第63話 景義、清近と狩りに出ること




   五



 あくる日、景義と清近は連れ立って、大庭御厨に広がる『大庭野おおばの』へ、狩りに出かけた。


 大庭野は、草々のたなびく原野がどこまでもつづく、走獣、野鳥の天下である。


 よく晴れた日で、西の空には見事なばかりの、富士山の蒼い影が浮かんでいる。

 山頂に残る雪が、勢いよく筆を走らせたように、幾筋もの白いしわを描いている。

 頂上からは、噴煙が立ち昇っている。


 景義はもっぱら、清近の射技を見守った。

 あいもかわらず、一矢一矢が正確で力強い。

 体の切れが素晴らしく、残心も美しい。

 その腕前は、有象無象の武者連中とは比べ物にならぬほど、はるかに抜きんでていた。


(実に気持ちのよい弓を射る)

 景義は胸がすくような心地を覚えたが、この感覚は熟練の弓矢取りでなければ、わからぬものであろう。


 鹿皮の行縢むかばき穿いた狩装束のふたりは、小高い丘へと馬を駆けさせた。

 綾藺笠あやいがさを押しあげ、眼下の広い原野を見渡すと、南には相模湾の青いきらめきが見えた。


神次しんじ殿」

 急に改まった態度で、景義が呼びかけた。

「和殿に頼みがある。和殿の人物を信用するからこそ打ち明ける、内密の頼みじゃ」

「承りましょう」

 と、清近も真摯な面持ちになってうなずいた。


「和殿に、弓矢の稽古をつけてもらいたい者たちがいる」

 馬をおりた景義は、雑色たちのなかから、ふたりの少年を呼び寄せて紹介した。

「年長の者は、波多野有常」

 少年は頭をさげた。

「わしの大甥じゃ。この者、先の治承合戦にて、父親が武衛様に反目し、滅びた。その罪に連座して、今は罪人として、わしの預かりとなっておる。いまひとりは……」


 もうひとりは、長い髪を後ろで結んだ童子である。

 あどけない顔を精一杯まじめにして、身を固くしている。

「この者、河村の千鶴せんづる丸という。同じく先の合戦にて斬罪となった、河村義秀の弟じゃ。身を隠しておったのを、わしが保護しておる。まだ六歳であるが、もの習いを始めるにはちょうどよい年ごろじゃ」


「この者たちに弓矢を教えよと」

「うむ。手すきの時だけでよい。見てやってほしい」


 景義は、清近の目をまっすぐに見つめた。


「わしはこれらの子たちを、立派な御家人に……いや、立派なつわものに育ててやりたいと思うておる。確かにこの者らの親兄弟は、武衛様に反目した。しかし幼い者になんの罪があろうか。この者らにとっては、世に隠れて日陰で一生を送るのは、哀れでつらいことじゃろう。

 そしてまた鎌倉にとっては、有為な人材となりうるこの者たちを、このまま埋もれさせてしまうのは、もったいない。ためにならぬ。

 この年少の者たちを立派なつわものに育てあげることこそ、互いにとって最良の道であると、わしは固く信じておる。その道筋をつけてやるのが、わしの使命じゃ、とな」

「ふむ……」


 謀反人むほんにんの子弟を集めて武芸を仕込んでいると世間に知れれば、みずからが謀反の疑いさえかけられかねない。

 小心の者ならば恐れおののき、この誘いを断ったであろう。

 しかし清近という豪胆な人物は、そういった目先の打算を好まなかった。

 それよりも、義兄のこころざしの高さを疑わず、素直に感銘を受けた。

 ……かれもまた、冒険的理想家だったのである。


「心得ました。ぜひ、やらせていただきたい」

 清近の力強い返事を聞くと、景義は安心し、晴ればれと笑んだ。

「しかしながら、私の稽古は厳しいですぞ」

 清近は、まじめな顔で釘を刺した。


「うむ、望むところじゃ。よろしくお頼み申す」

 景義は少年たちと一緒になって、頭をさげた。


「それから、もうひとり……」

 と、景義は、覆面の大男を呼び寄せた。

葛羅丸かずらまるという。この男――わしの郎党であるが、たいへん弓の筋がよい。わしの息子にも等しい男じゃ。お願いできるかな」


「わかり申した」

 引き受けた清近に、葛羅丸は容儀正しく、頭を下げ、一礼した。

 そのたいさばきを見て、清近は、いぶかしげに目を細めた。

(……む? 見た目よりも、なにか……動きに品があるような……)

 清近は深く詮索しなかったが、葛羅丸のきびきびした行動に、自分と同じ武人の、同じ匂いを感じた。


 幼い千鶴丸は……まさかそこにいる葛羅丸が、処刑された自分の兄であろうとは、つゆほども気づいていない。

 景義と葛羅丸も、それを千鶴に教える気はなかった。

 ――このことは、肉親にすら明かすことができぬ、秘中の秘であった。

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