第53話 藤沢清近、信州より訪れること

 その実正と入れ違いに櫓門やぐらもんから入ってきたのは、旅装の一団である。


 荷馬や乗り換え馬、贈答用の馬など、数頭の馬を引き、一見して名のある武者の家族と見える。

 景義の妹夫婦の、遠く信州諏訪すわからのおとないであった。


 かれらはすぐ、南の間に迎え入れられた。

「兄上」

「お久しうござります」

 妹の、美奈瀬みなせ御前。

 その夫、藤沢ふじさわ神次しんじ清近きよちか

 ……あいだには、幼子を連れている。


「よう来た、よう来た。おうおう、お前さんは何番目の子じゃったかの?」

 景義は、脚を投げ出した体勢で座したまま、駆け寄ってくる幼子を、ひょいと抱き止めた。

 童はかわいらしい指をひとつづつ、ぴんと張って、四本の指を見せた。

「四郎丸か、よう来たよう来た」

「他の子らは、諏訪で留守番です。家は長男に任せて、四郎丸だけ連れて来ました」


 夏日和の海風が急に吹き込んで、屋敷のうちが、ぱっと明るくなったようである。

 景義は相好を崩し、四郎丸を見つめた。

「ん? 初めての旅はどうじゃった?」

「おもしろかった」

 四郎丸はかたわらに置かれた景義の、ごつごつした杖に興味津々……両手で、なでくりまわしながら叫んだ。

「そうかそうか、勇敢な子じゃ」

 景義はかわいがるように四郎丸の尻をぽんぽん叩きながら、妹の美奈瀬のほうに顔を向けた。


「どうじゃ、信州の暮らしは」

「はい、弓矢が上手くなりました」

「四郎丸は、もう弓矢を?」

 四郎丸は、まだ数え四つばかりである。

 兄の驚き顔に、美奈瀬は日焼け顔で、にっこりと笑った。

「いえ、私のことです」

「なに、そなたが?」

「そうです。信州あちらでは、姫方でも弓矢が達者です。ですからわたしも毎日稽古しているのです」

 ほほほ、と、美奈瀬は豊かな胸を張って堂々、笑った。

 昔から気が強かったが、年をとって、いっそう女傑じみてきたようである。


 景義は今度は、妹婿の清近のほうに腕を差し伸ばし、武人どうし、がっちりと手を握り合った。

「元気か」

「はい」

 真っ直ぐな眼差しが印象的なこの人は、信州諏訪大社の血族であり、諏訪大神に仕える神官武者である。

 三十路もなかばを過ぎていようか。

 背が高く、大柄で、いかにも武人らしい肉体を誇っている。


「この度は諏訪大社より、鎌倉との連絡役を仰せつかいました」

「左様か……」

「しばらくは諏訪と鎌倉とを行き来するでしょう。お世話になることも、多々あるかと思います。ご迷惑でもありましょうが、なにとぞよろしくお願いいたします」


「なに、気遣いせず、なんでも相談してくれよ。……ふむ、そうか。では早々に、和殿らのために屋敷を用意せねばならぬのう」

「そんな、もったいない。片瀬の諏訪社の近辺に身を寄せようと思っております」

「それでは少々、鎌倉から遠くなる。なに、遠慮するな。わしにとっては大切なおとと婿むこ殿よ。そうじゃな……」


 しばらく考えて、景義は蝙蝠扇かわほりおうぎをポンと打った。

「星月夜の御方の、稲瀬川の屋敷がよいじゃろう。あそこなら片瀬にも出やすい。多少古くはあるが、立派な屋敷での。一昨年、御台所様をお泊めしたことがあったほど素晴らしい屋敷じゃ。

 だが今は住む者もなく、荒れ果てておる。やはり屋敷は、人が住まねば朽ちてゆくでのう。あの屋敷を綺麗に改築して、美奈瀬に譲るとしよう」


 星月夜の御方の屋敷は、長年のあいだ主を変えながら、今は総領である景義の所有となっていたのである。

 夫婦の顔が、ぱっと明るくなった。

「ありがとうございます」





 夜もふけて、話題も尽きせぬ家族団欒の夕餉が終わると、景義と清近は男同士、ふたりで酒を酌み交わした。


「一度、義兄あにうえに、保元の乱のことをお聞きしたいと思っておりました」

 言って清近は、信州土産の地酒を、景義の杯に注いだ。

「……ご存知のとおり、私は無類の弓好き。寝ても覚めても弓箭ゆみやのことばかり考えております。かの保元合戦の話を……当世最強の武人との聞こえが高い源為朝ためとも公と、義兄上との、一騎打ちの話をお聞かせ願えませんか」


「あの折は、和殿も?」

「いえ、私は元服間もなく、右も左もわからぬような頃でした」

「そうか……では、どこから話そうかのう……」


 めくるめく光をまとった若かりし日々が、ほろ酔い気分の景義の心を、夢のように駆けめぐった。

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