第88話 景義、宇佐美を訪ねること
伊豆山より更に西へ――
景義の舟は、鎌倉一族の一拠点、宇佐美の津に寄港した。
三方を山に囲まれた袋状の土地に、山々に包まれるようにして、宇佐美の海は東に口を開けている。
遠浅がどこまでもつづく、美しい海である。
景義は、船荷を馬に積み替えさせ、妹の屋敷を訪れた。
妹の宇佐美
「お土産をこんなにもたくさん……ありがとうございます」
男の子ばかりの家は、活気に満ちていた。
元服も近い次郎金石丸と三郎丸は、前夫の子である。
平太丸と平次丸は、まだ赤子であるが、ふたりは後夫の子らである。
「姉姫は?」
「それが……呼んでも出てきません。奥に引っ込んで、泣いているのです」
姉姫は、亡くなった先夫の子である。
「なぜ?」
「遊びに来ていた大見の姫が、父君と仲ようしているのを見て、哀しくなってしまったようです」
「そうか……」
景義は「姫や」と、奥の局に入っていった。
「よしよし」
十を過ぎたほどの女童が、うずくまり、しくしく泣いている。
景義はそっと身を寄せると、やわらかい布で目の端の涙を拭ってやった。
「わしが誰だかわかるかな?」
「ふところ島のおじ上……」
「そのとおり」
唄うように言いながら、景義は頬を極端にすぼめ、滑稽な顔をして見せた。
蛸のようにすぼめた唇が、ぽふっと音を立てると、ついに姫は笑い出して、いやいやをするように身をひねり、景義の顔を両手で押しのけた。
でも、笑っている。
姫の笑いがおさまると、景義はふところから、固いものを取り出し、姫の手に握らせた。
大きな桜貝である。
「綺麗じゃろ」
「うん」
「明日になったら、わしと貝殻を拾いに行こう。こんな綺麗なのが、たくさん落ちている。行くか?」
「うん」
「契りきな?」
「契りき」
ふたりは約束した。
次の日、約束どおり、ふたりは貝殻を拾いながら砂浜を歩いた。
波が描く曲線に沿って、景義はゆっくりと脚を引きずりながら、少女は裸足になって、どこまでも歩いていった。
姫は気に入った貝殻を見つけるたび、嬉しそうにふりかえっては、伯父のところまで駆け戻っては、見せに来る。
景義はじっくり見てから、うなずいて、姫に返す。
姫はそれを錦の袋に入れる。
「海は素晴らしいのう。宝物がたくさん落ちておる」
「うん。だから好き」
また駆け出していった姫は、潮溜まりに目を止めた。
「おじ上、蟹の父殿がおります」
そこには大きな蟹と小さな蟹が戯れていた。
姫はしゃがみこんでその様子を見守りながら、伯父の杖が辿りつくのを、気長に待っていた。
「どれどれ」
「こっちが父殿で、こっちは蟹の童……」
「うむ。蟹にも、親子があるのぅ。人と同じじゃ。親がいて、子がいる。その子がまた親になって、子ができる。その子もまた親になって、またまた子ができる。ずっとずっと、つづいてゆく。不思議なものじゃな」
よいせと、景義は砂の上に腰をおろした。
「そなたも大きくなって、母になる。母になって子ができる。またその子もできる。ずぅっと、ずぅっと、つづいてゆくのだよ」
「ふぅん」
姫は不思議そうに、親子の蟹が戯れあうのを見つめていた。
「寂しくなったら、わしに文を書きなされ。わしも返事を書くでの」
「うん」
姫はふりかえって、嬉しそうにうなずいた。
◆
翌朝はやく、景義は宇佐美の屋敷を出た。
「ごゆっくりしてゆかれては」
「なに、これから伊東へも行かねばならんでの」
「
「うむ。義朝公には随分とお世話になったからのう。恩返しの心のあるばかりじゃよ」
大好きなおじ上がいなくなってしまうと知り、姉姫はまた泣きべそをかいた。
見送りに出た宇佐美の家族に手をふって、宝船に乗った仙人さながらに、景義は海上へと去っていった。
――後日、都細工の立派な
宇佐美の州浜の景色を蒔絵にして、螺鈿を散りばめたものである。
新品の筆や、紙も、揃えてある。
景義からであった。
(――立派で男前な都武者と、将来結ばれるように、よくよく手跡を稽古なされよ)
姫は早速に、墨を磨り、母に文字の出来不出来を見てもらいながら、伯父にお礼の
……そのちいさな姫が、数年後には波多野家に縁づいて、有常の母となったのである。
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