俺の魔導書、白紙なんだが……!?
夏野メロン
プロローグ
しまった。失敗した。
魔術師のローブの下、白いシャツには大量の赤い液体が染み込んだ跡がある。
紛れもない俺の血だ。
初めから逃げるべきだった。
学院で行われていた決闘トーナメント本戦一回戦。その
長い金髪と赤い瞳。白いワンピースから覗くきめ細やかな肌が眩しい肢体。
一言で言うと、少女は美しかった。目の形、スラっと通った鼻すじ、ふっくらとした唇。美術館の彫像よりも尚、完璧な比率を計算して作り出されたのではないかと錯覚してしまうほどだ。
そんな美貌を持つ少女に、俺たちは間抜けにも少しの
だが、
どうしてこの少女は、こんなにも虚ろな目をしているのだろう。
どうして少女の唇は、あんなにも血色が悪いのだろう。
どうしてあんなにも、悲しそうな表情をしているのだろう。
その違和感が、俺たちを現実に引き戻しす。
一体どのようにして、少女はこの場に現れた?
全員がそれに疑問を持ったと同時、直ぐにそれぞれが得意な魔法を少女に向けて放った。
間違っていたらどうしようとは考えない。
ただの少女が、強力な結界を無視して、魔法が飛び交うこの場に来るわけがないのだ。
そして何より、少女とは思えないほどの圧力に、俺たちは攻撃以外の選択肢を奪われていた。
そして、それが失敗だった。
国中から優秀な人材が集まる学院は、例え生徒であっても一部を除けば相当に強力な魔法を使うことができる。
だが、俺たちの魔法はまるで通用しなかった。
ゲリラ豪雨のように放たれた魔法を全て受けても、少女の身体には傷一つついていなかったのだ。
突如、少女の背中からまるで針金の様な鋭い線状の黒い物体が衣服を突き破って出現し、恐るべき速さで闘技場一杯に広がった。
呆気なく、俺はその攻撃に貫かれた。
いや、俺たちと言うべきだろうか。
辺りを見渡せば、俺の他に円形闘技場にいた四人の内二人が、俺と同じように身体のどこかを貫かれて倒れている。
死んだのだろうか。ここからでは分からない。だが、二人ともかなりの出血量だ。
「フェイト!」
そんなことを考えていると、女の声が俺の名を呼んだ。
慌てて俺の下へ駆けつけて来たのは、エレノア・シールエール。片眼が完全に隠れるほど伸ばした黒い髪の少女だ。
普段は飄々としているエレノアが、珍しく血相を変えている。
「バカかお前は!? お前なんか助けられずとも、あんな攻撃よけられたんだ!」
続けて放たれる黒い翼による攻撃を躱しながら俺の下へたどり着いたエレノアがそんなこと言った。
確かに、エレノアはあの少女攻撃を完全に見切っている。
まったく、これだから天才ってやつは困る。けどお前、最初の攻撃は絶対よけれなかっただろ。
場違いな悪態を心の中でついていると、エレノアは俺のシャツのボタンをはずし、先程の攻撃で貫かれた胸の傷をみた。
「フェイト、心臓が……!?」
やっぱりか。正直、そうだろうとは感覚で分かっていた。最初の攻撃で、俺の心臓は完全に破壊されていた。
ではどうして俺が今もまだしぶとく生きているかというと。
「相変わらず、無駄に器用な奴だな」
感心したようにエレノアがそう言った。
心臓を破壊された俺は、体内に残った少ない魔力で血液を循環させていたのだ。その結果、既に出血は止まっている。
しかし、それも長くは続かないだろう。心臓は血液を体中に送るポンプであると同時に、俺たち魔術師が魔力を練り上げるための器官でもある。
血液を運ぶのにも、少しずつだが魔力は消費されている。魔力が尽きれば再び出血が始まり失血死は
単純な魔力不足なら他者から
「ゴホッ」
操作をミスった血が喉に逆流し、咳と共に吐き出された。本格的な魔力不足はまだ先だろうが、余裕はない。
それはエレノアも分かっているのだろう。魔術師のローブの内ポケットから、手帳サイズの本を取り出した。
「なにを……」
「黙っていろ。集中して少しでも血を無駄にするな」
俺はエレノアの剣幕に押し黙る。
特殊な文字が書かれたページを開くとその本を宙に置く。
右手の親指の皮膚と血管を噛み切ると、真っ赤な血で地面に円形の魔法陣を描き始めた。
書き終えた魔法陣が怪しい光を放つと、その上に小さな生物が現れた。
肉食獣の様な
エレノアが契約する悪魔の一体だ。
「フェイトの傷を治せ」
エレノアにそう命じられた悪魔が、その力を行使する。不思議な力が俺の心臓があった位置に注がれる。貫かれた体が徐々に癒えていく感覚がある。
しかし、どうやら完全に破壊された心臓を修復するほどの力は持っていないらしい。
未だに俺は魔力を消費して血液を身体中に血液を循環させているし、失った血液が戻る感覚もない。
「クソ、駄目かっ」
いらだったったようにそう言うエレノア。
「逃げろ、エレノア」
俺はエレノアの背後、ポツリと
先程まで闘技場に広がっていた針金の様なそれを、今は二枚の翼の様な形にして収めている。
「このままじゃお前までやられちまうぞ」
「いいから黙れ。それに、もうじきあいつが来る」
なんのことだ?
エレノアの言葉に疑問を抱いていると、すぐにその答えが分かった。
ガシャンッ、とガラスが割れるような音が闘技場に響いく。
結界が破壊された音だ。
敵の増援かと思ったが、そうではなかった。
「アリス!?」
一人の美しい少女が光る剣を
「何者かは知りませんが、学友を傷つけた罰は受けてもらいます」
青みがかった銀色の髪の少女は、握った剣の切っ先を敵に向ける。
先程まで観客席で試合を見ていたはずだが、どうやら結界を破って入ってきたようだ。
流れ弾が観客たちに向かうことを防ぐため内側を強化した結界だが、それでも簡単に外から破ることは出来ない。
だが、アリスは一滴の汗もかかず、悠然とそこに立っていた。
アリスは倒れた二人を見ると、すぐに駆け寄って二人の傷に手をかざした。
すると、彼女の手から発せられた淡く優しい光が倒れた二人を包み、その傷を癒してく。
「二人を連れて闘技場の外へ」
「う、うん!」
先程まで必死の治療をしていた女子生徒は、アリスにそう言われると倒れた二人を担いで闘技場の出入り口の方へ全速力で向かって行く。
次にこちらを見たアリスは、俺を治療するエレノアとなんらかのアイコンタクトを取ると。
「フェイトは頼みます! エレノア!」
「了解!」
そう言うと、アリスは謎の少女に向かって一直線に飛び込んだ。
光る剣を上段から降りろすと、右の翼がそれを受け止める。一瞬の力比べの後、アリスは後ろへ大きく飛んだ。
その刹那、アリスが先程までいた地面を反対側の翼が抉る。もう少し引くのが遅ければ一撃でお
翼が地面を叩いた瞬間、地震でも起きたかのように闘技場全体が揺らいだ。
「相当威力がありそうですね、あなたの翼は……」
冷静に分析しながら、次の一手を打つ。
背後に浮いた本から、一本の剣を取り出し空いた手に取った。
「行きます!」
アリスが振るう二本の剣と、少女の背中から生えた二枚の翼が激しく衝突を繰り返し、その度衝撃が発生し闘技場を揺らす。
その光景を見ながら、俺は自分の血液を回すことに集中し、エレノアが召喚した悪魔が傷を癒してくれている。
しかし、やはりというべきか。俺の心臓は一向に修復される気配がない。
そうこうしている間に、俺の魔力もとうとう底が見えてきた。
「グッ……」
だらだらと、胸から大量の血が流れ始める。
「フェイト! しっかりするんだ!」
「フェイト!?」
異変を察したのか、黒い翼と打ち合いながらアリスがこちらを気にしてくる。
バカ、集中しろ。
一瞬の隙を見逃さず
「ゴハッ」
その様子を見ながら、俺は再び大量の血を吐いた。
「フェイ……、けつえ……回……!」
圧倒的に血が足りない。そのせいだろうか、目の前にいるはずのエレノアの声が遠くに聞こえる。
完全に魔力が底をついて、胸から血液が垂れ流しになっているが、それも感じない。
クソが。とうとう身体の感覚まで無くなってきやがった。
徐々に狭くなる視界で、俺は再びアリスを見ると先程吹き飛ばされたダメージをまるで感じさせない立ち回りをしている。
さすがは学院最強の魔術師。天才中の天才は、あの強力な敵と渡り合っていた。
へまをして心臓を貫かれた俺とは大違いだ。
ふと、場違いなことを思う。
今までさんざん努力はしてきたが、どうやっても俺がアリスと同じ領域に立てる未来は想像できない。
俺がもし、彼女と同じく才能にあふれていたら結果は違ったのだろうか。
アリスの様にあの攻撃を
もっと強くなれたのだろうか。
らしくもなくそんなことを感がていると、全身の力がふらっと抜けた。
ローブの内ポケットから、一冊の本が
落ちた衝撃でページが開いた。
大量の文字で埋まった彼女たちの本とは違う、白紙のページが。
この
「くそったれ」、と呟いたのを最後に、俺は意識を失った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます