第75話 景義、少年たちに伝えること

「よいか、みなよく聞け。わしは左脚が動かなくなった時、人生が終わった――と絶望的な考えに陥った。自由に歩き回れぬ、馬にも乗れぬ、泳ぐこともできぬ……自分がなんともつまらない者になってしまったように感じ、長いこと屋敷に引きこもって嘆き悲しんだ。


 だがある時、気がついた。つわものとは、体の満足不満足に左右されるものではない。心強き者をば、人はつわものと呼ぶのじゃ」


 景義は、熱意のこもったその目で、確かめるように、ひとりひとりのまなこをのぞきこんだ。


「わしは過去の自分を捨て、赤ん坊に戻って、もう一度、一からやり直すことにした。まずは歩くことからじゃ。毎日毎日、多くの時を、歩く稽古に費やした。次に馬じゃ。そなたたちも苦労したであろう。わしも最初は人の力を頼って馬に乗せてもらったが、次第に自分ひとりで乗ることのできる方法を工夫し、コツを掴んだ。それでなんとか登れるようにはなった。


 だがたとえ馬の背に登ることができたとしても、息を合わせて馬を走らせるのが、一大事じゃ。わしは何度となく馬から転げ落ち、何度も怪我を負ったよ。それでもわしは馬を乗りこなしたい一心で、歯を食いしばってがんばった。


 それと同時に、職人たちと一緒になって馬具を改良し、工夫に工夫を重ねた。そして左脚をつかわぬ、まったく新しいやり方で、自分の馬を調教した。わし独自のやり方を、馬に覚えさせたのじゃ。……この赤鹿毛あかかげは実に賢い馬でのう。わしの使う特殊な合図をよく覚えてくれたよ」


 景義は愛馬の鼻づらを撫でてやり、特製の馬具をひとつひとつ、少年たちに披露した。


「……馬に乗れるようになっても、まだ終わりではなかった。馬の次は、騎射うまゆみじゃ。手綱から両手を放して、弓を射るのじゃ。……なんという難しさ。これらのすべてのことができるようになるまで、実に、二十年もの時がかかった。


 ……よいか、今わしが片脚で歩けるのも、馬に乗れるのも、馴れたからできるようになったのではない。『必ずできる』と自分を信じ、たゆまず努力し、工夫を重ね、心を澄まして神仏に祈ったからこそ、できるようになったのじゃ。

 『歩きたい』、『馬に乗りたい』、なによりも、せっかくこうしてこの世に命を授かったんじゃもの、『いきいきと生きたい』――そう強く願ったからこそじゃ」

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