第73話 景義、団欒を愉しむこと




 ――ときは、今にめぐる。



「宝草」

 囲炉裏のある北の間で、景義は愛妻の名を呼んだ。


 灯台の端で、妻は縫い物の手を止め、やさしげに目元を笑ませた。

 もともとすこし、目尻が下がり気味で、愛嬌がある。

 宝草も早や四十路になるが、かつての自然児のつやめきを失わず、年齢よりも若く見えた。


 酔いまかせに、景義は意地悪く尋ねた。

「もしわしが新しいめとったら、そなたはどうする」

「どうもいたしませぬ」

 と、宝草は表情も変えなかった。

「いつものように炊事をし、糸をり、布を織り、きぬたを打ちまする」


「嫉妬せぬのか」

「嫉妬などと、恐れ多い。私はただただ殿についてゆくのみにござりますれば」

「そうか……」

 濁り酒の杯をくゆらせている景義に、宝草は、やはり気になるのか、ぽつりと尋ねた。

「新しい妻を?」


 景義は声を立てて笑った。

たわぶれじゃ。今更この歳で新しい妻など……」

「大庭の大殿さまは、だいぶお年を召してから、お子を儲けられましたけれど……」

 ――末妹の、気和飛けわい姫のことである。

「ハッ、わしは父上のようにはなりたくない」


「まさか、毘沙璃さまでは……」

 そぶりにも見せたことはないはずなのに、時折、鋭いことを言う。

「……バッ、馬鹿を申せ。あのお方は生涯不犯しょうがいふぼんを誓われた、尊いお方なのじゃぞ。た、ただの巫女ではない」

 激している自分と、妻の冷静な視線との落差で、急に恥ずかしくなった景義は、神妙な面持ちで謝った。


「すまぬ、そなたの気持ちも考えず、酔うて愚かなことを聞いた」

「まあ、お気になさりますな」

藪蛇やぶへびじゃった……)

 と、景義は、あからさまに話を変えた。


「新しい衣を仕立てておるのかの?」

「ええ、贈答用の女ものを」

「そなたは、ほんに、衣を仕立てる天賦の才がある。そなたを迎えた時には、こんな意外の才能が眠っていようとは思わなかった。まさにそなたは、宝の草、わしの誇りじゃ。女たちを使って、どんどん造るがよい。余った衣は市に出せば、わが家も潤う」


「ありがとうございます」

 と、宝草は嬉しそうに微笑んだ。

「草が糸となり、糸は布に、布は衣に、次々と姿を変えます。殿方には直垂ひたたれ水干すいかん。姫方にはうちきかさね。いろいろな形があり、織り方があり、色もさまざま。それを思えば、衣というのは、まるで花のようです。一粒のタネが、芽を出し、葉を広げ、花を咲かせるのに似ております。……楽しくって、ついつい夢中になってしまいます」

 めずらしく饒舌に、歌うように語る妻の言葉を、景義はうなずきながら愉快げに聞いていた。


「どれ、一杯、どうじゃ?」

「なれば一杯だけ……」

 景義は杯を手渡し、静かに酒を注いだ。


「そなたとは長い年月、ともに楽しみ、ともに苦しんできた。子を亡くした時には、ふたりで一緒に悲しみを乗り越えたのう……景兼かげかぬも、娘たちも元気に明るく育っておる」

「……」

 夫婦はふたり、似たような顔をして、まきを赤々ととろけさす囲炉裏の熾火おきびを見つめた。


「わしもこれまで、幾人かの妻をもった。だが、今はそなたひとりじゃ。わしは杖がなければ歩けぬ。わしはそなたのことを、誰ひとりとってかわることのできぬ、わしの大切な杖じゃと思うておる。わしが歩くときには、杖は二本はいらぬ」

「まあ、酔っ払って……」

「酔うてはおらぬ」

「お顔の色が、赤鬼のようです」

 味わうように杯を傾ける妻の姿を、景義は喜びをもって眺めた。


 宝草は濁り酒に唇をつけながら、内心、

(こんなにわたしをもちあげて……まさか殿は、本当に新しい妻を娶る気かしら……)

 などと、そんなことを考えていたが、酔っ払った赤鬼殿は知るよしもない。

 もちろん、景義には、新しい妻を娶る気はない。

 単なる、戯れであった。



 そんなところへ雑仕女が、「えらく泣くものですから……」と、幼児を抱いて現れた。

 ぐずついている童は、数え二歳ふたつばかり。

 娘の由比ゆい姫である。

 まだ言葉も喋れない。


「よしよし、おいで」

 景義が膝に抱きとれば、すかさず幼い手が、父の持つ土器かわらけに伸びた。

「父と一緒におささを飲むか? おうおう、姫様にはまだ早すぎるのう」

 景義は笑いながら、幼い手から杯を遠ざけつつ、自分で飲み干した。


 ――挙兵直前、宝草と永の別れを覚悟して重ねた契りが実を結び、玉のように美しい赤子となって生まれてくれた。

「この子はおそらく、わしの最後の子となるじゃろう……大切な大切な、わしの宝物じゃ」


 父の膝を離れた姫は、先ほどまで泣いていたことなどけろりと忘れて、今度は何を思うやら、母のかたわらに置いてあったきぬたきねをなぶりはじめた。

 重たい道具を両腕に抱え、持ちあげたかと思いきや、布の上に、どん、と落とした。


「なんと。姫様はころもを打ちなさるか?」

 なんともかわいらしい姫の仕草に、家内はみな笑い転げた。

 幼いながら、みなが喜ぶのが分かるのか、姫はまたもや砧を持ちあげ、どん、と落とした。

 落とすたび、家人の笑いが巻き起る。

 姫はみなの顔を見て、きゃっきゃっと満足げに笑うのだった。

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