第七章 紅の蓮、白の蓮

第77話 景廉、石橋山に戻ること

第二部  新 都 鎌 倉 編


第七章  紅 の はちす 、 白 の 蓮




   一



 海風吹きすさぶ石橋山の斜面に、乗馬のふたりづれの姿があった。


 ひとりは狩装束の直垂ひたたれ姿、ほむらのような紅の射籠手いごてをつけ、綾藺笠あやいがさをかぶり、弓矢を負った武人である。


 もうひとりは僧侶で、墨の衣に袈裟けさがけ姿、腰にくくりつけた白鈴が時折、清らかな音色を響かせている。


 ひとところにそれぞれの馬をつなぐと、ふたりは連れ立って、あたりの様子をひとつひとつ確かめながら歩いた。


 白い海鳥の群れが、戯れあいながら上空を旋回していた。

 空は晴れ渡り、海は青々と広がり、そこがかつて生死を賭けた戦場であるとは、教えられなければわからなかったろう。


 綾藺笠の武人――加藤景廉かげかどはしゃがみこんで、足元の乾いた土のくぼみを、指でなぞった。

 それは戦で死んだ、誰かの足跡であるのかもしれなかった。


「兄上が私を連れてきたかった場所というのは、この場所なのですね」

 僧侶――浄蓮じょうれんがたずねた。

 景廉の双子の弟である。


「そうだ。かつてここで、凄まじい戦いが行われた。味方は三百、敵はその十倍、三千騎であった」

「想像を絶します……」

 浄蓮はその時の情景を思い描こうと、眉間に厳しく皺を寄せ、あたりを見回した。


「その戦で、優れたつわものたちが、たくさん死んだ。真田与一殿、北条三郎殿をはじめ、みな、誰からも尊敬される、かけがえのない人々だった。その人たちが死んで、俺のような、つまらぬ猪武者が生き残った――俺にはわからない。なぜあの人たちは死に、俺が生き延びたのか」

「兄上……」

 浄蓮は、情け深いまなざしで、兄を見つめた。


「人にはそれぞれ、天命というものがあります。人はみな、おのおのにちょうどいいだけの年数を生きるのです。それが長かろうが短かろうが、どちらが偉いというものではありません。おのおのが天から与えられた命を、全うして生きるのです」

「天は、不公平だな」


「いいえ。そうではありません。人生の軽重けいちょうは年数ではありません。人品に優れているからといって、長生きするわけでも、早死にするわけでもありません。

 人生の軽重は、自分のなかにある『仏性ぶっしょう』をいかに実現できるかにあります。それが実現できた者ほど、満たされた人生を送ることができ、同時に、まわりのものをも満たすことができるのです」


「仏性?」

「人はみな、胸の奥に、日輪のように輝く光をもっています。それが仏性です」

「おまえの話は難しすぎる」

「すみません……」


 浄蓮は、教義的になりがちな自分をすこし反省し、言葉を変えた。

「兄上はけっして、つまらぬ猪武者などではありませぬよ。私は知っています。兄上のように素直でおやさしいお方は、おられませぬ」


 弟のなごやかな言葉をさえぎるようにして、景廉は首をふった。

「お前は俺を、見誤っている。俺はお前が言うような男ではない」

 景廉は凄みを秘めたまなざしを、断崖へそむけた。

「俺は修羅の道を生きつづける。戦場で、俺の命を試しつづける。俺は俺のやり方で、光を探す。いつか最後には、俺も仏に会いにいく」


「兄上が仏に?」

 浄蓮は驚いて、目を見張った。

 すると景廉は、ぶっきらぼうに言い放った。

「いつか俺は、仏を、ぶん殴りに行くのだ」


 ……兄らしい言葉に、浄蓮は、ふっと笑ってしまった。

 かれは兄の言葉の意味を考えながら、やがて深く、大きく、うなずいた。

 仏のもとに至る道は、一本ではない。

 人の数だけ、無数にあるのだ。


 兄は、仏を殴りに、仏のもとを訪れる。

 そのとき、御仏みほとけは、兄にとって、まわりの人々にとって、一番すぐれた対応をしてくださるだろう――

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