第64話 景親、兄を救うこと

 今は昔、


 保元合戦のさなか――



 為朝の矢に倒れた兄を馬に乗せ、戦線を離脱した三郎景親は、たまたま目についた襤褸ぼろ小屋に景義を運び入れた。


 戸の外には、すでに夜明けをきざす、淡い光が広がっている。


 薄闇のなか、景親は米俵でも運ぶように兄の体を肩からおろすと、たちまち小屋を出て行こうとする。

 景義はハッと気づき、あわてて弟を呼びとめた。

「まてや、景親」


 景親がふり返ると、兄は必死の形相であった。

 粉砕された左膝の激痛に表情はゆがみ、鼻の下には鼻血が垂れて凝り固まっている。

 興奮状態がだんだんと冷めてくるにつれ、痛みのほうは百倍千倍、底知れぬほどに増してくるのであろう。

 景義は歯を食いしばり、あえぎあえぎ訴えた。


「もしここに敵が襲って来たならば、この脚でどうしろというのじゃ。脚が無事ならば立派に戦っても見せようが、今は力が抜けて動けぬ。名もないくだらぬ奴輩やつばらに首をとられようものなら、家の恥ともなろうぞ。

 幸い頭殿こうのとのはわれらが働きを、しかとお見届けくだされたであろうから、たとえ戻らぬとも臆病などとはけして思われぬ。どうせ助けたのならば、最後まで助けぬかッ」


 絶対絶命ともなれば、普段以上に景義の舌もよく回る。

 三郎はもの思いする表情で、兄の顔をじっと見つめていたが、やがてこう言った。

「毘沙璃とは、共寝ともねしたことは、ござりませぬ」


 ――意外の言葉に、景義は傷の痛みも忘れ、唖然とした。

「こんな時に、毘沙璃の話など――」


「いえ、兄上、この際です。よくお聞きください」

 景親は、兄の言葉を遮って言った。

「かつて弟の私が大庭の嫡男に選ばれたことにしても、父上のお定めになられたこと。毘沙璃のことも、嫡男のことも、私になんのとががありましょうや。それらのことで兄上から深い恨みを受けるのは、私にはまったく心外です。

 日頃から兄上は私と顔をお合わせになれば、嫌悪感を示されて、敵意をむき出しになされる。昔はこんなではなかった……」


 景義はおし黙り、景親は弁じた。

「けれど今回のことで、いざという時には、私こそが兄上をお助けできる者だということが、よくおわかりになられたでしょう。さすれば、この景親に対する兄上の態度を改めていただきたい。いかがです?」

「……まさしく、そなたの言う通り……」


 かつてないほど弱気になった景義は、脱力し、観念して呻いた。

「和殿が兄弟の絆を裏切らず、わが命を助けてくれたこと、身にしみて感じ入っておる。これまでのわが行ないは、つわものとして恥ずべき行ないじゃった。……どうか許してくれ。以後、和殿に対する態度を改め、何事もそなたの言葉に従おう……」


 『和殿』という呼びかけに、一抹の敬意がこめられている。

 力なく頭をうなだれた兄に、弟は無言で手を差し延べた。


 戸惑いながら景義がその手を握ると、景親は力強く兄を抱き起こし、肩を貸して、小屋の外へと運び出した。


 景親は都の東、山科やましなにある義朝の別荘にまで兄を運びこむと、とんぼ帰りに戦場に舞い戻って行った。

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