第89話 景義、俣野を訪ねること

 二十年という歳月が、またたくまに流れていった――。



 景義と俣野五郎が最後に対面したのは、あの頼朝の挙兵から一月ほど前のことである。


 景義は俣野の屋敷をおとない、「もし万一、源氏が旗揚げしたならば……」と言って、弟に加勢を頼んだ。

 五郎の答えは明快であった。


「時代遅れ――兄上は時代遅れじゃ。源氏につくなど、有り得ぬ。無礼を承知で言わせてもらえば、平太兄貴の頭はふところ島の泥田のなかで、二十数年前のまま凝り固まっておるのではないか。兄上は変人だと、みなが噂しておるぞ」


 生意気でぶっきらぼうな言葉であったが、景義は怒りもせず、むしろ、この年の離れた駄々っ子のような弟を可愛らしく思い、ふぉふぉと笑いながら耳を傾けていた。


 調子に乗って五郎は喋りつづけた。

「平家一門は武家ながら公卿となり、天皇の外戚となり、権力をほしいままにし、今、ゆるぎない繁栄のただなかにいる。一方で源氏はどうか。流人の殿が、伊豆の田舎武者の世話になりながら、ひるの島でにらを食っている。源氏など、遠い昔の幻よ」


 こんな単純至極なことがわからぬのか……という不審の気持ちをあらわにする五郎に、景義はひるむことなく平明な調子で説きかけた。


「確かに、そなたの言うように、わしはふところ島の泥田のなかに引っ込んではおるが、しかし天下の情勢には常々、気を配っておる。今、平家は自らの私腹を肥やすことだけに懸命になっておる。それで全国津々浦々に、わずかづつではあるが不満が噴き出しはじめている。それらが綻びとなり、いずれ大きな瓦解が必ずや来る。平家はこの先、長くはあるまいよ」


 五郎は大きく首をふった。

「ありえぬ。ありえぬが、百歩ゆずって……どこぞの馬の骨が平家に反旗を翻し、考えもできぬような奇跡が起こって平家を滅ぼすとしよう。だが、それでも俺は平家につく。平太兄貴の青春が源氏のなかにあったように、俺の青春は平家のなかにあった。

 俺は花の都で勇名を馳せたんだ。あおいと夕顔の相撲すもう節会せちえで、都人みやこびとの賞賛を勝ちとったんだ。

 三郎兄貴も同じ気持ちだろう。先祖がどうあれ、平太兄貴や次郎兄貴がどうあれ、三郎兄貴と俺は、平家とともに輝かしい人生を歩んできた。今さら平家と道を分かてば、俺は俺でなくなる」


 五郎が言うのは、もっともな話であった。

 互いに兄弟どうし、相手が頑固者であることはよくわかっている。

 結論はゆらぐべくもなかった。


「五郎」

「なんぞッ」

 ムキになって突っかかってくる五郎に、景義は静かに言った。

「酒を持って来い。いっぱいやろう」


 それからふたりは酒を酌み交わし、もはや源平の話はしなかった。

 ただ昔の想い出話を面白おかしく語りあうのみであった。





――ときは、今にめぐる。



 七基の石塔と向いあい、景義は瞑目している。


……兄弟が道をたがうは、武者の世の習いじゃ……

……坂東武者ならば、親兄弟の屍を踏みこえて戦うものじゃ……


 いつかどこかで聞いたそれらの言葉が、景義の耳の奥に、暗く、殺伐とこだました。

 背後に控える葛羅丸にむかってか、それとも独り言なのか、景義はまぶたをなかば閉ざし、もの思いに沈みながら、鬱々と呟いた。


「……わしと次郎は仲がよかった。四郎ははやくに夭逝した。三郎と五郎はかたきとなった。わしら兄弟おととい五人は、それぞれ違う母のもとに生まれた。腹違いとはいえ、兄弟という絆を持って生まれたからには、ともに笑い、ともに泣きたかった。荒波渦巻くような寄る辺もない世のなかだからこそ、生来の絆のもとにしっかりと固く手を結び、ともに世のなかを戦ってゆきたかった。今更、言うてもせんかたない、ただの愚痴にすぎぬ……」


 葛羅丸は無論、なにも答えない。

 ただ大きな瞳に情けふかい心を映し、悲しそうに目を細めた。

 景義は今一度、目を閉ざした。

(三郎景親よ、五郎景久よ……。いまはただもう、どうかゆっくりと、やすらかに……)


 初夏の風が、林の枝々をざわめかせながら涼やかに吹きすぎると、景義は背後をふりかえった。


「葛羅丸、そなた、ここで墓守はかもりをせよ」

 意外な言葉を聞き、首をかしげた葛羅丸に、景義は説明した。

「有常を、ふところ島に移す許可をいただいた。そなたも、こちらに移るのじゃ。そしてこれらの墓の世話をしながら、有常と千鶴、ふたりの弓馬術の稽古を助けてやっておくれ」


 ……仰せのまま……そう言うかのように葛羅丸は、のっそりと頭をさげた。

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