第85話 景親、平家に驚嘆すること

 そののち、景親は、平清盛という巨人を間近で学んだ。


 待ち受けていたのは、驚愕の日々であった。

 鎮西ちんぜい博多はかたの港には、東国では見たこともないほどの巨大な船が舳先を並べ、その船体は、浮かぶ……というよりも波の上にそびえ立っていた。


「……あの船は、何処から……」

「ソウだ」

 さも当たり前のように、清盛は答えた。


(ソウ?)

 景親がその言葉の意味を理解するのに、しばらくの時がかかった。

 ようやく気づいて、唖然とした。

(『宗』……唐土もろこしか。……海洋の、はるかかなたの大陸……)


 はしけからは、見たこともない異様の人々が上陸してくる。

 けたたましく鴃舌げきぜつをわめかせながら、独特の色彩服をひらめかせる異人たち。

 鬼か、物の怪か……景親は硬直したまま、世にも珍しい異人たちの挙措を、怖れと好奇心の入りまじった瞳で、飽くことなく眺めつづけた。


 これより後、景親は船津にただよう潮と太陽の匂いをぐたび、遥かなる大陸への憧れを感じるようになった。





 清盛の大邸宅におもむけば、そこには海をわたってきた数々の美術品が整然と並べ置かれていた。

 揚州の黄金、荊州の宝珠、呉郡の綾織物、蜀江の錦、陶磁器の名品、絵画の名品……いずれも精美を極め尽くしたものであった。

 七珍万宝のまばゆいばかりの輝きに、景親のまなこはくらみ、妖しい刺激に満ちた異国の薫香に、心がとろけた。


「今、製作している経巻物を見せてやろう」

 と、清盛が言った。


(……この数々のきらびやかな宝物を見せられた後で、経の書かれた巻物など、つまらぬことよ)

 景親は思ったが、賢く黙って、清盛の後についていった。


 すでに屋敷のうちは、とっぷりと宵闇にひたされていた。

 長い長いほそどのには、吊り灯篭のともし火が整然とゆらめいて……その万灯まんどうの影のなかを、ふたりのきぬずれの音だけが渡ってゆく。


 ――辿りついた場所は、暗闇の大広間である。

 雑色たちが処々の高灯台に火を点すと、無数の長机が、夜の舟のごとくに浮かびあがった。


「ここは工房だ。昼間、ここで職人たちを働かせている。製作はもはや、最終の段に入っている。見てみよ」

 長机の上にはそれぞれに巻き物が広げられている。

 そのひとつに近づいた景親は、アッと声を呑み込んだ。


 燭台の光のもとで、広げられた巻物からは色と光があふれかえり、渦巻く大波となって景親のまなこにどっと押しよせてきた。

 その万華の色彩の、なんとあざやかなこと――


 かすみたなびく野辺に、黄金こがね色の花々が咲きあふれている……

 美姫たちがあでやかな衣をたなびかせ、天に祈りを捧げている……

 趣きある山水が、緑ゆたかに匂っている……

 仏が紫雲に鎮座し、神女が風と舞っている……

 極楽の蓮華が、泥濘のなかから抜きんでて、自由自在に咲き誇っている……

 五色ごしきの蓮の花びらの雨が、色とりどりに降り落ちてくる……


 これらの絵画の素晴らしさもさることながら、画面の紙もただの紙ではない。

 色紙いろがみ染紙そめがみに金銀砂子すなごをふんだんに散らし、金泥きんでい銀泥ぎんでいを用いて描きあげているため、画面そのものが輝いて見える。

 黄金の雲がたなびき、百花繚乱するその上から、経文は、輝ける多色の墨でつづられていた。


 そればかりではない。

 巻物の軸もまた、精緻な工芸品であり、両端に神秘的な水晶球を抱いていた。

 軸の細工は一巻ごとに異なるが、あるものは黄金の唐草からくさの透かし彫りになっていて、白露しらつゆのごとき水晶球を可憐に受けとめている。

 またあるものは、水晶が五輪塔にかたどられている。

 あるものは、軸先が炎の形を成している。


 外題には、謎めいた異国の文字が躍り、神秘的な音律を、耳の奥に予感させた。


「すべてにおいて、最高の素材を用い、当代一流の技を備えた職人を集めた」

 清盛がそう言うがごとく、巻物は全部で三十余巻、一巻ごとに異なる素材と意匠を用い、才能と財力とを惜しみなくつぎこんで、瀟洒にして絢爛豪華、華麗なる幻想美を実現していた。


「これらの経巻物は、私が特に崇拝する、安芸あき厳島いつくしま神社へ奉納する予定だ」

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