第55話 国府、遷府のこと

 沈みゆく夕陽を背に、輿こしに揺られ、供まわりの者どもをぞろぞろと引き連れ、くたびれ切った様子で帰ってくる吏官は……大庭景宗であった。


 新国府での政務からの帰途、景宗は必ず、旧国府のあたりを通ることになる。

 するとかれの顔は自然、苦虫を噛み潰したような、苦りきった表情になった。

 かつての繁栄は見る影もなく、廃屋ばかりが増え、それらは雑草と緑に覆われ、からすや野良犬のねぐらとなって、深い陰影のなかに不気味に静まり返っている。


 義朝が相模国府を、大住郡から余綾よろき郡に遷してしまったのである。

 ――すなわち、遷府であった。


「余綾のあたりは交通の便も良い。海沿いゆえに、船の便がよい。国府の場所としては、より効率的である」

 義朝はそう説明したが、果たしてその実は、鎌倉一族の影響の強い大住郡から、三浦、中村、波多野の影響の強い地域へと遷し変えたのである。

 今やどこへ行っても、義朝の名を聞かぬことはなかった。


 かわいた咳が漏れ、景宗の胸を苦しめた。

 近頃どうも体調が思わしくない。

 頭が重く、病がちであった。



 景宗が大庭館に戻ると、館内は剣呑な空気に包まれていた。

 見覚えのない武者たちが、胴丸姿で門を固めている。

 門田には伏兵も潜んでいて、景宗の従者たちを取り囲むや、あっというまに武装を解かせてしまった。


 助秋が、青ざめた顔をして近づいてきた。

「南の間で、平太殿がお待ちです」

 景宗は、一言ひとことも、一瞥いちべつすら与えず、冷然とした態度でおのれの屋敷に踏み込んだ。


 南の間に入ると、かみの畳に着座していた景義が、静かに目を見開いた。

「お待ち申しあげておりました」

「……」

「どうぞ、お座りください」

 珍しく立派な水干に身を包んだ景義が、あるじの座から、無表情に客座をゆび指した。


「抜かせ」

 恐ろしい声で凄んだのは、景宗である。

「誰ぞ、誰ぞ、おらぬか。この狼藉者をひっ捕らえよッ、三郎、どこにおるか」

 かれは辺りかまわず、けたたましい叫び声をあげた。

 しかし呼べども叫べども、屋敷の内は不気味に静まり返っている。

「お座りください」


「義朝にそそのかされたか、小僧」

 景宗は仁王立ちのままで言った。

「さにあらず。……わが意志です」

「貴様の意志? 貴様の意志とは?」

「今日よりはこの景義が、大庭を譲り受けます」

「ハッ、愚かしいわ」

 景宗は痰まじりの唾を吐き飛ばした。

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