第56話 景義、大庭を乗っ取ること

 子供時代の景義であったら、体が膝から震え、口答えすらできなかっただろう。

 だが、今は違った。

 義朝のもとで多少は世のなかを渡り歩いてきた。


 景義は肝をすえ、声を押し殺した。

「お聞きください。今、東の境には三浦が、西の境には中村が、兵を固めております。父上や年若の三郎では、大庭を保つことはできませぬ。大庭のために、かれらとうまく交渉できるのは、坂東諸氏連合の中枢に座を占める、この景義しかおりませぬ」

 なおつづけようとする景義の言葉を、景宗は強引に遮った。

「黙れ。くだらぬ茶番よ。三浦中村の風下につくか」

「さにあらず。これよりは私が、大庭御厨を守ります」


 景義の頭のすぐ横を、陶器の花鉢がかすめ飛び、背後の壁に炸裂した。

「鎌倉は波多野や首藤のごとき、どこの馬の骨ともわからぬ郎党風情ではない。あまつさえ中村なんぞ語るにも及ばぬ。われらは鎮守府ちんじゅふ将軍、たいらの良文よしふみが末裔、鎌倉一族ぞッ」


 ただならぬ音を聞きつけ、庭から次々と抜き身を持った男たちが現われ出た。

 みな、景義の手下である。

 豊田次郎もいる。

 景宗は、息子たちを睨みすえた。

「次郎、貴様もか」

「……」

「三郎、お前は?」

 三郎景親は常と変わらぬ涼やかな顔つきで、柱の陰にもたれかかっていたが、すっと身を起こし、父親に顔を見せた。

「私も、平太兄上に従います」

「そうか……」

 重たい沈黙が流れた。

「大事ない。みな、さがれ」

 景義が落ち着いた声で命ずると、人々はかしこまり、退出しようとした。


「待てッ」

 叫んだのは、景宗だった。

 かれは突如として身をひるがえすや、次郎を選んで近づいた。

 あっという間だった。

 次郎は躊躇した。

 相手は恐ろしい父親である。

 その躊躇を逃さず、景宗は思いっきり息子のつらをぶん殴った。

 強引に手首をしめて太刀を奪うと、今度は景義のほうに向き直った。

 そして間合いをグンと飛び越え、大上段から力任せにふりおろした。

 派手な金音と火花が散った――


 体がまっぷたつになったかという斬撃を受けながら、間一髪、景義は脇に備えていた太刀でわが身を守った。

 さやから抜く間もなかった。

 しばし、親子は刀身をよじりあわせたまま、渾身の力をかけて睨みあっていた。

 互いに怯むまいとして、目のなかの火花を戦わせた。

 腕は力の拮抗にふるえ、顔から脇から、全身から、冷たい汗が噴き出してくる。

 歯の根が合わずガチガチ鳴った。


 すると景宗は突如、太刀を床に投げ捨て、気が触れたように哄笑した。

「貴様なんぞ、このわしに比ぶれば、たわいもないひよッ子よ。だが、やってみるがいい。やってみよ、。貴様の手並み、とくと見定めてやるわ」

 景宗は憤怒の笑い声をあげ、激しい咳とともに痰を吐き散らしながら、大庭館を去って行った。


 ……景義は肩で息をつきながら、畳の上にへたりこんだ。

 顔色は真っ青を通り越し、紫色になっている。

 気がつけば強張こわばりきった五本の指が、握りこんだ太刀のにぴったりと貼りついて離れなくなっていた。

 景義は左の手で一本一本、右手の指をこじあけた。

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