第87話 景親、新しき時代を告げること




   四



 ――いよいよ、平家の世というべきものがやってきた。


 坂東諸氏のうちでも、代々、都での活動に重きを置いてきた者たちが、真っ先にこれに迎合した。


 波多野義常、橘遠茂などは、景親のもっとも親しい朋輩であった。

 景親は義常らとつるんで、平家のもたらす異国情緒あふれる新風を呼吸し、謳歌した。


 若者たちは都武者みやこむしゃに憧れていたが、平家こそはまさしく都武者であった。

 弓矢取る身でありながら、歌を詠み、絃楽を奏で、ものの雅びを好んだ。

 貴族として、男ながら、顔に化粧を施した。

 ……景親らは率先して、平家のふうを真似、かれらの造りだす流行を追いかけた。


 一方で清盛のほうは、景親の言動の端々に見える、すぐれた才気が気に入った。

 ――打てば、響く。

 最初に見込んだとおりの才覚、それ以上のものを景親は示してくれた。


 そこで清盛は、自分の名代……「坂東御後見」として景親を東国に下向させた。

「そなたの仕事は、東国の荒ぶる炎をなだめることにある」

 清盛は言った。

 奔放な荒馬のような東国の武者たちを、平家の権勢のもとに手なずけよ、ということであった。


 景親はまず、先に義朝が造りあげた坂東諸氏連合を再編成し、丸ごと支配化においた。

 景親は義朝のもとで、連合の様々な内情をつぶさに見てきているから、調略は、たやすかった。

 従わぬものには、先の平治合戦での乱逆の罪を突きつけた。

 従うものには恩赦を与えた。

 こうした方法で、義朝の築いた遺産は、なめらかに景親へと受け継がれることとなった。


 景親は鎌倉の主として由比の総領屋敷に入り、鎌倉から義朝の色を一掃した。

 亀谷の源氏館は破却された。

 長江義景は鎌倉を追われ、三浦領へ……森戸海岸の奥、長江の地に引きこもった。





 さらに景親は、新時代到来のひとつの象徴として、大庭館の南に大規模な神域造営を計画した。

 坂東諸氏の力をひとつに集めるため、平家ゆかりの厳島神社を、はるばる大庭の地へと勧請したのである。

 ……これが「厳島いつくしま千人力弁天社」であった。


 弁才天が女神であるためか、この時、『社殿を女人のみで作事せよ』との、夢のお告げがあったという。

 東国じゅうから千人の女が集められ、しかも女の手だけで社殿が造営されるとなれば、人々の口吻に登らぬはずがない。

 ……戦略的、扇動的ともいえるこの大作事によって、景親はみずからの支配のはじまりと、平家の世の到来とを、東国じゅうにしろしめしたのである。


 やがて弟の俣野五郎が長ずると、相撲だけがとりえのこの武骨な男を、景親は都へ送り出した。

 最初はなんの期待もされていなかった五郎であったが、しかしその得意の相撲で、めきめきと頭角を現した。

 ついには宮中の相撲節会で、法皇や公卿の見守るなか、無敗を守り通し、「相撲日本一」の称号を与えられるに至った。


 清盛はことのほか喜んで、五郎を家の侍としてかわいがった。

「知の三郎に、力の五郎。そなたらは素晴らしい兄弟よ。よくよく力を合わせ、兄弟で平家を盛りあげてくれ」


 景親は、平家への貢物を欠かさなかった。

 大庭御厨は北方に、大きな馬牧を持っている。

 名馬が育てば、すぐに清盛のもとに送り届けた。


 そのようにして、大庭兄弟と平家との絆はますますもって深まるばかりであった。





 景親のもとで鎌倉一族が新しい道を歩みはじめた頃、兄の景義はふところ島で、おとなしく若隠居として暮らしていた。


 自分ひとりの体さえ自由にならぬ景義のこと、引きこもり、ひたすら自己鍛錬に明け暮れた。

 毎日足腰を鍛えるため、宝草に支えられながら、砂浜を杖をついて歩いた。


 透きとおるばかりに青い海と、真っ白な砂のうちつづく浜辺に、昼顔の花が、やわらかにゆれている――そんな景色のなかを夫婦ふたり足を運んでいると、鬱屈した気分も、自然と晴れてくるのであった。



 この時期、かれは特に、故事古典を学ぶことに勤しんだ。

 左脚の故障によって武の道が断たれた以上、文の道――知恵と知識こそが、立身の大きな頼みであった。


 幸いふところ島には、勝福寺という大きな寺があった。

 この寺では多くの僧が学び、修行に励んでいた。

 かれはここに自由に出入りし、多くの書物に接することができた。


 伊豆山権現もまた、かれの重要な学び舎であった。

 度々、湯治がてら、食糧や衣を積んだ舟に乗って、伊豆国へ出かけた。




※ 厳島千人力弁天社 …… 現存。神奈川県藤沢市。


 今も、ちいさな社が残っています。この物語の当時……大庭景親の建立当時は、大きな社殿、大きな神域を有していたのではないかと、想像しています。

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