第1話 魔術師の学び舎

 ペルシアット王国魔術学院。通所『学院』は、イルーン大陸の西側を領土とするペルシアット王国が世界に誇る、魔術師の卵たちが集う学び舎だ。


 王都の中心に建てられた学生寮が併設される巨大な校舎と、戦闘訓練が行われるグラウンド、通称『闘技場コロッセオ』が特徴の、国中から優秀な魔術師の子女たちが集まっている。


 そんな学院で、朝一番の『魔導書入門学』の授業を受けるため、俺は大教室に来ていた。


 この学院の卒業要件は、一つは四年間学院に在籍すること。二つ目は一定以上の単位を取ることだ。そして、『魔導書入門学』の単位は必要単位数の中でも必須の単位とされていて、この授業を取らなければどうあっても卒業は認められない。


 すり鉢をひっくり返したような形の教室の空いている席に座り、担当講師がやってくるのを待っている。


 すると、よく知る人物が隣に座って来た。


「やあフェイト。今日も相変わらず眠そうな顔をしているね」


 エレノア・シールエール。長い黒髪が片目を隠した、どこか不思議な雰囲気を纏った少女だ。俺と同い年なので、十六歳。


「昨日は日を跨いでバイトだったからな。課題もあったし、殆ど寝てねえ」


 バイトのせいで眠たいなんてみっともないからと気をつけていたが、顔に出ていたらしい。


 俺はまぶたをこすりながらそう答えた。


「そんなに金に困っているのかい?」


 純粋に疑問だったのだろう。エレノアはそんなことを聞いてきた。


「まあな。ここの学費はアホほど高いし、教科書一つ取ってもバカにならねぇ。いくら食堂が安いって言ってもタダじゃねえんだ」


 俺の話を興味深そうに聞いているエレノア。


 シールエール。確か、王都から少し離れたヒルン地方の有力魔術師の家系だったはずだ。きっと金に困ることなんて一度もなく生きて来たのだろう。

 

 だが、それで彼女のことを世間知らずだとか、デリカシーがないだとかと罵るつもりはない。

 親の力や金なんて、所詮は手持ちのカード一枚でしかない。


 それに、金に余裕のない生徒は俺だけじゃない。金持ちの子供が多いこの学院の食堂で、豪華なメニューの端に安い定食が用意されているのがその証拠だ。


 まあ、さすがにバイトしてるのは俺だけだと思うが。


 しばらくすると、始業のチャイムと共に担当講師が教室前方の扉から入って来た。


「では授業を始めます」


 頭頂部が眩しい初老の講師がそう言うと、授業が始まった。


「皆さんご自分の《原典》を机の上に出してください」


 講師の指示にしたがい、俺はローブから手帳サイズの本を出した。


「では改めて、皆さんの《原典》について復習を始めていきましょう」

 白いチョークで黒板に文字を書き始める。これまでも授業で習った《原典》についてだ。

 もっとも、そこに書かれているのは手習いの魔術師でも知っていて当然の知識だった。


《原典》とは魔導書と呼ばれる書物の一つである。

 

 俺たち魔術師は、初めて魔法を使ったとき、一冊の本を自分の中から生み出す。そこには魔術師としての自分の性質と、自分だけが使える魔法が記されている。


 どんな魔術師でもこの《原典》と呼ばれる魔導書を持っており、魔術師として成長するにつれてページに記述が増えていく。


 ページが埋まっているほど魔術師として成熟していると考えられており、学院の一年生であれあば平均して三割程度、卒業するころには六割は埋まっているという。


「皆さんも知っての通り、原典にて使われている文字は私たちが使っているリーガイズ語ではありません」


 リーガイズ語とは、かつて強大な軍事力で世界を支配していたリーガイズ大帝国発祥の言語で、現代でも公用語として世界中の国と地域で使われている。


「最新の研究では、神話の時代に使われていたというオルシオン文字であると考えられています」


 悠久の昔、神が天界に姿を消すより前。まだ人と神と精霊が手を取り合っていた時代に使われていた文字であり、現代では魔術師以外の人間は読むことすら不可能な廃れた言語だ。


「ここまでは先日の授業で話しました。今日からは、軽くですが《原典》以外の魔導書について紹介していきます」


 魔導書というのは原典だけを指す言葉ではない。魔法や神話、この世界に関することが書かれた書物全般をいい、世界中のいたるところに存在し、その全てがオルシオン文字で書かれている。


「本日は、皆さんもよく知っているでしょう《聖典》について話していきましょう」


《聖典》。俺たち魔術師にとって、魔導書の中で《原典》の次には知っていて当然の存在だ。


「『《聖典》とは、この世界の全てが記された書物である。』というのが一般的な説です」


 なぜそんな曖昧な言い方をするのだろう、と思う生徒はここにはいない。《聖典》についてその程度の知識が無い者はこの場にいないからだ。


「《聖典》は現在、世界で最も多くの信者を誇るアリストリア教の総本山、大陸から船で一月半の北の雪国、ガルベルニアのパルーン大聖堂に保管されています」


 アリストリア教は何者であっても《聖典》を閲覧することを禁忌としており、その内容を実際に見ることは出来ない。


《聖典》に書かれている世界の全てとは、すなわちこの世界の過去に留まらない。現在世界で起きている事象全てに関することは当然、未来においてこれから起きる事柄ついての記述もなされている。

 悪しき者によって閲覧された場合、世界に危険がもたらされるとして教会が保管という名目で封印しているのだ。


 その後も担当講師の授業は続く。世界で有数の魔術学院に勤める超優秀な講師のありがたい授業だが、座って聞いているだけは辛い。

 それも、殆どはこの学院に通うにおいて知っていて当たり前の内容なのだから。


「三秒間目をつむったら、何してもいいから起こしてくれ」

 隣に座るエレノアに小声でそうお願いした。


「任せておけ」と親指を立てるエレノア。嫌な予感しかしないが、気をつけて起きていればいい話だ。眠ってしまったときの恐怖がある方がまだ集中できるかもしれない。



 結局、俺はエレノアが召喚した小さな悪魔に太ももをかじられて目を覚ますことになった。三度も。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



「おい貧乏人、寝てちゃ授業料がもったいないぜ?」


 授業が終わり、生徒たちが教室の外へ出て行く中、次の授業もこの教室で受けるため席を動かないでいる俺の耳に、聞くだけで不快感をもよおす男の声が入って来た。


 目の前から聞こえて来たその声の方を向くと、予想通りの男がいた。


 俺の目の前にふんぞり返っているのは、学院指定の制服を着崩した男。

 短く借り上げた髪と、両耳に三つずつと唇にピアスをつけている。同級生の中でも長身で大柄な体躯の、そこら辺にいるヤンチャな兄ちゃんといった風貌の生徒だ。


 ルイーゼ・バルドリア。魔術師の家系ではないが、王都で有名な商人の息子だったはずだ。


「ああ、その通りだ。必死に金貯めて入ったのに、お前みたいな奴がいるとはな。全く金の無駄だぜ」


 目の前に立つルイーゼに、俺は毒づく。人として悪口はどうなのか、なんてことは微塵も思わない。こいつは暇さえあれば俺が金に困っていることを揶揄してくるクズ野郎だからだ。


「なんだと!? テメェ、この俺に喧嘩売ってんのか!」

 俺の言葉を不快に感じたのか、ルイーゼは突然怒鳴りだした。


 喧嘩を売ってるのはどっちだ。


 教室に残っていた他の生徒が一瞬ビクッと驚くが、その声がルイーゼのものであることを理解すると、「なんだ、いつものことか」と言った様子で、開けた教科書に視線を戻した。


 突然騒ぎ出して驚かせたことを心の中で謝罪していると、ルイーゼはさらに言葉を放つ。

「大体、テメェがこの授業受ける必要あんのかよ? 何も書かれてね白紙の《原典》のテメェがよ!」


 痛いところを付いて来る。いつも自分から俺に突っかかって来て、言い返されて逆上するルイーゼが珍しくまともなことを言いやがった。

 

 猿から人に進化したか?


「テメェみたいな奴は魔術師とは言わねぇんだよ。なあ、お前ら?」

 いつの間にか彼の後ろにいた自分の子分たちに同意を求めるルイーゼ。

 

 どいつもこいつも、悪趣味なシルバーアクセサリーをつけている。大方、ルイーゼから仲間の印だとか言って買い与えられた物だろう。


 やることなすこと、スラム街のチンピラと変わらねえ。


「そうっすよね。貧乏人が調子乗ってんじゃねえって感じですよ」

 背の低いデブがそう言った。


「ぷぷ、こいつの靴見てくださいよ。ボロボロですぜ」

 枝みたいな腕をしたガリガリが、俺の靴を見て笑った。


「魔術師なのに《原典》が白紙なんて、どんだけ才能ないんですかね」

 四人の中で全くと言っていいほど無個性な生徒その一が言った。


「へっ。貧乏なだけじゃなくて才能もねえとはな。親の顔が見てみたいぜ」

 ルイーゼのその言葉に、デブが続く。


「きっとこいつの親もロクな奴じゃないですぜ。なんたってこんな出来損ないの息子産むような奴で―—フギャッ―—」


 デブの言葉が途中で止まった。


 俺を笑っていたルイーゼを含む三人も、騒ぐルイーゼとその子分を教室の端からこっそりと覗いていた生徒たちも呆気にとられている。


 先程まで隣で黙っていたエレノアはといえば。


「アッハッハッハ」

 

 俺の隣で腹を抱えて笑っていた。


 調子に乗って言い過ぎたデブの鼻先を、バイト先で酔っぱらいの客を幾度となくのしてきた俺の拳が殴り飛ばしたからだ。


 おかしな声を上げ、派手に後ろに転ぶデブは完全に意識を失っていた。


「テ、テメェ! スリムに何しやがる!?」


 どう考えても付け方ミスってるだろと言いたくなるデブの名前はひとまず置いといて、シャツの襟を掴んでにらみつけてきたルイーゼに真っ向から睨み返す。


 いつもなら軽くあしらって、それでこいつらが満足して去っていくのだが、今日は違った。


 なにせ親まで侮辱されたのだ。別に俺のことをなんと言おうと構わないが、両親まで悪く言うのは許せない。


 この場で殴り合っても構わないと思えるほどイラついていた俺は、シャツを掴むルイーゼの手をしっかり握る。


 そのままルイーゼの鼻っ面にヘッドバッドを喰らわせてやろうと勢いをつけた、その時。


「そこまでにしておいてやれ、フェイト」


 理知的なエレノアの声が、俺を制止した。


「ああ? んだよエレノア」

「バルドリアの奴、最近婚約者に逃げられて気が立っているんだよ」


 こんな低俗な奴に婚約者がいたのがまず驚きだが、よくよく考えればこいつも金持ちの息子で学院の生徒だ。政略結婚、とまでは言わずとも何かしらの打算的理由があるのだろう。

 そうでなければ、こんな男を好きになる奴なんているはずがない。


「な、なんでテメェがそれを知ってやがる!?」

「さて、なんでだろうな? 親子ともども王都から逃げる算段を手配したのがこの私だからかな?」

「ふ、ふざけんな!」

「怒鳴るなよ。親父さんから言われてるんだろ? なんとしてでも新しい婚約者を見つけるよにって。このままじゃ、学院中の生徒から嫌われてしまうよ?」

「ぐっ……」


 エレノアの言葉にもはや何一つ言い返せないルイーゼ。


 お前、そんな情報どっから仕入れてんの?


 俺がエレノアの情報網に恐怖をいだいていると、ルイーゼはスリムを二人の子分に担がせ、「チッ」と言って教室を後にした。


「まあ、助かった」

 勢いよく立ったせいで後ろに倒れた椅子を直し、腰を下ろしながら言った。


 あのまま殴り合いに発展していれば、俺たちには何らかの処分が下っただろう。罰掃除か、悪ければ停学が。決闘トーナメントの本戦出場を狙う今の俺にとっては嬉しくない。


「構わんよ」


 エレノアは隠れていない至極色しごくしょくの目でパチリとウィンクをする。慣れていないのか、うまくできていなかった。


 それからしばらくして、次の授業を受けに生徒たちがぞろぞろと教室に入ってくる。

 二限目の授業は『魔法工学入門』。魔法道具についての授業だ。毎回小さな模型で実験をする授業なので、今度は眠らずに済みそうだ。悪魔の牙は鋭いからな。


 俺は先程の授業中に噛まれた太ももをさすりながら、そんなことを考えていた。

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