第90話 平家、凋落のこと
五
治承七年、
平家の大軍を破り勢いに乗った源義仲は、北陸道を攻めのぼり、一挙に都へと快進撃した。
平家一門は都を捨て、西国に落ちていった。
入れ替わるようにして都入りした義仲軍は、都の内外で略奪を繰り返し、朝廷や京の人々から疎まれる存在となった。
いよいよここに、頼朝が進めていた調略が効を奏しはじめた。
朝廷と鎌倉は密約を交わした。
朝廷は、頼朝の東国支配を公認する、その代わり、頼朝は義仲と平家とを討滅する。
頼朝はついに念願の復位を果たした。
これで正式に、流人ではなくなったのである。
急遽、義仲追討の大軍団が編成され、鎌倉から都にむけて進軍した。
この大軍を指揮するのは頼朝のふたりの弟、
景義は鎌倉から後方支援にあたり、一族から梶原景時、香川五郎景高を派遣、従軍させた。
義弟の藤沢清近もまた、諏訪大社の意志を受け、これに従軍した。
進撃を開始した鎌倉軍は、またたくまに都に駐留する義仲を討ち滅ぼすや、更に西進し、摂津国にある平家の拠点、一の谷の要害を撃滅した。
続々と伝わる勝報に、鎌倉は湧きかえった。
人々は、鶴岡八幡宮の蓮池の紅白を源平の旗の色に見たて、白蓮の池を「源氏池」、紅蓮の池を「平家池」と名づけた。
そして、源氏池には島が三つあるので「三」すなわち「産」に通ずる、平家池には島が四つあるので「四」すなわち「死」に通ずるなどと言って、騒ぎたてた。
……もっとも、鎌倉一族も三浦も北条も中村も、先祖は「平家」であるから、かれらはこの噂を聞いて、まったくおもしろい気はしなかったろう。
西国への進軍の差配、朝廷との折衝、東国の統治、こうした幕府の忙しい情勢のなかで、頼朝と於政は手をとりあって鎌倉を経営した。
時政の教育がよかったのか、それとも生まれつきの才覚なのか、於政の家内経営の手腕はすこぶる見事なものであったから、頼朝は安心して家中を任せ、政治に専念することができた。
於政もまた、頼朝とともに幕府を切り盛りすることに喜びを感じていた。
自分と頼朝と幕府、この三者の結束のなかに邪魔者が入ってさえこなければ、幸せであった。
翌、元暦二年、ついに鎌倉軍は平家を壇ノ浦に追い詰め、これを完全に攻め滅ぼした。
(あの強勢極めた平家が、まさかこれほどの短期間で滅びるとは――)
日本全国の人々が驚きに打たれた。
数年前までの平家の栄華を知る者であればあるほど、その驚きは大きかった。
景義でさえ――旗上げ前に、すでに平家の衰退を口に唱えつづけてきたかれであってさえ――驚愕の程ははなはだしく、運命の浮沈の怖ろしさに、肝がふるえた。
頼朝は平家討滅の功により、朝廷から
父義朝の最高官位が従四位下であったから、父の位をはるかに超えたのである。
……のみならず、先祖代々を見渡しても、かれの血筋にこれほどの官位が与えられた例はなかった。
さらに吉報はつづいた。
於政の懐妊が告げられたのである。
「源氏は産、平家は死」……鎌倉の人々は源平池の願かけが叶ったと、いよいよもって湧きかえった。
やがて文治二年
「生まれたっ、生まれたぞッ」
悪四郎が息せき切って、景義の屋敷に飛び込んできた。
「おお、生まれましたか。武衛さまのお子が? 早うござりましたなァ、まさに春爛漫じゃ。男じゃろか? 女じゃろか?」
「男じゃ」
「めでたいのう」
景義は満面に笑み皺をあふれさせ、祝杯の用意をさせようと手を叩いたが、悪四郎の様子がどうもおかしい。
……苦い顔をして、黙りこくっている。
「いかがなすった。お加減でも悪いのか?」
「たいへんなことになった。また
「なんですと?」
不審げに眉根を寄せた景義に、悪四郎は顔を近づけ、しわがれ声をひそめた。
「生まれたのは、……別の腹よ」
「……別の腹?」
思わず景義も声をひそめた。
悪四郎は生唾を飲み込み、ようやく事の真相を告げた。
「御台所様ではなく、侍女が、武衛様の子を出産したのよ」
「なんと、そのこと、御台所様には……」
「すでに露見した。……狂乱の態よ」
ふたりの老翁は互いに目をそらし、ため息をつきあった。
於政の怒りを恐れた侍女は、生まれた子を胸に抱いて鎌倉を離れた。
その男子はやがて七歳で出家し、僧となった。
同じこの年、於政が生んだ子は、女の子であった。
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