第86話 清盛、女人の力を説くこと

 ありがたい仏の絵や、物語の絵ばかりではない。


 そこには数々の女性の姿が描かれていた。

 景親がそのことを尋ねると、清盛はよく気がついたとばかりにうなずいて、丁寧に説き明かしてくれた。


「わが六波羅平氏一門は、男と女がともに手を携え、仏道をその柱として一家の繁栄をめざしているのだ。武者の家はとかく、男ばかりが偉ぶりがちだ。

 われら一門は、女人の力を侮らぬ。宮廷で公家として生きるには、女らしい気のこまやかさがたいへん役立つ。そのことこそ、われらが宮中での繁栄のいしずえとなっている」

「女人の力……」

 唖然としてつぶやいた景親に、清盛は、叡智の微笑を見せた。


女性にょしょうというのは、不思議なものよ。男には見えぬものが見える。われわれ男は、その目に見えぬものを、あなどり、軽んじ、知らず知らず破壊してしまうことが、よくある。それが己にとって、重大かつ必要であるにも関わらず、だ。……女たちは、そのことを教えてくれる」


 思慮深い顔でそう言うと、清盛は場所を移しながら、次々と説明してくれた。


 画面には、天女の領巾ひれをかろやかになびかせた異国の姫が、雲上の仏に宝珠を捧げていた。

「これは《竜女》――竜王の娘。わずか八歳で悟りを開き、仏となった」


 次の画面では、重ねあわせた両手に数珠じゅずをからげた尼が、おもてに深い平穏の色を浮かべ、黄金の仏を拝んでいた。

「『摩訶まか波闍波提はじゃはだい比丘尼びくに』――釈迦の叔母にして、最初の尼僧」


 なかでも景親の目を驚かせたのは、肌の黒い、異様の美姫であった。

 美しい十二単じゅうにひとえの襟元から腕を突き出し、今しも片方かたえをはだけようとしている色黒の美姫は、その手に研ぎ澄まされたつるぎをしっかと握りしめていた。


「『黒歯こくし』――もとは鬼女であったものが、改悛し、護法の神へと転じた」

 なまめかしきその姿は、うつせみのころもを脱ぎ去って、今しも無垢なる仏の姿に、生まれ変わろうとしていた。


「男も女も、死して後の成仏を願う。神仏を拠り所とすれば、そこに心の平穏が生まれる。家中も平穏に治まる。神仏もそれをよみしてくれる。これらの経文は、われら一門の願いであり、祈りそのものだ」


 景親はわれ知らず、己の胸をかきむしった。

 言葉が出てこないほどに、肝がふるえた。

 気づけば、清盛の夢の世界のとりこになってしまっている自分がいた。

(これが、平家か……)


 もしここにいたのが兄の景義であったならば、これほどに魅入られることはなかったかもしれない。

 兄よりも心の造りが緻密で、芸術を理解しうる、繊細な感覚をもちあわせていたこの青年は、この時、ひとたびおのれが死したかのような絶大な衝撃を受けた。


 かれの頭からは旧主、義朝の存在は跡形もなく消え去った。

 嵐のなかを疲馬で駆け迷っていたのが、突然、光あふるる楽園に飛び出したかのような、そんな心地がした。




※ 安芸の厳島神社 …… 現存。広島県廿日市市宮島町。国宝。世界遺産。


※ 平家納経 …… 現存。現在でも厳島神社の宝物館にて、拝観可能。

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