第74話 景義、徒競走を企てること




   三



 野辺にぎっしりとはびこったくずの葉が、秋風に煽られるたび、白くひるがえり、はためいている。


 景義の顔には幾筋もの細かな皺が刻まれ、眼窩がんかは老いにくぼんでいる。

 その顔つきは精悍ながらも、体全体に、どこか陽気な体臭を漂わせている。


『わたしが言うまでもありません』

 ……かつて病床でかけられた毘沙璃の言葉を、かれは思い出していた。

『あなたは自分で自分のやり残している仕事がよくわかっているはず。それをおやりなさい』


 かれの前には、三人の少年が弓を握って並んでいる。

 年長の、有常ありつね

 すこし年下の景兼かげかぬ

 そして一番幼い、千鶴せんづる丸。


 ……みながそろうと、景義は、ニヤリ、いたずら小僧に戻ったような笑みを浮かべた。

「どれ、今日はみなで徒競走かけくらべをしよう」

 少年たちの目が輝いた。

「ただし、ただの徒競争ではないぞ。みな弓を置いて、腰をおろすがよい」


 景義は有常の左脚をすねももとがぴったりつくほど曲げさせ、はかまの上から細縄できつく縛りあげた。

 他のふたりにも、次々と同じことをした。

 そして、葛羅丸が担いで運んできた杖のたばから、三人に好きな杖を選ばせた。


 たちまち片脚立ちの、ちいさな景義が三人、出来あがった。

 少年たちは頼りなくよろけつつ、杖にすがりついている。

 その滑稽な動きに、景義は思わずふきだした。


「みな、よい格好じゃ。わしが為朝公の矢で左膝を射られた話はしたな。それ以来、わしの左脚は役立たずになってしもうた。今のお前たちの状態と同じじゃよ。どうじゃな、有常」

「これでは動けませぬ。反対がわの脚に、どんどん疲れが溜まってくるようで……」

 有常は困惑の表情である。

 年下のふたりは、新しい遊びが始まったと思ってか、ふざけ顔ではしゃぎ合っている。


 景義は白い眉尻をさげて、にっこりと笑んだ。

「よし、みな準備はよいな。それでは徒競争じゃ。わしも含めて四人でな。あちらの柵に、馬がつないである。自分の馬に一番早くたどりついた者が勝ちじゃ。褒美をとらせようぞ」


 「それっ」と、景義が号令を発した。

 少年たちは必死に杖をいだが、馴れない動きのためにふらついたり、けつまづいたり、尻から地面に転がったり……。

 後から出発した景義だけが、すいすいと少年たちを追い越してゆく。

「どうした、どうした」かれは笑いながら、真っ先に自分の馬まで辿りついた。


 少年たちのなかでは、有常が一番に辿りついた。

 意外とはしこいのは、千鶴である。

 一番遅かった景兼がようやく転がりつくまで、ずいぶんと時がかかった。


 肩で息をしながら地面にへたりこんだ少年たちに、景義は、ねぎらいの言葉をかけた。

「みな、ご苦労であった。わしが一番じゃったな。よし、次は馬での競争じゃぞ」 

「このままの脚にてで、ござりますか?」

 悲鳴をあげるようにして有常が問うと、景義は笑顔でうなずいた。

「無論じゃ」


 少年たちはそれぞれ、自分の馬に這いあがろうと必死になったが、いかんせん、片脚では無理な話であった。


 景義は萎え縮んだ左脚を、特製のあぶみに収めると、それを軸にして赤鹿毛に飛び乗った。

 そして特殊な結びの紐をつかい、左膝を鞍に固定した。

 この紐は、落馬や転倒のような大きな衝撃を受けると、自然に鞍から外れるようになっている。

 景義と馬具職人たちの、工夫のひとつである。


「さあ、あちらに生えている、大きなつきの木まで競争じゃ。者ども遅れるでないぞ」

 馬上から大声を張りあげるや、景義は少年たちを置き去りに、ひとり、走り去ってしまった。


 さてさて、どうやって片脚だけで自分の体を持ちあげればいいのか……少年たちが途方にくれて馬の背にすがりついているところへ、景義が勢いよく駆け戻ってきた。

――見れば、その手には重籐の大弓が握られている。


 驚く少年たちを尻目に、馬上からひとすじッと矢が放たれた。

 狙い違わず、矢は幹のどまんなかに深く突き刺さった。


 景義は馬を巧みに操りながら、難しげな様子もなく、地面におり立つのだった。


「どうじゃ、有常。わしのように、やってみよ」

「できませぬ」

「なぜできぬ」

「それは……」

 ぐっとつまりながら、有常は考えた。

「……大おじ上は、片脚でおられるのは長年のことで、馴れておいででござります。しかし私たちはこのようなことには馴れておりませぬゆえ……」


「それは違うぞ、有常」

 景義は若者の言葉を、やわらかに制した。

 そして、少年たちの目をかわるがわる見つめながら、語りかけた。

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