第54話 景義、都へのぼること




   二



 今は昔、久安年間のこと――。


 亀谷かめがやつの源氏館のほそどのを、ひとりの青年が渡ってゆく。

 青年は丈夫な二本の足と、立派な体躯を持ち、顔つきも、きりりと引き締まった若き日の景義であった。


 寄合よりあいの後、ひとり呼び出されたかれは、縁側にかしこまり、義朝の前に一礼した。


(俺に兄がいたら、この人のような感じであろうか)

 景義は、すこしばかり年上の義朝に、打ちとけた感情を抱きはじめていた。


「そなたの弟、三郎景親は秀でた奴よ」

 景義を目の前にして、義朝は言った。

「文武両道に秀でている。その上、才略は鋭く、大胆な行動力も持ちあわせている。お前の親父が三郎を手放したがらぬのも、よくわかる。げに、三郎は秀でた男よ」


 景義は強烈な劣等感に胸を焼かれながらも、まじめくさった顔でうなずいた。

 その顔を見て、義朝はさもおかしげに笑い転げた。

「平太よ、そのようなクソまじめな顔をするな。お前は本当にからかい甲斐がある」

 ひとしきり笑うと、義朝は言った。


「俺は三郎よりも、お前が気に入った。お前は大らかで愛嬌がある。それに意外と肝も太い。相模は窮屈であろう。都へ来い。都へ来て、俺のもとで働け」

 義朝の一語一語が雷鳴のごとく腹の底に響き、景義の若い血がたぎり立った。


(都――俺はこの人についていく)

 思わず、両の拳を握りしめた。





 そうして若き景義は、都にのぼった。

 そこでは見るものすべてが目新しかった。


 寺社も、貴族の御殿も、巨大であった。

 いちは喧騒を極め、かれが見たこともないほどの群集で埋め尽くされていた。

 あちらこちらで様々な娯楽――歌舞音曲が、猿楽が、ばくちが、遊興が楽しめた。

 女たちの衣服は華々しく、挙措はいろめいていた。

 相模国府の比ではない。

 田舎出の若者にとっては興奮の連続であった。

 若者は義朝の背後にして、御所を、都の辻を、花街を、諸国の街道を、大手をふるって闊歩した。


 東海道では、義朝一行の顔を知らぬ遊女はいなかった。

 この日も宿場に馴染みの遊女を呼んで、坂東の若者たちは宴に興じた。

 こんな時、大庭平太はノリがよく、遊女たちにウケがいい。

 滑稽な身ぶりで喉をふるわし、隠し技の鳥獣ものまねを披露すると、たちまち満座が笑いころげた。

 こうして雰囲気を盛りあげておいて、頭殿こうのとのと美女との仲を円滑にとりもつのが、景義の役目であった。


 機嫌よく酔っ払った義朝は、美女をそっちのけで、弟分である景義の首根っこをつかまえて語った。

「俺もな、平太、お前と同じよ。長男ながら、親父殿には厭われている」

「そうでしょうか」

「ああ。俺もどういうわけか、幼ない頃から親父とはウマが合わず、上総国かずさのくににおっぽり出されていた。それで親父を見返してやろうと思ってな、東国で一旗あげたってわけだが、東国をまとめあげた今となっては、親父のことなんぞ、どうでもよくなった。今はただ、自分の力を突き詰めてみたい。この都で、俺という男がどこまで大きくなれるのか、確かめてみたい。……俺が大きくなれば東国のやつらにも、いい目を見させてやれるしな」


 自信みなぎる若い瞳を輝かせ、ニッカと笑う義朝に、景義の心は強烈に惹きつけられた。


「いいか平太、つわものの道を教えてやる。争うために力を磨く奴は、下の下よ。それとは逆に、人々のつまらぬ争いをやめさせるためにこそ力を磨く、それが真のつわものよ。それが源家の慣わしでもある。そこを見失わなければ、人は必ずついて来る。平太、貴様も俺について来い。そして親父や三郎を見返してやれ。見ていろ、俺は必ず大きくなるぞ」


 驚くべきことにその言葉どおり、義朝は数年のうちに官位を得ると、下野国しもつけのくにの国守にまで昇進した。

 義朝の才気と行動力は、目を見張るものがあった。

 義朝が統べる坂東諸氏連合の勢力は、関八州はもちろんのこと、東海道は甲斐かい伊豆いず駿河するが遠江とおとうみ三河みかわ尾張おわり、東山道は信濃しなの飛騨ひだ美濃みの近江おうみにまで広がった。


 景義は義朝を心から敬愛し、その圧倒的な人物と力とに心酔した。

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