第五章 大鑿と大鏑 (おおのみとおおかぶら)

第52話 有常、実正と相撲をとること

第二部  新 都 鎌 倉 編


第五章 おお のみ と おお かぶら




   一



 大男が少年を投げ飛ばしたのは、由比屋敷の裏庭である。


 どちらも半裸なのは、相撲の稽古をつけているのである。

 大男は力を入れすぎたらしく、慌てて少年を助け起こしにいった。


「だいぶ強くなったな」

 と、実正が言った。

「まだまだです。平次殿を負かすことができません」

 有常がため息をつきながら言うのを聞いて、実正はグワハハハと豪快に笑った。

「バッカヤロウ、俺に勝てるやつなんざ、そうそういねぇっての」


「俣野殿はどうですか?」

 興味津々問いかけると、実正はわざと大げさに身をふるわせた。

「あの叔父貴は、伝説の化けモンだぜ? 別格別格……」

 言ってから、急にまじめな顔に戻った。

「それでもよ、お前、強くなってるぜ。勘所を掴んできたな」

「本当ですか?」

「ああよ。いいか、こう攻められたら、逆に腕をこう出すんだ……」


 相撲の技を説明しているところへ、「殿、そろそろ……」と、郎党が時を告げに来た。

「おう、もうそんな頃合か。よし、そろそろ行ってくらぁ」

「今日も御所にお勤めですか?」

「ああ、夜勤よ、夜勤。……宿直宿直……」

「たいへんですね」


 郎党が持ってきた新しい小袖と、明るい色の直垂ひたたれを羽織りながら、実正は笑顔で答えた。

「だけどよ、面白いぜ、夜勤もさ。一晩中起きてなけりゃならんのは大変だが、宿直の仲間たちから色んな話が聞けるんだ。楽しいぜ。オンミョージってやつから星の話を聞くこともあるしな」

陰陽師おんみょうじ……」


「知ってるかァ? オンミョージってのは、偉い学者さんのことよ」

 実正が胸をそらして得意げに言った。

(……偉い学者……ちょっと違うかも……)

 と、有常は思ったが、実正の話の腰を折らないように、黙って聞いていた。


「御所の北の対の宿直所にはよ、俺の名札が架かってるんだ。『ふだしゅう』ってヤツよ。たくさんの御家人連中のなかから、ひと握りの選ばれた奴だけ、名前が記されてるんだ。俺ァあの名札を見るたびに、ゾクゾク体がふるえるね。俺も偉くなったもんだってな」

「へぇ……」

 素直に感心のため息をついた有常の頭を、実正は大きな手で掴んで引き寄せた。


「待ってろよ。俺はもっともっと偉くなってやるぜ。お前たちの恩赦をもらえるくらい、偉くなってやるからよ。そうすりゃ、こんな裏庭でこそこそと相撲の稽古なんざぁ、する必要がなくなる」


 実正はすこし思いつめた目をして、心のうちを明かしてくれた。

「……俺はな、石橋山の時、嫡男の正光まさみつ兄貴を逃がそうとしたんだ。ところが兄貴は前線に駆け戻って、逆に俺を助けてくれた。それで、あろうことか兄貴のほうが死んじまった。今度は俺が、同じ血筋のお前を助けなきゃ、死んだ兄貴に面目が立たねぇ。わかるか、この気持ち……」


 有常がうなずくと、実正は苦味走った男ぶりで微笑し、「行ってくらぁ」と背を向けた。

 その大きな背中を、有常は惚れ惚れと見送るのだった。

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