第78話 浄蓮、経をあげること

 青々とした相模湾の見おろせる、一番見晴らしのよい場所を見つけると、浄蓮は香を焚き、亡くなった者たちのために経をあげた。


 そのあいだ、景廉は仁王立ちになって、じっと目をつむっていた。


 やがてふたりは、もと来た急斜面の山道を辿って、馬をつないだ黒松のところまで戻ってきた。

「実は、大庭平太殿からお誘いを受けております」

 と、浄蓮が、言った。

「大庭殿? ふところ島殿か。知り合いだったのか?」

「ええ、昔から、伊豆山で何度か……」

「それで?」


「松田領は先の領主、波多野義常殿が亡くなり、大庭殿がその領地を得られました。

 ――ところがその後、鎌倉殿の叔父上、みなもとの十郎行家ゆきいえ殿が多くの兵を引き連れて勝手に松田御亭ごていに入り、あたりの農村で乱暴を働いたり、好き勝手にふるまっておりました。その十郎殿も、今は越後に去りました。

 大庭殿は、『いまだ落ち着かぬ領民の心を安心させるため、松田の地で仏の教えを広めてほしい』……そういって、私に要請があったのです。

 二品様は松田御亭を、都から訪れる貴人の宿泊所に使いたいと考えておいでのようです。そのような折には、私に都人の話相手にもなってほしいとか……」


「受けるのか」

「ええ、そのつもりです。しばらく松田に住むことになりそうです」

「そうか」


 景廉は弟と違って、口は不器用なほうである。なにか言おうとして、言葉を見失った。

「達者でくらせ」

「兄上も」

「またいつか……」

「え?」

「……またいつか、お前の、わけのわからん仏の話を聞かせてくれ」


 浄蓮は、くすりと笑った。

「ええ、いつでも」


 双子の兄弟は、それぞれの鞍にうちまたがった。

 景廉の馬は勇ましい勢いで、黒土を跳ねあげながら北へ、鎌倉へ。

 浄蓮の馬はかろやかな鈴の音を響かせながら、南へ、伊豆山権現へ。


 希望も不安も渦巻く将来への思いを胸に秘め、兄弟はそれぞれの道へと戻っていった。

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