第90話 平家、凋落のこと




   五



 治承七年、七月ふみづき――


 平家の大軍を破り勢いに乗った源義仲は、北陸道を攻めのぼり、一挙に都へと快進撃した。

 平家一門は都を捨て、西国に落ちていった。


 入れ替わるようにして都入りした義仲軍は、都の内外で略奪を繰り返し、朝廷や京の人々から疎まれる存在となった。

 いよいよここに、頼朝が進めていた調略が効を奏しはじめた。



 十月かんなづき――

 朝廷と鎌倉は密約を交わした。

 朝廷は、頼朝の東国支配を公認する、その代わり、頼朝は義仲と平家とを討滅する。

 頼朝はついに念願の復位を果たした。

 これで正式に、流人ではなくなったのである。


 急遽、義仲追討の大軍団が編成され、鎌倉から都にむけて進軍した。

 この大軍を指揮するのは頼朝のふたりの弟、範頼のりより義経よしつねである。


 景義は鎌倉から後方支援にあたり、一族から梶原景時、香川五郎景高を派遣、従軍させた。

 義弟の藤沢清近もまた、諏訪大社の意志を受け、これに従軍した。


 進撃を開始した鎌倉軍は、またたくまに都に駐留する義仲を討ち滅ぼすや、更に西進し、摂津国にある平家の拠点、一の谷の要害を撃滅した。


 続々と伝わる勝報に、鎌倉は湧きかえった。

 人々は、鶴岡八幡宮の蓮池の紅白を源平の旗の色に見たて、白蓮の池を「源氏池」、紅蓮の池を「平家池」と名づけた。

 そして、源氏池には島が三つあるので「三」すなわち「産」に通ずる、平家池には島が四つあるので「四」すなわち「死」に通ずるなどと言って、騒ぎたてた。


 ……もっとも、鎌倉一族も三浦も北条も中村も、先祖は「平家」であるから、かれらはこの噂を聞いて、まったくおもしろい気はしなかったろう。



 西国への進軍の差配、朝廷との折衝、東国の統治、こうした幕府の忙しい情勢のなかで、頼朝と於政は手をとりあって鎌倉を経営した。


 時政の教育がよかったのか、それとも生まれつきの才覚なのか、於政の家内経営の手腕はすこぶる見事なものであったから、頼朝は安心して家中を任せ、政治に専念することができた。


 於政もまた、頼朝とともに幕府を切り盛りすることに喜びを感じていた。

 自分と頼朝と幕府、この三者の結束のなかに邪魔者が入ってさえこなければ、幸せであった。



 翌、元暦二年、ついに鎌倉軍は平家を壇ノ浦に追い詰め、これを完全に攻め滅ぼした。

(あの強勢極めた平家が、まさかこれほどの短期間で滅びるとは――)


 日本全国の人々が驚きに打たれた。

 数年前までの平家の栄華を知る者であればあるほど、その驚きは大きかった。

 景義でさえ――旗上げ前に、すでに平家の衰退を口に唱えつづけてきたかれであってさえ――驚愕の程ははなはだしく、運命の浮沈の怖ろしさに、肝がふるえた。


 頼朝は平家討滅の功により、朝廷から従二位じゅにいという非常に高い官位を授けられた。

 父義朝の最高官位が従四位下であったから、父の位をはるかに超えたのである。

 ……のみならず、先祖代々を見渡しても、かれの血筋にこれほどの官位が与えられた例はなかった。


 さらに吉報はつづいた。

 於政の懐妊が告げられたのである。

 「源氏は産、平家は死」……鎌倉の人々は源平池の願かけが叶ったと、いよいよもって湧きかえった。

 やがて文治二年二月きさらぎ、頼朝に新たな子が誕生した。



「生まれたっ、生まれたぞッ」

 悪四郎が息せき切って、景義の屋敷に飛び込んできた。

「おお、生まれましたか。武衛さまのお子が? 早うござりましたなァ、まさに春爛漫じゃ。男じゃろか? 女じゃろか?」

「男じゃ」

「めでたいのう」


 景義は満面に笑み皺をあふれさせ、祝杯の用意をさせようと手を叩いたが、悪四郎の様子がどうもおかしい。

 ……苦い顔をして、黙りこくっている。

「いかがなすった。お加減でも悪いのか?」

「たいへんなことになった。また大戦おおいくさじゃ」

「なんですと?」


 不審げに眉根を寄せた景義に、悪四郎は顔を近づけ、しわがれ声をひそめた。

「生まれたのは、……別の腹よ」

「……別の腹?」

 思わず景義も声をひそめた。

 悪四郎は生唾を飲み込み、ようやく事の真相を告げた。


「御台所様ではなく、侍女が、武衛様の子を出産したのよ」

「なんと、そのこと、御台所様には……」

「すでに露見した。……狂乱の態よ」

 ふたりの老翁は互いに目をそらし、ため息をつきあった。



 於政の怒りを恐れた侍女は、生まれた子を胸に抱いて鎌倉を離れた。

 その男子はやがて七歳で出家し、僧となった。


 同じこの年、於政が生んだ子は、女の子であった。

 三幡さんまん姫と名づけられた。

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