客、というのはアンドレのことだろう。


「何かあったんですか?」

「他店の知り合いから聞いただけど、あのアンドレって奴、色々とやらかしてるらしいんだよね」

「色々?」

「キャストへのセクハラは日常茶飯事で、ボーイには横暴。ストーキング行為もしてたらしくて、結構な数の店で出禁くらってるらしいんだよね」

「クズっすね」


 ルイーゼと同等クラスのクズさに俺が呆れていると、店長は続けた。

「ごめんね。学生のバイトにこんなこと頼んじゃって。僕は仕事が忙しいし、他のボーイは怯えちゃって」


 怯える? あんな不健康な身体をした野郎のどこが怖いのだろうか。


「なんでも有名な商人の息子らしくてね。まあ、本人の能力が低すぎて商談失敗しまくるもんだから勘当寸前って噂だけど」


 なるほど。普段溜まった鬱憤を反論しない女性相手に発散しているのだろう。そう考えれば、あの態度にも納得がいく。


「なんかあった時は遠慮なく追い出してくれていいから」

「了解っす」


 俺は店長にそう言うと、アンドレとミシェーラさんがギリギリ見える位置に移り、二人の様子を観察し始めた。


「皆分かってないんだよね。僕は今結果を出せてないんじゃない。決定的な機会を伺ってるだけなんだって」


 赤ら顔でそんなことを言うアンドレに、ミシェーラさんは渾身の営業スマイルで応じる。


「さっすがアンドレさん。商才があるんですね」

「まあね。本格的に商いを始めたのはこの数年だけど、今じゃ僕ほどの商人は王都のどこを探してもいないさ」


 随分と大きく出たもんだ。勘当寸前の貧乏商人が。


「アンドレさんの才能が羨ましいです」

「ふふぅ、そうだろう。良かったら今度、僕の商談について来るかい?」

「えー! いいんですかぁ?」

「もちろんだよ」


 おだてられてますます上機嫌になるアンドレ。


 さすがはナンバーワンキャスト。俺や店長が心配する必要なんてなかった。このまま何事も無く帰ってもらえそうだ。


 そう俺が思った時だった。


「ちょっ、アンドレさん!?」

「なんだい?」

「なんだいって……!?」


 少し目を離したすきに、アンドレはミシェーラさんの白く魅惑的な太ももをさすっていた。


「まあいいじゃないか。サービスだよ、サービス」

「だめですよ、突然女の子に触ったら」


 まるで聞き分けの悪い子供を諭すように言った。ただ拒絶するだけでは客に不快感を与えてしまう可能性があるためそのような言い方をしたのだろう。


 その手腕に俺は場違いにも感心していた。

 だが、当のアンドレは聞く耳を持たない。


 ミシェーラさんが明確な拒絶を示さないことを良いことに、どんどんボディータッチが激しくなっていく。


「ちょ、きゃっ!」


 鼻息を荒くしながらすり寄るアンドレ。


「グラスの中空っぽじゃん! ほら、もっと飲んで飲んで」


 アンドレがボトルの中身を注ごうとするが、それはミシェーラさんは断った。さすがにこれ以上のまされてはつぶれてしまう。


「僕の酒が飲めないって言うのかい?」

「そ、そんなわけでは」


 とうとう得意の営業スマイルにも無理がでてきた。これ以上はまずいだろうか。


 そう思った俺が止めに入ろうと歩き出すと、アンドレに気づかれないようにミシェーラさんがアイコンタクトを取って来た。


 どうやら、あんなクソ客相手でも最後まで仕事を全うするらしい。


「いいよね、女ってやつは。顔さえよければ何の努力もしなくていいんだから」

「え、ええ」

「それに引き換え、男は大変だよ。大きな商談があれば失敗できないし、店を開けば従業員の生活も保障しなくちゃいけない」

「それは……大変ですね~」

「だから、僕決めたよ。君、いくら?」

「え、はい? 一体どういう……」

「もう、これだから女はバカって言われるんだ。君を買ってやるって言ってんの。こんな店で働いてるんだ、金は好きなだけ出してやるよ」

「すみません、お客様。当店はそう言った枕営業は行っておりませんので」

「そんなの関係ないよ。僕が君を欲しいって言ったんだ。その意味が分からないのかい?」


 アンドレの手が、ミシェーラさんの胸に伸びる。その手を拒もうとするが、何かと悪い噂のある男が相手だ。怒らせては面倒なことになるかもしれない。


 ミシェーラさんが悔しそうな表情でアンドレに触れられようとする、その寸前。

「い、痛い痛い痛い痛い!」


 これ以上は好きにさせないと思った俺が、二人の下へ駆けつけアンドレの肘の関節を極めた。


「フェ、フェイト君!?」


 俺の登場に驚くミシェーラさんを他所よそに、俺はできるだけ冷静に、かつ威圧的にアンドレに言った。

「当店ではキャストへの過度な接触はお断りしております。これ以上なされるなら退店していただきます」


「ふ、ふざけるな! 僕は客だぞ!?」

「ええ、ですから最大限のもてなしはさせていただきました。他のお客様も迷惑にもなりますので、これ以上は止めさせていただきます」


 俺が絡めていた腕を解くと、痛めた肘を大事そうに抱えるアンドレは、一瞬周囲を見渡した。


 すると突然、そのアンドレの視線にいた二人の男性客が立ち上がった。

 先程まで静かに酒を飲んでいたので気が付かなかったが、両方とも恵まれた体格をしている。そして顔が怖い。


 二人が俺とアンドレの間に割って入ると、アンドレはえらく強気で言った。


「僕に怪我をさせたんだ。ボコボコにしてしまえ」


 なるほど。大方アンドレが金で雇った用心棒といったところだろう。

 鍛え上げた身体は主人とは違う意味でジャケットがはち切れそうだし、暴力が当たり前の世界で生きて来たような雰囲気を醸し出している。


「よう兄ちゃん。お前に恨みはないが、ちょっと痛い目見てもらうぜ」

 サングラスをかけた男が言う。


「俺たちも金を貰ってるからな。恨むんじゃねえぞ」

 頬に一筋の向こう傷がある男がそう言う。


 ガシャンッと音を立ててボトルが割れた。暴力沙汰に巻き込まれたくない他の客が慌てて逃げ出したときに倒れたのだ。

 従業員の大半を占める女性キャストは、怯えた目で俺たちを見ている。


 店長と言えば、想定外の荒事の気配に慌てふためいている。


「僕にたてついたことを後悔するんだな」


 アンドレのその言葉を皮切りに、二人の男が同時に殴りかかって来た。


 力は強そうだ。喧嘩の経験も豊富なのだろう。デカい拳が、一切の躊躇なく俺に放たれる。


「でも遅ぇ」

 二人の男よりも早く動いた俺は、拳を掻い潜りサングラスの男の腹に蹴りを見舞う。


「うげぇ!」

 肋骨が軋む感触が足に伝わってくる頃には、サングラスの男は自分の吐いた吐しゃ物の上に寝転がっていた。


「なに!」

 俺の動きを全く見えていなかった向こう傷の男の顔面向けて、左の拳を振り抜いた。

 前歯が二本弾け飛ぶ。

 殴られた勢いで後ろに倒れた男は、テーブルの角に後頭部をぶつけて意識を失った。


「な、なにぃぃぃい……!?」


 自慢の用心棒二人があっけなくのされたことにショックを受け、空いた口がふさがらないアンドレに向き直った俺は、指を鳴らせながら出来るだけ怖い顔をして凄む。


「おいデブ。そこの男みたくなりたくなきゃとっとと帰りな」


 そう告げると、アンドレは酒で赤らんでいた顔を真っ青にし、ソファーから立ち上がった。


「は、はいぃぃぃぃっ!」


 尻尾を巻いて逃げるその後ろ姿に、先程まで傍観ぼうかんしていた従業員だけでなく他の客までが一斉に盛り上がった。

 上品な生活を送る彼らにとって、目の前で起きた殴り合いはさぞ珍しかったのだろう。

「いいぞ~少年!」「あのデブは昔から気に入らなったんだ!」「少年の雄姿に乾杯!」なんて声が聞こえてくる。てっきり大問題になるかもと思ったが、そうならずに済んだようだ。


「勘定はッ!?」


 さっきまで奥でビビっていた店長が、こちらの優勢を悟ったのかえらく強気になってそう言う。

 アンドレはジャケットから出した高級そうな革の財布をカウンターに投げつけ、脂肪を蓄えた腹を揺らしながら店を出て行った。


「ありがとうフェイト君」

 感謝の気持ちを伝えてくるミシェーラさん。俺は「いえいえ。これも仕事ですから」と言い、倒れた男を店の外に放り投げた。


 店長から聞いた話だが、この店の売り上げの半分近くを彼女が上げているらしい。こんなことが原因でミシェーラさんが仕事に来れなくなって店が潰れるなんて馬鹿馬鹿しい。

 万年金欠の俺にとって、王都でも時給の良いバイト先の存続は死活問題なのだ。

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